
子どもに安心感を与えたい
あけまして おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
元日というと、中学生・高校生・大学生の頃は毎年初日の出を見に自転車で出かけていました。午前3時頃から走って結構遠くまで見に行きました。一度は雨で西宮から高槻まで雨に濡れながら帰って来たこともありました。
中学校の教師になった時から6年間は生徒と共に「元旦ハイキング」というのをしました。全行程20kmほどを夜中中歩いて初日の出を見に行きました。
牧師になってからは毎年元日は早朝から元旦礼拝の準備をして、それから教会のそばで(新中野キリスト教会では屋上から)初日の出を見ました。こういうのが元日でしたね。
2024年の元日から
そういう中で今までと大きく違った元日は2024年でした。例年通り、元日早朝に教会で元旦礼拝の準備をし、屋上から初日を見ました。その後、元旦礼拝を無事終えていつも通りのお正月になりそうだったのですが、しばらく楽になっていた三叉神経痛の痛みが強く出だしました。
2023年クリスマスの頃は2011年から続いた三叉神経痛の痛みがかなり和らいで、礼拝での説教もほぼ痛むことなくできたので、12月31日(日)の礼拝では皆さんに、ほとんど痛むこと無くクリスマスを過ごせたことの感謝の報告をしたのです。このままどんどん三叉神経痛の痛みが消えてくれるのではないかと希望さえ持っていました。
しかし、その翌日、2024年の元日から痛み始めたのには心が騒ぎました。しかもその痛みは日増しにひどくなっていくのですから恐れさえ感じました。
いつもの脳神経外科で検査していただき、薬の量を増やしましたが、ほとんど効果が無く、最大量にしても痛みは増え続け、さらに量を増やしました。3月頃からは痛みの限界を感じて、4月に手術を視野に入れて大学病院で検査。しかし、三叉神経痛ではあるものの原因不明でした。原因がわかれば手術の方向性が決められるのですが、原因不明のため、手術するかどうか悩みました。しかし、意識が消えそうになるほどの痛みのためにとにかく手術をすることにしたのです。
術後の変化
頭を開いてみなければわからないという状態での手術となりました。しかし、医師の判断でして下さったオペが幸いして痛みは収まりました。普通の三叉神経痛の手術なら1週間で退院できるのですが、私の場合は18日間の入院となりました。
後遺症はしばらく思うように体が動かない、後頭部と口の中の麻痺、右耳が聞こえない等がありましたが、徐々に回復していきました。1年8ヶ月経った今は口の中にいくらかの麻痺が残っています。この麻痺感の面白い感覚をお伝えしますと、口の中の右側は熱い冷たいがわからず、全部「ぬるい」という感覚になるのです。アイスクリームを食べても冷たくありません。「ぬるい」のです。
それと、何を食べても魚のうろこのようなものが入っているように感じるのです。アイスクリームやプリンのような滑らかなものを食べてもその中に何枚ものうろこがあるように感じる舌なのです。おもしろいでしょ。
最初はこの感覚が恐く感じましたが、人間というものはおもしろいもので、この感覚に慣れてきて、それなりに楽しめるようになりました。新しい食感ですね。味もいくらか前と違って感じられます。
みんな違う、感覚も違う
なぜこんな風になったのでしょうか? 手術のときに小脳を動かしたり、神経に触れたからでしょうか?
前と違う味の感覚、食感です。自分は前と同じ自分だと思うのですが、いくらか違う自分になったのでしょうか?
こういうことを考えると人間はみんな違うということがよくわかります。そしてみんなそれぞれの感覚や感じ方があって、それは他の人にはわからないのだろうということです。
子ども達もみんな違うのです。「自分は親だから我が子のことはわかっている」と言う人がいますが、本当はわかっていないのではないでしょうか?
