林間学校Part1

自然に触れる幸せ

子育て通信

199(2022年4月)

林間学校へ

  (藤井敬朗の人生を神様に感謝しながら書いています)

前号から続けて

  中学校勤務が始まって私も生徒達もかなり慣れてきました。私の勤めた中学校では、5、6月に2泊3日の林間学校を行っていました。兵庫県の鉢伏高原にある町の民宿をクラス分借りて行うのですが、私たちの学年は11クラスありましたから11軒の民宿をお借りしたわけです。それぞれ民宿は大きさに違いがありますので、一部屋に寝る生徒数には違いが出ます。私のクラスはやや小さめだったので、男子生徒の部屋はかなり詰め詰めでした。今のコロナの時期でしたら、あり得ないほどの密です。

フォークダンス

  さて、この林間学校の目的はクラスの一致です。ですから新学年の早い時期に行われるのですが、事前準備も念入りです。美しい鉢伏高原で「マイム・マイム」というフォークダンス(輪になって行うダンス)をするために練習します。しかし、中学生になった子ども達は羞恥心が旺盛になり、しっかりダンスしないのです。そこで、怖い先生方が「コラー、お前ら、しっかりやれ!」とか叫ぶわけです。渋々、生徒達はするのですが、全然楽しそうではありません。
  「マイム・マイム」のマイムとは「水」というヘブライ語で、昔、イスラエルの乾燥地帯では井戸を掘り当てることは死活問題でした。掘っても必ず水が出てくるとは限らないのです。そこで、水が湧き出た時にみんな大喜びで井戸の周りを手をつないでこの歌を歌い、喜びのダンスをしたと言われています。私は聖書を通してこういう当時のイスラエル人の喜びを聞いていましたので、生徒達の喜びのないダンスが残念に思えました。

恥ずかしくて

  なぜ、彼等はしっかりダンスをしないのかと考えると、恥ずかしいからなのです。しっかり手を握ったり、格好良く足を上げたりしたら、みんなに笑われるし、色々言われると思っているのです。その恥ずかしいという思いからダンスができないわけですから、私は《じゃ、私にみんなの目が向くようにしてみよう》と考えて、生徒達の中に割り込み、手をつなぎ、大きな声で「マイム・マイム」と歌い、大げさに飛び跳ね、輪の中心に向かって行く時も元気良く「マイム・マイム」と歌って手と足を振り上げました。生徒達も見ていた先生達も大笑いになりました。私は「成功!」と思いました。みんなの視線がすべて私に向いたので、生徒達は自分が見られているという恥ずかしさがなくなったのです。
  そして、私がつないでいる手を引っ張って行きますので、段々みんなつられてきました。怒っていた先生の中には一緒に入ってくださる方もありました。私はとても楽しくできたのですが、生徒達も楽しくできたのかは少々不安でした。でも笑い声一杯だったので、「まあいいか」という気持ちでした。でも、正直、私は恥ずかしさで一杯だったのです。

「指導してください」だって

  後日、私が関わっていないクラスの委員長が私のところに来て、「先生、うちのクラスでもダンスの指導をしてくださいませんか」と言って来たのです。「えーーー!、私が!?」と聞き返しましたが、私のしたことが他のグループにも伝わっていたらしく、願って来たというわけです。しかたないので、グランドで昼食後にすることにしました。あの時と同じようにするとこのグループでも大笑いになり、その笑い声で教室の窓から生徒達が私たちを見て笑っていました。
  このことで鉢伏高原の原っぱでのダンスは元気に楽しくできました。

校歌も大声で

  もう一つ、この原っぱであった話ですが、クラス毎でゲームをしたのですが、うちのクラスはハンカチ落とし?をしました。3回捕まった人は「罰ゲーム」として歌うことになっていました。私が3回捕まってしまいました。するとみんなが「歌え!歌え!」と叫びました。そこで、私は「よーし、じゃ、歌うぞ。校歌を歌う」と言って、めっちゃ大声で校歌を歌い始めました。高原にいる他のクラスの生徒達も何が起こったのかとこっちを見ています。うちの生徒達は「先生、声が大きすぎる!」と言いましたが、それでも私は「罰ゲームだからな」と大声で歌い続けると「先生、恥ずかしいから、もうやめて!」と。「いや、ダメだ。最後まで歌う」と歌いきりました。恥ずかしかったのは私の方ですから。でも、楽しかったです。

