使徒の働き 17:16~23

知られていない神に

礼拝メッセージ

説教者:佳子師
2024.4.21 礼拝
テーマ: まことの神とは
説教題: 「知られていない神に」
テキスト: 使徒の働き 17:16~23

17:16 さて、パウロはアテネで二人を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。
17:17 それでパウロは、会堂ではユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場ではそこに居合わせた人たちと毎日論じ合った。
17:18 エピクロス派とストア派の哲学者たちも何人か、パウロと議論していたが、ある者たちは「このおしゃべりは、何が言いたいのか」と言い、ほかの者たちは「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言った。パウロが、イエスと復活を宣べ伝えていたからである。
17:19 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが語っているその新しい教えがどんなものか、知ることができるでしょうか。
17:20 私たちには耳慣れないことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなことなのか、知りたいのです。」
17:21 アテネ人も、そこに滞在する他国人もみな、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。
17:22 パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。
17:23 道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。

【新改訳2017】
使徒の働き 17:16~23

偶像と新しもの好きの町アテネ

 ギリシャ文化の中心地アテネには、当時少なくとも三千に及ぶ神殿と神像があったと推定されている。パウロはそこで「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。」が、タルソ生まれの彼にすれば珍しいものではなかった。しかし、キリストの伝道者である彼にとってこの有様は耐えられないものであった。そこで彼は、いつものようにユダヤ人の会堂に行き、ユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ合い、広場にも出かけて出会った様々な人たちと論じ、福音を語った。
 そこには、エピクロス派とストア派の哲学者がおり、パウロが語る「イエス」や「復活」(〔ギ〕アナスタシス)という耳新しい言葉に興味を持った。この両派に属する彼らも、議論の相手を求めて広場を歩いていたと思われる。彼らは、アレオパゴスという評議所にパウロを連れて行き、彼の話を聞きたがった。パウロの語ることは彼らにとって新しい教えであり、珍しいことだったからである。アテネには、学問や芸術、観光などの目的で各地から若者が集まり、新しいものを求めていた。

「知られていない神に」

 パウロはアレオパゴスの真ん中に立って、アテネの人たちは宗教心にあつい(デイシダイモネス―迷信深いとも訳される言葉)と述べた。これはほめているのではない。彼は、神殿の中に「知られていない神に」と刻まれた祭壇を発見した。アテネの人たちは「知られていない神」をも信じて礼拝していたのだ。
実は、「知られていない神」とは昔、この町をおそった疫病から免れるために造られた祭壇であった。古代ギリシャの作家であるディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者の生活』という著書の中に次のような説明がある。「BC600年ごろ、恐ろしい疫病がアテネを襲った。町の指導者たちは、彼らの祀る数多くの神々のうちのいずれかが怒ってその疫病を起こしたのだと信じた。神々にいけにえをささげたが、何の効力もなかった。その時、エピメニデスが立ち上がり、その原因は恐らくアテネの人々が知られていない神を怒らせたために違いないと主張した。彼は、アテネに羊の群れを解き放ち、その羊が横たわる全ての場所で、そこで知られていない神にいけにえをささげるよう命じた。そうして「知られていない神」のための祭壇が至る所に築かれ、その神にいけにえがささげられた。すると疫病は治まった。」
 パウロがアテネを訪れたとき、その祭壇の一つがまだ残っていたのだろう。ギリシャ人たちはどんな神であろうとも、それに関心を示さないとその神を怒らせてしまうと考えた。このような姿を見る時、私たち日本人も似ていると思わされる。八百万の神を祀り、災いが起こらないように食物や酒、水、お金などをささげて祈る。 

まことの神とは

 人間は、大自然(山、川、草原等)を見るとこれを造られた偉大な方、それが神なのかも知れないと思う。でも、それだけでは神を何となく感じる程度のものになってしまう。ジュニア教会(日曜学校)の子どもたちに神様がいると信じているか質問したが、「よくわからないけれども何となくいるのかな?という感じ」と答えていた。
 パウロは、まことの神について次のように語る。全世界、全宇宙を造られた偉大な神は、天地の主である。だから、人間の造った宮などに住むことはない。(「使徒17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。」)また、人間が造った偶像を神としてはならない。(「使徒17:29 そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。」)そのような偶像崇拝を悔い改め、まことの神はこの世をさばくお方(イエス・キリスト)をよみがえらされたことを知らなければならない。

結び

 パウロは、アテネでまことの神について語りイエスの復活を伝えた。だが、そこにいた人々は彼をあざ笑い、またいつか聞くことにすると言って相手にしなかった。もちろん、数は少ないが救われた人々がいたと記されている。そうした事実を見ると、まるで現在の日本宣教のようだと思わされる。私たちは、あきらめることなく、このまことの神を宣べ伝えていこうではないか。