ボーッとする事って大事
笑顔の子ども達
今年も子どもセンターに可愛い子ども達が入園してきました。「3月に卒園した子達も入園した時はこんな感じだったかなあ?」と、たった1年で大きく成長した子ども達のことを思い出しました。
最初はお母さんから離れると「ママー、ママー」と泣く子達ですが、ちょっと慣れると遊びに夢中になります。もちろん、その合間にふとお母さんを思い出すのでしょう、急に笑顔がくもり「ママー」と泣きます。こんな事を繰り返しながら、子どもセンターの流れをつかんでいくようで、子ども達の順応性に感心させられます。
おやつをほおばる時のいい顔! 屋上で乗り物に乗って走り回る時もとても良い笑顔です。遊び、お弁当、賛美、礼拝にも慣れてきて、行動がしっかりしてきます。子ども達にとってはまだまだ全てが遊びなのだと思います。実際、子ども達は遊びを通して様々なことを学び、心身の成長をしていくものなのです。
過剰なプレッシャー
先日買ってきた本にこんな事が書いてありました。
ここ数十年のあいだに、幼いうちから成功を目指す早期エリート教育が台頭した。その結果、まるで一分一秒すらも惜しむかのように子どもの生活を管理して、能力を最大限に引き出そうという動きが盛んになった。学業、運動課外活動は、競争がどんどん激しくなり、おとなが前のめりになって高い賭け金を注ぎこむ戦いになった。子どもは自分のために整備されたコースをひたすら走るだけで、じゅうぶんな休憩をとることもなければ、そもそもこんなレースを走りたかったのだろうかと考える余裕も与えられない。
この風潮には代償が伴っている。何十年も前から、子どもが貧困や身近な暴力にさらされる逆境で育った場合、健康や幸福に対するリスクがどれくらい増えるのかという調査が実施されてきた。2019年、アメリカを代表する発達科学の研究者たちは全国的な報告書を発表し、アメリカでもっとも「危機にある」子どものなかに驚くべき一群を新たに加えた。報告書には、研究者が言うところの「成績優秀校」一般的な意味では、共通テストで高スコアをとる生徒が通う公立や私立の進学校――の生徒は、「適応障害を発症する割合が相対的に高く、学業および課外活動で優秀な成績を収めなければならないというプレッシャーを長期にわたって感じ続けていることに関係していると思われる」と記されている。アメリカの生徒の三人に一人が優秀であれという過剰なプレッシャーにさらされているおそれがあると計算する研究者もいる。
「ほどほどにできない子どもたち 達成中毒」ジェニファー・ウォレス著 信藤玲子訳 早川書房 p10
子どものためにと幼い内から「勉強、勉強」と詰め込んでいく家庭があります。勉強することは悪くはありませんが、子どもの発達に大事な遊びが軽んじられていないかは私も心配するところです。
子ども達がほどほどにできなくなっている背景には親がほどほどにできなくなっているからでは無いでしょうか?
