藤井牧師
藤井牧師

あなたの信じたとおりに

礼拝メッセージ

 2021/7/4 礼拝説教
【テーマ】  イエスの言葉の力
【説教題】 「あなたの信じたとおりに」
【聖書箇所】 マタイ8:5-13

8:5 イエスがカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て懇願し、
8:6 「主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます」と言った。
8:7 イエスは彼に「行って彼を治そう」と言われた。
8:8 しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。
8:9 と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」
8:10 イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。
8:11 あなたがたに言いますが、多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。
8:12 しかし、御国の子らは外の暗闇に放り出されます。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
8:13 それからイエスは百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどそのとき、そのしもべは癒やされた。

マタイ 8:5-13

○ 今の時代のようにスマホで何でもできそうな時代でなく、携帯電話が出回って間のない頃の漫才で、こんなのがありました。「オレの携帯で風呂も沸かせるんだぜ」「それはすごいなあ!」「おい、今から帰るから、風呂沸かしといて」「なんやねん、それお前のかみさんが沸かすんやないか!」と。でも言葉というのはすごいということです。

言葉の力

生かしも殺しもする言葉

    1.言葉はとても大きな力を持っています。人を生かしもすれば殺しもします。現代ではSNSの書き込みという言葉で心に大きな傷を負い、死んでしまった人もたくさんいます。言葉に力があるのですから、人を生かす良い言葉を使うことが望ましいのは当然です。

    2.子どもが言葉をどうやって覚えるか? それは未だ究明しきれていない部分が多いのですが、見て、聞いて、触ってという五感を通して、物とその名前・意味を覚え込んで、脳で整理していくのだそうです。言葉が出始めると急激に語彙数が増え、一語だったのが二語になり、さらに助詞が入って文章になるというのはすごいことです。すでに頭の中にその言葉の元があるということです。

創り出す言葉

    1.神は言葉で世界を創造されました。 創世記1:3

神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。 

創世記 1:3

に始まって、30節まで神は言葉で全てのものをお造りになりました。 神は仰せられた と、言葉で全宇宙、地球、動植物、人間も言葉で創られました。神の言葉にはそういう無いところから生み出す力があるのです。

    2.わかり合った仲では「おい、あれ持って来てくれ」と「あれ」と言っただけでそれが何かわかって持って来てもらえるのです。これは「あれ」という物があるわけではなく、それを語った人の頭にある物です。それを理解している人が「あれ」だけでそのものを持ってこれるのです。

    3.神が 光、あれ。 と言われた「光」は神のお考えの中にあったものなのです。そして、神の超自然的な力は何も無いところから光を生み出せるのです。そして、私たち人間も神のお考えの中にある姿をいただいて、見える形にしていただいたのです。

権威ある言葉の力

百人隊長は上官の言葉に従っていた

    1.今日のテキストでは、イエスが 行って彼を治そう と言われたのに、百人隊長は 主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。 と言いました。私なら即座に「来てください!」と叫んだことでしょう。なのに、この百人隊長はなぜ「来なくていい」と言ったのでしょうか? それはイエスの言葉の力、イエスの権威を信じていたからです。

    2.彼は、イエスに来ていただく資格が無いと言っています。彼は軍人として上官の権威ある言葉に命をかけて仕事をしてきた人です。上官はいちいち出向いて来ません。命令があるだけです。

    3.イエスが「治れ」と言われるなら、イエスのお考えの中にあるその人の健康というものが現実に現れるのです。それを百人隊長は信じたのです。

百人隊長は権威ある言葉に従う習慣があった

    1.百人隊長には、その上官の言葉に従うという習慣が身についていたのです。このことはまた習慣がいかに重要かということを教えています。もちろん正しい習慣でなければ困ります。私たちは聖書を読むとか祈るとか、礼拝を守るとかそういう正しい習慣を身に着けることが大事です。

    2.時には、百人隊長は上官の間違っていると思える命令にも従わざるを得なかったでしょう。でも上からの権威ある命令には従わざるを得ませんでした。しかし、彼はユダヤの神、イエスの言葉は絶対に正しいと信じていたので、イエスを迎えずともその言葉さえいただければ癒されると信じたのです。

イエスの言葉の通りになる

信仰告白の力

    1.最後のところに 

それからイエスは百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどそのとき、そのしもべは癒やされた。 

マタイ 8:13

とありますが、イエスの言葉の通り、百人隊長のしもべは癒されるのです。が、ここで気になる言葉は あなたの信じたとおりになるように という言葉です。

    2.これは私たちの信仰告白にも力があるという事です。つまり私たちがイエスを信じているなら、イエスが見えるお方でなくても、イエスの言葉は私たちの信仰を通して実現するのです。私たちはイエスの言葉を信じる者、また語る者でありたいのです。

信じる者は救われる

    1.「イエスを見たら信じる」と言う人が多い中で、百人隊長はイエスの言葉を信じました。私たちは今イエスをこの目で見ることはできませんが、イエスの言葉を信じることはできます。 

わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。 

ヨハネ 11:25

と、言われています。このイエスの言葉を信じるならその通りになるということです。

    2.他にもまだあります。 

また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」 

ヨハネ 11:26

等々。どうですか? 百人隊長のように、あなたも、イエスの言葉だから信じるという信仰を持ちませんか。

● イエスの十字架の場面で二人の犯罪人が共に十字架刑に処せられましたが、一人はイエスを神の子と信じました。その犯罪人に向かってイエスは「あなたは今日私と共に天国にいます」と言われました。犯罪人は「地獄に行く」と信じていたのですが、イエスを信じたことで彼は天国に行くことになりました。イエスがそう言われたからです。

★ 人の言葉でも大きな力があるのですから、ましてや神の言葉は完全です。この全宇宙をお造りになった神の言葉をあなたも信じてください。イエスが今見えなくても、イエスの言葉は今も皆さんのそばにあります。