主のために働く

主の軍の将として来た方

礼拝メッセージ

2023/2/12 礼拝説教
【テーマ】  主のために働く
【説教題】 「主の軍の将として来た方」
【聖書箇所】 ヨシュア記5;13-15

5:13 ヨシュアがエリコにいたとき、目を上げて見ると、一人の人が抜き身の剣を手に持って彼の前方に立っていた。ヨシュアは彼のところへ歩み寄って言った。「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。」
5:14 彼は言った。「いや、わたしは【主】の軍の将として、今、来たのだ。」ヨシュアは顔を地に付けて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をこのしもべに告げられるのですか。」
5:15 【主】の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。

ヨシュア記5;13-15

○ 私達は大変なときに味方になってくれる人がいればどれほど嬉しいことでしょうか。

先が見えない不安

考え込むヨシュア

    1.ヨシュアはエリコの城壁を見て考え込んでいます。頑丈で堅固なエリコの城壁と町、難攻不落と言われたエリコの町です。どうやってこの中に入り込めば良いのか、どのように戦えば良いのか戦略を考えなければなりません。

    2.エリコの城壁を見たヨシュアはこの城壁が崩れることなど考えもしなかったことでしょう。まだ彼には神がなさることが見えていませんでした。私達も後に起こる出来事を知らないものです。

悩み込む私達

    1.イスラエルの民はヨルダン川を渡るときも水が堰き止められて川底を歩いて渡れるとは誰が思ったことでしょう。しかし、神はモーセの時に紅海を真っ二つに裂かれた方です。このすばらしい体験をしたヨシュアですが、また目の前に立ちはだかる堅固な城壁に戦略が立てられません。

    2.私達も神様の恵みによって紅海が割れるような経験、ヨルダン川が堰き止められるような経験をしてきたかと思います。でも、またそこにエリコの城壁が立ちはだかって、どの様にすれば良いのか悩んでしまうものです。

どちらの味方なのか?

主の軍の将とは誰?

    1.ヨシュアがそうして考えているところに現れたのが今日の説教題にある「主の軍の将」です。一体この人は誰なのでしょうか? 大きくは二つの説があります。一つはイエス・キリストだという説。もう一つは天使だと言う説です。敢えて言うともう一つ、人間というのもあります。

    2.イエス・キリストと言う説を押す人達は、 ヨシュアは顔を地に付けて伏し拝み としていることです。天使は自分を礼拝させないということです。しかし、天使説をとる人も神と天使との間に明確に一線を引くことのできない場合が多いとして伏し拝んでもおかしくないというのです。結局どちらかわかりません。

どちらの味方なのか?

    1.この方がイエス・キリストなのか天使なのかわからなくても、とにかく、神の側の方です。 「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。」 というヨシュアの質問に 「いや、わたしは【主】の軍の将として、今、来たのだ。」 と答えられました。つまり、どちらの味方でもなく、神・ヤハウェの軍の将というわけです。

    2.ヨシュアはエリコの町に近づいたときに、ただ一人であまりにも権威に満ちた方が歩み寄ってきたので驚いたことでしょう。この人がエリコ側の軍人なら、ヨシュアは殺されてしまうかも知れなかったわけです。ヨシュアにとってどちらの味方かがとても気になるわけです。

私達の味方であるお方

世界最大の軍を率いる将軍

    1.ヨシュアはその答えを聞くと、 顔を地に付けて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をこのしもべに告げられるのですか。」 と、神と関係の深い方だとわかり、神のお考えを知りたくまた従いたく、ひれ伏すのです。 【主】の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。 モーセの召命の時を思い出す話です。

    2.彼が主の軍の将ということはどういうことでしょうか? 彼はどちらの味方だとも言いませんでした。彼は主の軍の将ですから神に従う者の味方なのです。エリコの味方でもありませんが、ヨシュアの味方でもないのです。彼は主の命令に従う世界最大の力を持つ主の軍を率いる将軍です。

主の軍の将が私たちの味方

    1.もし、主の軍の将がイエス・キリストだとすれば、私達はいつも主の軍の将が共におられることになります。何とすばらしいことでしょう。私達の目の前にエリコの城壁が立ちはだかってもこのお方が共におられるなら勝利があるのです。

    2.主の軍の将は敵とか味方とかではありません。主のためにのみ働かれます。そして、ヨシュアも主のために働くのです。私達も同じです。主のために働くのです。自分のため、誰かのためということよりも主のためです。私達が主の味方でなければ勝ち目はありません。

★ 主の軍の将としてきた方は主のためにのみ働く方です。私達が主の味方であれば主は私達の味方です。私達も主のために働こうではありませんか。