まさか校内放送でも

  実はこのことで大変なことが起こりました。後日、学校の昼食時に放送部が音楽を流すのですが、放送部員が「先生、校歌を歌ってください。『ケイロウ先生(あ、私は名前がケイロウとしか読めないと言うことでみんなからケイロウ先生と言われていました)の校歌斉唱』というリクエストが届いています」と来たのです。「えーーー!バカな」と言ったものの断るのも悪いと思い、校歌をカセットテープ(当時はカセットテープの時代です)に吹き込み、放送部に届けました。すると昼食時にそれが流されました。とたん、すべての教室から笑い声が起こったのです。この放送は職員室には流れないので、先生方は「何が起こったんだ」と言ってましたが、私は「さー?」としらばっくれていました。

恥ずかしくて

  さて、林間学校に戻ります。民宿での最初の晩ご飯が「すき焼き」でした。各班毎で作るのですが、「先生、どんなふうにすればいいの?」と案外知らないのです。そこで、私は「どんどん入れればいい」と言って、私のいた班で見本を見せて、具材をどんどん鍋に押し込みました。「先生、あふれる!」「よし、押さえろ!」という調子でした。どの班も全部具材を入れて押さえつけるようにして作ったすき焼きです。きれいな入れ方ではなかったですね。そして、「民宿の方が用意してくださったんだから、全部食べきろうぜ!」と、みんなで食べました。どの班もどんどん鍋に押し込んで、結果全部食べきりました。民宿の方が「わー、全部食べてくれたの。嬉しいわ!いつもは半分くらい残すのに」と言われていました。
  その夜の教師打ち合わせ会で「最近の子ども達は食べないですね。かなり残してましたよ」と先生方が言われる中、私は「うちのクラスは全部食べきりましたよ」と言うと、「すごいですね」と言われてしまいました。なぜ食べきったのかというと、私はみんな大笑いで食べたからじゃないかと思うんです。とても楽しい食事会でした。誰もお腹をこわすことも無かったことは幸いでした。(笑)
  それはかりか翌日の朝食もみんな宿の方にお礼を言って残さずに食べました。とても気持ちの良い朝ご飯の時間でした。

雨だから餅つきになった

  この日、本当は山歩きの予定だったのですが、昨晩からの雨でできなくなりました。そこで、各民宿で餅つきをさせてくださいました。これがまた楽しかったです。餅つきをしたことのある生徒はほとんど無くてそれは楽しそうでした。(実は私は餅つき上手なんですよ。子どもの時から我が家でやってましたから。)また、餅を丸めるのも楽しそうでした。真っ白になってキャーキャー言いながらやっていました。そのままかぶりつく生徒もいて大はしゃぎでした。
  林間学校は結構雨でしたがそれでも楽しい時となりました。お陰でクラスが一致するという主目的は達成できた気がします。
  事実、林間学校から帰ってきてからクラスはますます楽しくなりました。



  2003年4月1日に新中野キリスト教会に赴任しましたので、いよいよ20年目に入りました。48歳でこちらに来た私は67歳になってあの頃の元気さをかなり失っています。子ども達と走り回っても疲れを知らず、子ども達の泊まり込みの行事が大好きで、動き回っていた私が、2006年に腰の手術をしてから思うように元気が戻らず、続いて心臓に問題が起こり、さらには三叉神経痛の痛みに悩まされ、他にも次々起こる不調にもう自分の命は長くないとさえ思いました。が、67才の誕生日を迎えた時、神様に感謝の気持ちが湧きました。ここまで生かしてくださったこと、家族と楽しく過ごさせいていただいていること、教会の皆さんがよくしてくださること、子育ての会などで出会った皆さんと楽しく話せること、本当に感謝です。20年目に何ができるのかわかりませんが、この感謝は続くと思います。

  すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 

Ⅰテサロニケ 5:18

子育て通信

Posted by shinnakano