ダビデはなぜ格別な人なのか?
説教者:藤井敬朗
2024/4/28 礼拝説教
【テーマ】 神を讃える人
【説教題】 「ダビデはなぜ格別な人なのか?」
【聖書箇所】Ⅱサムエル全て 22:1-4、31-32.50-51
22:1 【主】がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを【主】に歌った。
22:2 彼は言った。「【主】よ、わが巌、わが砦、わが救い主よ、
22:3 身を避ける、わが岩なる神よ。わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。
22:4 ほめたたえられる方、この【主】を呼び求めると、私は敵から救われる。22:31 神、その道は完全。【主】のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。
22:32 【主】のほかに、だれが神でしょうか。私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。22:50 それゆえ、【主】よ、私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。
Ⅱサムエル全て 22:1-4、31-32.50-51
22:51 主は、ご自分の王に救いを増し加え、主に油注がれた者ダビデとその裔(すえ)に、とこしえに恵みを施されます。」
○ イスラエルの王と言って真っ先に思い出すのは誰でしょうか? ダビデ王を思い出す人が多いのではないでしょうか? イエス・キリストもこのダビデの子孫として生まれると預言されたほどですから、ダビデ王はやはり格別なのでしょう。では、なぜダビデ王は格別なのか考えてみたいと思います。
遂にダビデは王になる
やっとイスラエルの王になる
1.サウル王に散々命をねらわれ逃げ回っていたダビデですが、敵との戦いの中でサウル王が亡くなり、いよいよダビデが王になるときが来ました。ダビデはユダの一つの町ヘブロンに行き、そこでユダの人々によって王として油注ぎを受けました。
2.しかし、サウル家の者たちはダビデに王権を渡す気はなく、サウルの息子イシュ・ボシェテを全イスラエルの王としました(2:9)。しかし、彼は王として神からの召しはありません。一方、ユダの家だけはダビデに従ったので、ダビデは7年半ユダの家で王として活躍しました。その後、サウル家とダビデ家の戦いの結果サウル家は一気に勢力を落とし、ダビデが全イスラエルの王となるのです。
ダビデ全盛時代
1.イスラエルの王となったダビデはエルサレムを勝ち取り首都とし、アブネルの家に20年間おかれていた神の契約の箱を運び、エルサレムの幕屋の中に安置しました。ダビデは神のために幕屋ではなく、神殿を献上したかったのですが、神はダビデの子孫がそれをするとされました。
2.その後、ダビデは連戦連勝でイスラエルはその力と領土において頂点に達しました。
ダビデの大失態!
姦淫と殺人の罪
1.ダビデは神に聞いて事を行う王でしたのでイスラエルは祝されたのですが、皆さんもご存知のように頂点に達したダビデは大失態を演じます。姦淫の罪(不倫)です。ウリヤの妻バテ・シェバはダビデの子を身ごもるので、ダビデはウリヤを戦場の最前線に送って死ぬようにしました。ここに殺人罪(殺人教唆)も犯してしまったことになります。
2.ウリヤが死んだので、ダビデは堂々とバテ・シェバを妻として迎えました。そして、男の子が生まれましたが、 ダビデが行ったことは【主】のみこころを損なった(11:27) と書かれています。
ナタンによる叱責
1.12章で預言者ナタンはこのダビデの罪をたとえを語って叱責しました。 12:4 一人の旅人が、富んでいる人のところにやって来ました。彼は、自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を奪い取り、自分のところに来た人のために調理しました。」12:5 ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「【主】は生きておられる。そんなことをした男は死に値する。12:6 その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない。」12:7 ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。 と。
2.ダビデはそのことで大変悔いました。しかし、ウリヤが生き返るわけではありません。その後、生まれた子どもは死んでしまい、ダビデは激しく嘆きました。王といえども罪を犯すと神はそのことを見逃しはなさらないのです。
なぜダビデは讃えられるのか?
神を愛するダビデ
1.このように姦淫の罪、殺人の罪を犯したダビデですが、彼が讃えられ、神もダビデの子孫を祝福し、そこから救い主を誕生させると言われるのはなぜでしょうか? 彼の少年時代なら讃えられるのはわかる気がしますが、王になったダビデは大きな罪を犯すのですから。
2.ダビデはイエスと違って人間ですから罪人であることは間違いありません。そういう点では私達とどんぐりの背比べに過ぎません。でも、彼が讃えられるのは少年時代からもっていた神に対する純粋さではないでしょうか。神を愛しているのです。罪を犯したことを神の前に悔いてひれ伏す人でした。
神を讃えるダビデ
1.ダビデはそのように神の前にへりくだって罪を悔い改める人で、サウルのように言い訳をしない人でした。そして、神の赦しを体験し、心から感謝した人です。ですから、彼は神を讃えるのです。 22:50 それゆえ、【主】よ、私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。 彼はたくさんの賛美を作ったようです。作ったというより湧き出てきたのではないでしょうか。
2.ダビデが讃えられるのは、彼が人から自分が讃えられることを望んだのではなく、自分自身が神を讃える人生を歩みたいと望んだからだと思います。そして、国民みんなが神を讃えることを願いました。彼は不十分ながらも神を愛することと人を愛することを実践していた人だと言えると思います。これこそイエスの教えです。
★ 決してダビデは私達より立派というわけではないのです。ですが、彼は神の前にへりくだり、悔い改める人でした。神を愛し、神に感謝する人でした。そして、神を讃える人だったのです。この純粋に神を慕うダビデだからこそ格別にその名が語られるのでしょう。
私達も常に神を賛美し続ける者でありたいですね。
Posted by shinnakano
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