何かしら「追われている感」があって、「このままではうちの子は置いて行かれる」「よその子はあんなに勉強している」等々比較して、親が追い込まれているのです。その緊迫感は大きなプレッシャーであり、ストレスで、そのために精神的な病気になってしまう人もいます。
また、塾や習い事に行かせていることで安心感を持とうとしている可能性もあります。私は決して塾や習い事を否定しているのではありません。ただ、遊びの必要な時期に遊びが抜け落ちていないかが心配なだけです。スポーツを遊びと考える人もいますが、私はそれは別ものと思います。やはり「遊び」が大事なのです。
ゆとりとあそび
最近は学校の授業時間を短縮して、みんなで遊んだり、勉強と関係の無い活動に時間を取っている学校も出てきました。それでも学力は落ちないらしいです。事実子ども達は遊びの中でより多くを学んでいるのです。
さらに大きくなるとその遊びが発展して、趣味、研究、工作等々とより創造的なものになっていきます。その彼らの姿を見ると実に生き生きしています。
思い返すと自分の子どもの頃、習い事もしたことが無いし(習い事をしている友人は少しだけでした)、学校から帰るやいなや友達と川や池、山に遊びに行きました。あるいは学校に戻って運動場で野球やドッジボール、サッカーをして遊びました。でも、懐かしく思い出す遊びには、かくれんぼ、鬼ごっこ、缶けり、石蹴り、ビー玉、釘刺し、靴隠し、どうま、ひまわり、肉弾、くちく(水雷艦長などの呼び名もあります)他にも色々あったように思います。それらの遊びは楽しかったという記憶が今もあります。
また、遊びには自由さがあり、その自由さがあるから「遊び」だったと思います。野球やサッカーにしても子ども達だけでするので、独自のルールを作ってしまったり、大人の指導を受けず、得意な子のリードで楽しんでいました。大人の介入が無いからこそ「遊び」だったんじゃないかなと思います。
一番大切なこと
また「子育てで一番大切なこと」という本にはこんな事が書いてありました。一番という割に10項目ありました。(笑)
1.動物としての子どもの自然で健康な生活を守ろう。きちんと睡眠を取らせよう。
2.子どもの好奇心を大切にしよう。
3.子どもの脳を興奮させすぎないように気をつけよう。
4.子どもが安心して育つことができるように、子どもを見守ろう。
5.3歳までがとても大事なので、この時期は子ども中心の生活を大切にしよう。
6.子どもの多様性、子どもの凸凹を受け入れよう。
7.子どもに合った教育を選ぼう。
8.子どもに無理をさせることを避けよう。
9.子どもの迫害体験や挫折体験をできるだけ減らそう。
10.社会全体で、子どもを育てていこう。
「子育てで一番大切なこと 杉山登志郎著 講談社現代新書 p237
こうした話を読んでいると、子どもは自分で成長していく力をすでに神様からいただいているように思います。そして、大人はそれを正しく生かしてあげることなんだなと思います。
ボーッとすることが大事
さて、そういう中で結構前から言われていることですが、大人にも子どもにもボーッとする時間が必要だということです。しかし、そういう時間は確保されているのでしょうか? 先日若い教師と話をしましたが、すごく忙しそうで。大変だなあと思いました。こういう先生方こそボーッとする時間を持って、子ども達の心の深みを見る目が育つことを願うのです。
では私が教師時代はボーッとする時間はあったのでしょうか? 思い返すと忙しかったなあと思います。しかし、感謝なことに私は生徒と話したり遊んだりする時間がわりとたくさんありました。学校にいる間はボーッとする時間はほとんど無かった気がします。
NHKの番組で「脳、ひらめきがどのように生まれるのか」をしていました。ひらめきが起こるときには脳が実に一斉に働いているのですが、それがボーッとしているときとほぼ同じなのです。つまりボーッとしていることでひらめきが起こるのです。その時、大脳皮質のあちこちに蓄えられた記憶の断片に電気信号が働いているのです。iPS細胞を発見した山中伸弥さんもボーッとしてシャワーを浴びているときのひらめきだったと言います。
振り返ると、私にとって良かった時間が通勤時間でした。4kmほどの道を歩いて行きました。あまり車の通らない道を選び、祈りながら歩くのです。行き帰りに生徒達のことをよく祈りました。また、ボーッとした時間でもありました。道ばたの草花を見たり、畑の作物を見たり,空を見上げたりして行くのですが、この間に確かに多くのひらめきがあったなあと思い出します。授業の内容や生徒のこと、神様への讃美もここで生まれました。とても良い時間でした。
こういう時間は今も持っています。聖書を読んで目を閉じボーッとするだけで何か温かいものを感じたり、皆さんのことを思って祈ることもあります。それだけなんですが、心がホッとします。
イエス様もよく一人で祈っておられました。
イエスご自身は寂しいところに退いて祈っておられた。
新改訳2017 ルカ 5:16