召天者記念礼拝

生きることはキリスト

礼拝メッセージ

2022/6/26 礼拝説教
       召天者記念礼拝
【説教題】 「生きることはキリスト」
【聖書箇所】 ピリピ1:21-25

1:21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
1:22 しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
1:23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。
1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。
1:25 このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。

ピリピ1:21-25

○ 今日の礼拝は召天者記念礼拝としました。昨年、一昨年とコロナで延期しましたので、今日となりました。昨日は村上知子先生の召天19年でした。2003年に70才で亡くなられた村上知子先生、生きておられれば89才です。

死ぬことは益

扉一枚開ければ天国よ

    1.パウロはなぜ 死ぬことは益です と言うのでしょうか。簡単に言えば、パウロは死ねば天国へ行けることがわかっていたからです。天国ほどすばらしいところはないのですから。

    2.村上先生も死を恐れておられませんでした。むしろまるで友達のように思っておられるかのように、「扉一枚開けて向こうに行くだけなのよ」と微笑んで言われるのは天国が見えているかのようでした。

死ぬことは益でも・・・

    1.パウロは福音のために大変な迫害に遭い、体もボロボロだったと思います。精神的にもきつかったことでしょう。死ぬことはそういう地上の全ての煩わしさから解放されて完全な平安の天国へ行けるのですから 死ぬことは益 なのです。

    2.皆さんにとって 死ぬことは益 ですか? 自分が行くべきところがどこかわかっていらっしゃるでしょうか? しかし、だからといって自ら死を早めることは問題です。パウロも 死ぬことは益 でも、それを最優先にはしませんでした。

生きることはキリスト

私の働きは実を結ぶか?

    1.皆さんにとって生きることは何ですか? 「生きることは仕事」「生きることは家族」「生きることは趣味」等々。どれも虚しいとは言いませんが、それが最高かどうかということです。

    2.パウロが 生きることはキリスト と言うのはどういうことでしょうか? キリストのためにいのちをかけているからです。パウロは 肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになる と言っています。つまり彼の生きることは福音の前進、福音の広がりなのです。村上知子先生も同じだったと思います。

    3.私たちはこの地上に生きていて、パウロの言うように 私の働きが実を結ぶことになる と言えるでしょうか。

他の人の信仰の前進と喜びのため生きる

    1. 生きることはキリスト と言ったパウロは、天国のすばらしさを思いつつも、 

しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。 

ピリピ 1:24-25

と言うのです。パウロが生きていることで信徒の信仰の前進と喜びになるというのです。私たちの周りにもそういう方がおられます。

    2.年配の方の信仰を知ることは大変な励みになるものです。もし村上知子先生が今も生きておられたら、「生きることはキリストよ!」と言って、私たちを励ましてくださったのではないでしょうか。

必ず会えるという希望

短いこの世の人生の人たちも

    1.死というのは何も年をとって死ぬ人ばかりではありません。赤ちゃんで亡くなった人を何人見てきたでしょうか。やはり辛いものです。

    2.しかし、私たちが平安をいただけるのは必ず天国で会えるという希望があるからです。0才、1才、2才で死んでしまった子、7年前に14才で死んでしまったA君、本当に辛いですが、みんな天国で平安の中を生きていると知っているので、私たちは慰められるのです。そして、この子達の短い人生から多くのことを感じさせられ、学ばせられるのは、短くても 生きることはキリスト だったからです。

故人を思い起こすことで

    1.「召天者記念礼拝とは何だろう?」と、何度も考えましたが、私たちは亡くなった方を崇めたりはしません。しかし、故人との様々な関わりを思い起こして改めて感謝する時かと思います。また、故人を思い起こすことで、その方を愛してくださった神の愛を思う時でもあると思います。

    2.その神に喜ばれる生き方をするのはパウロや村上知子先生の思いと一緒ではないでしょうか。

★ 人は必ず死ぬわけですから 死ぬことは益です と言える死に方をしたいものです。そのためにはこの地上での生きることは大変でも 私にとって生きることはキリスト と生きることです。