愛の権威者イエス

礼拝メッセージ

 2025/3/2 礼拝説教
【テーマ】  イエスこそ真の権威者
【説教題】 「愛の権威者イエス」
【聖書箇所】 マルコ1:21-28
【説教者】藤井敬朗牧師

1:21 それから、一行はカペナウムに入った。イエスはさっそく、安息日に会堂に入って教えられた。
1:22 人々はその教えに驚いた。イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。
1:23 ちょうどそのとき、汚れた霊につかれた人がその会堂にいて、こう叫んだ。
1:24 「ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」
1:25 イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。
1:26 すると、汚れた霊はその人を引きつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
1:27 人々はみな驚いて、互いに論じ合った。「これは何だ。権威ある新しい教えだ。この方が汚れた霊にお命じになると、彼らは従うのだ。」
1:28 こうして、イエスの評判はすぐに、ガリラヤ周辺の全域、いたるところに広まった。
マルコ1:21-28

○ 日本人は水戸黄門のテレビドラマが好きだと言われています。権威を笠に着て弱い者を苦しめている悪代官を、もっと権威のある水戸黄門が、印籠を見せて跪かせ、やっつけてしまうのが何とも気持ちがスカッとすると言うのです。現代の若い人、子どもたちなら「なんとかレンジャー」とかいうヒーローものが好きなのでしょう。見ていてスカッとするのです。今日のテキストのイエスもスカッとします。

愛の権威者イエス

イエスは権威ある者として教えた

会堂で教えるイエス

    1. 1:21 それから、一行はカペナウムに入った。イエスはさっそく、安息日に会堂に入って教えられた。 と、弟子をつくられたイエスが最初に入っていかれたのがカペナウムです。カペナウムはローマ軍の駐屯地があり、商業が栄えていたそうです。イエスはここを活動拠点とされました。

    2.イエスはイエスが召した弟子たち一行と会堂(シナゴーグ)に入り教え始められました。弟子になった彼らも少し前まで、この会堂で律法学者から話を聞き、もしかすると後にイエスの話も聞いていたでしょう。そこに今度はイエスの弟子として出席しているのです。不思議な感覚ですね。

    3.そして、 1:22 人々はその教えに驚いた のでした。この 驚いた という言葉はひっくり返るように驚いたという言葉で、びっくり仰天したということです。その理由は イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである ということです。この時点でイエスの教えを聞いて驚いているのですが、さらに驚くのです。

イエスは権威ある者のようだった

    1. 律法学者たちのようにではなく とはどんな風だったのでしょう。律法学者は人々を裁くような感じで語っていたのかも知れません。当時、律法学者はその地位と自分たちの知識を用いて人々を従えていたので、人々は律法学者に頭が上がりませんでした。つまり律法学者達こそ権威を持っていたのです。

    2.しかし、人々は律法学者とは質の違う権威を見たので驚いたのです。イエスは 権威ある者として教えられた とあります。イエスは律法学者のようでは無かったのです。では、イエスはどのように語られたのでしょうか? 1:15 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」 と、語られたのでしょう。「神の支配がはじまったのだから神に向き直りなさい」ということです。この言葉に権威を感じたのです。

悪霊に打ち勝つイエス

悪霊を追い出すイエス

    1.人々がイエスの教えに驚いていた時 1:23 ちょうどそのとき、汚れた霊につかれた人がその会堂にいて と、悪霊につかれた人がいました。当時、悪霊に苦しめられた人も多かったようです。「悪魔、悪霊なんていない」と言う学者も多くいて、そういう現象を精神病にしてしまう人達もいます。確かに見えず科学的に証明できない悪霊ですから存在証明も難しいです。しかし、聖書は悪霊の存在を記しています。

    2.イエスはそういう悪霊につかれた人々を助けておられました。実際イエスには悪霊を追い出す権威がありました。 1:25 イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。 1:26 すると、汚れた霊はその人を引きつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った のです。人々はそのことの証人でした。(仮に精神病だとしても、それを癒してしまわれるのですから、イエスの権威はやはりすごいではないですか。)私も「悪霊よ出て行け!」と言うことはできますが、私には権威はありません。しかし、イエスの言葉で悪霊が出ていくのですから、言葉の力というより、イエスに権威があったわけです。

神の支配が悪霊を追い出す

    1.一方、律法学者は一見権威があったにもかかわらず、悪霊など追い出すことはできませんでした。悪霊を追い出せる真の権威者がいないために、それまで悪霊どもは自由気ままに振る舞っていたのではないでしょうか。偽りの権威者には悪霊を追い出すことができなかったばかりか、悪霊に用いられてしまっているのです。

    2.彼らだけを悪く言うことはできません。イエスの弟子のユダは悪魔によってイエスを裏切りました(【新改訳2017】ヨハネ13:2 夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた)。また、ペテロもイエスを「知らない」と言いました。悪霊が働いていたかも知れません。悪霊は心身に病をもたらしたり、私たちを支配し、自由を奪ったりします。しかし、神の支配はこういう悪の支配を追い出すのです。

私たちも悪に打ち勝つ

悪霊は人を惑わすことを語る

    1.悪霊は 1:24 「ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」 と、イエスの名を呼びましたが、 1:25 イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」 と言われました。悪霊はイエスを 神の聖者 と呼びました。それはかなり当たっているようでも間違っています。イエスは神の御子です。そして、人々にローマ帝国を打ち破るヒーローのように思わせても困ります。人間より知識のある霊的存在である悪霊の言葉ですから人々は信じてしまうものです。しかし、悪霊の言葉を聞いてはいけません。

    2.イエスは悪霊につかれた人を放っておくことができない愛の方です。イエスには神の愛があります。人が振りかざす権威とは違って、愛の権威をお持ちです。イエスはその権威を用いて自らが十字架に架かられたのです。そして、完全に悪魔の業を打ち破ってくださいました。権威は愛を持って使わなければ意味がないのです。

愛の祈りに力がある

    1.私たちもイエスに愛されています。イエスの弟子たちはあちこちの町や村に遣わされた時、悪霊を追い出せました。 ルカ10:19 確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。 とイエスは語られました。そのように弟子たちはあちこちで病をいやし、悪霊を追い出せました。

    2.しかし、マルコ9章で弟子たちが悪霊を追い出せなかった時に マルコ9:29 すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません。」 とイエスは言われました。祈りは愛です。私たちも悪霊を追い出す権威くらいいただいています。しかし、そんな権威を振りかざすより大事なのは愛です。愛があってこそ、権威は真の権威として力を発揮するのです。大いに愛をもって祈ろうではありませんか。

● 祈りなんかに力が無いと思っている方もおありかと思いますが、祈りは神との会話、つながりです。

★ 真の権威者であるイエスに従いましょう。悪の声に惑わされず、イエスの愛をしっかり覚えましょう。そして、私たちも愛の祈りをさせていただきましょう。