子どもが小さい内は何かしら我が子のことが良くわかっている気になっているかも知れません。しかし、大きくなってくると親にもわからない部分がどんどん成長していきます。特に思春期を迎えると子どもの脳も体も大きく変化して親も理解できないことが増えていきます。さらにその頃の子どもは親に相談しなくなる傾向にあります。
子どもも自分がわからない
思春期を迎えた子どもも自分のことがよくわからないのです。何しろ初めての経験がいっぱいなのです。しかも自我に目覚める思春期ですから不安感は大きいものです。
体の変化に戸惑う子もいます。脳も発達しているために子どもの時に感じなかったような不安や恐怖感、恥ずかしさなどが襲ってきます。特に性的な発達はなかなか誰にも相談できず一人で悩むものです。さらにニキビや声変わりなどで恥ずかしさが増します。こうした感覚を親は結構忘れているのです。
また、子どもによっては成長して色々なことができるようになったために万能感を持って活発になったり、結構激しい行動に出たり、自分の意見を強く言うようになって一気に大人っぽくなります。
こういう思春期ですので、悩み、不安を一人で抱え、精神的に参ってしまう子どももいます。鬱的になったり、ヒステリックになったり、最近では統合失調症も増えていると聞きます。
また、起立性調節障害で朝、起きられない子もいます。「怠けている」と思われて、厳しく言われるのですが、怠けているわけではなくて本当に起きられないのです。
そうしたことがなかなか自分で自分がわからないために、一人で悩むのです。
不安が襲った高校時代
私自身のことを言うと、中学3年で何の検査だったか?ひっかかって、10名くらいの生徒と一緒に保健所に検査に行った経験があります。詳しいことを教えてもらってないので、問題を感じないまま高校生になったのですが、入学後すぐの検査でまた引っかかり、血圧・心臓の心配が見つかり、運動制限されてしまいました。でも、私はそのことよりもアトピーの方が大変でしたし、2年生後半からは目が悪くなり、希望していた建築系の進路を諦めました。ですから、私にとってはこういう不安と悩み、大学進学ができるのかという不安も重なったことを思い出します。
考えてみれば親にしっかり相談もしていないし、先生にも相談していません。一人で不安を抱え、悩んだように思います。
そんなある夜、眠れなくて天上を見上げて、「もし神様がいるのなら助けてください」と祈りにもならない祈りをしたことがあります。
そのしばらく後に失明しかけたのです。その時の不安は凄かったです。クリスチャンの母が私の目に手をおいて祈ってくれました。神を信じていなかった私もこの時ばかりは神妙になっていました。
それから大学病院で検査を受けましたが、不思議なことに視神経の異常は無くなっていました。母の祈りで癒されたのです。この体験が私をクリスチャンへと導きました。
イエス・キリストによる安心
大学受験を終えて教会に行き出し、イエス・キリストによる心の平安というのを持てるようになったのです。この安心感は他の何からも得られないものでした。
幼子はまず親(特に母親)から安心感を得ます。それはお腹の中にいる時から守られてきたからです。生まれ出ても何もできない赤ちゃんが愛され、守られていることで「安心感」を得ます。その安心感はしっかり脳に蓄積され、死ぬまでその記憶が残るそうです。
成長してくると自分に安心感を与えてくれていた親と離れていきます。しかし、脳にはしっかり大事な「安心感」を蓄積しています。親を離れても、見えない神が共にいてくれることを知ることで安心感が持てるようになります。
他の動物と違って人間の子どもは長きにわたって親に育てられなくてはなりません。それはこの安心感をしっかり脳に植え付けるためだと思います。
大人だって悩む
別に子どもに限らず人間というものは悩みます。特に原因がわからないとか、自分では精一杯やっているつもりなのに上手くいかないとか、「自分はダメな人間だ」と思い込んでしまうこともあります。
親になると子育てで悩みますし、仕事や人間関係、経済的なことなど子ども時代にはなかった多くの問題に悩みも不安も増えるものです。
人には宗教心がありますから、何とかして救われたいと願うのです。その救いを与えてくださるのがイエス・キリストです。それを親が体験して、真の神からの平安を得ることができると、それを子どもに伝えることができます。
私は子育てはこういうところにもあると思っています
イエス・キリストは十字架を前にしてこう言われました。
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネの福音書 14:27
イエス・キリストの平安をいただきましょう。














