あなたのために祈りました

礼拝メッセージ

2025/3/30 礼拝説教
【テーマ】  十字架を前に
【説教題】 「あなたのために祈りました」
【聖書箇所】 ルカ22:31-34
【説教者】藤井敬朗牧師

22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
ルカ22:31-34

○ 今年は4月20日がイースターです。ということは4月18日の金曜日が受難日(イエス・キリストが十字架で死なれた日)です。イエスの十字架を前にしての出来事を見てみましょう。

https://youtu.be/OpLiWcleJJ8
あなたのために祈りました

イエスの弟子か? イエスを知らないか?

信仰が揺さぶられる

    1.最後の晩餐の席でイエスはユダの裏切りを語られました。そして今日のテキストにある、シモン(ペテロ)がイエスを「知らない」と言うことを前もって語られました。そのシモンがそういう状況に追い込まれることをイエスは 22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました と、説明されました。サタン(悪魔)がシモンを信仰から引き離そうとしているということです。

    2.こういう話は旧約聖書ヨブ記にあります。ヨブはとても信仰深い人でした。ヨブ記を読んでいただくとよくわかると思います。そのヨブが神に忠実なのは神によくしてもらっているからで、もしヨブに不幸な出来事が起こればヨブは神を見捨てるはずだとサタンは言いました。

    【新改訳2017】ヨブ
1:8 【主】はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」
1:9 サタンは【主】に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。
1:10 あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。
1:11 しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
1:12 【主】はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは【主】の前から出て行った。

イエスを「知らない」と言わせる誘惑

    1.ペテロに対する信仰の揺さぶりは何かというと、イエスに敵対する人たちの前で「私はイエスの弟子だ」と言うのか「私はそんな人を知らない」と言うのかという二択でした。命の危険を感じなければ「私はイエスの弟子だ」と胸を張って言えたかも知れませんが、殺されるかもしれない状況に追い込まれたので、「私はそんな人を知らない」と言うことになるのです。これがサタンの誘惑です。

    2.踏み絵を思い出します。今はそういうことが無い時代ですが、もしまたそういう時代が来たとしたら、私たちはどうするのでしょうか?

失敗を失敗で終わらせない祈り

最後は勝利!

    1.悪魔の誘惑に会うシモンに対して、イエスは 22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました と言われました。実際のところご存知のようにペテロはイエス様の言われた通り、鶏が鳴く前に三度イエスのことを「知らない」と言ってしまいました。サタンの誘惑に負けたのでしょうか?

    2.またご存知のようにペテロは使徒行伝で素晴らしい働きをしています。ということは最終的にペテロはサタンに打ち勝っていることがわかります。ヨブも家族を失い、財産を失い、健康を失って、信仰も失いかけたけれども最終的に彼は打ち勝っています。

    3.私たちもサタンの誘惑に会い、攻撃され、ふるいにかけられるかもしれません。そして、信仰的に失敗をしたかのように思う時があるかも知れません。しかし、イエスの祈りはペテロに対して有効でした。同じく、この祈りは私たちにもされているのです。あるいは、私たちがお互いのためにこのように祈ることも必要なのかもしれません。

 失敗はだめなのか?

    1.失敗はダメなのでしょうか? 学校教育の大きな問題は失敗させないようにしていることだと思います。一度に100点を取るようにさせようとする、一度のテストで成績が決められてしまうような態勢でいいのでしょうか? 学校は子どもに失敗を恐れずにさせて、そこからどのように正解に持って行くかを学ばせるところだと思います。

    2.信仰的に失敗したとしてもそれが人生の終わり、地獄行きではありません。あなたのためにイエスの祈られた祈りは有効なのです。また、私たちが互いのために祈る祈りも有効なのです。失敗で終わってしまわないように祈ることができるのです。

信仰が無くならないように祈る

ペテロは決して裏切る気は無かった

    1.ペテロの思いは 22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」 だったのですが、現実は厳しいものでした。サタンの誘惑はそんな簡単なものでは無かったのです。

    2.そのペテロの気持ちもイエスはよく知っておられました。決してペテロはイエスを裏切る気持ちなんてないことをイエスはわかっておられたのです。しかし、サタンはそんな簡単な相手では無いことも事実です。

イエスはすでに祈っておられた

    1. 22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」 と、イエスはペテロに起こる事実を語られました。イエスが単なる予言者ならそれでペテロの人生は終わってしまったでしょう。

    2.しかし、イエスはその前に 22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 と、すでに彼の信仰のために祈っておられたのです。しかもその後の彼の信仰復活も知っておられ、彼の働きを教えておられます。

● 私は2年間教会を離れた経験があります。その間、信仰者である母は私に「教会に行け!」とは一度も言いませんでした。しかし、後になってわかったことでしたが、母は私の信仰が無くならないように祈り続けてくれていました。それによって私は再度教会に行き、伝道の意欲に燃やされました。

★ イエスがペテロのために祈られたので彼の信仰はなくなりませんでした。もしかすると私たちの信仰も誰かの祈りによって守られているのかも知れません。私たちは今祈るべき人はいないでしょうか?