あなたを待つイエス

礼拝メッセージ

 2025/5/4 礼拝説教
【テーマ】  愛と信仰
【説教題】 「あなたを待つイエス」
【聖書箇所】 マルコ2:1-12
【説教者】藤井敬朗牧師

2:1 数日たって、イエスが再びカペナウムに来られると、家におられることが知れ渡った。
2:2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまで隙間もないほどになった。イエスは、この人たちにみことばを話しておられた。
2:3 すると、人々が一人の中風の人を、みもとに連れて来た。彼は四人の人に担がれていた。
2:4 彼らは群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、イエスがおられるあたりの屋根をはがし、穴を開けて、中風の人が寝ている寝床をつり降ろした。
2:5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
2:6 ところが、律法学者が何人かそこに座っていて、心の中であれこれと考えた。
2:7 「この人は、なぜこのようなことを言うのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」
2:8 彼らが心のうちでこのようにあれこれと考えているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを考えているのか。
2:9 中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
2:10 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。
2:11 「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」
2:12 すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。それで皆は驚き、「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と言って神をあがめた。
マルコ2:1-12

○ このテキストは昨年9月29日に語ったところです。「イエスには信仰が見える」と説教題をつけ、彼ら5人の信仰、それによって5人が救われたことを語りました。その同じ個所ですが、今日は特に中風の人を連れてきた4人に着目したいと思います。

あなたを待つイエス

なぜ彼らは中風の人を連れて来たのか?

ずっと祈ってきたから

    1.中風の人と4人の男の人の関係は書いてないですから、どんな関係かわかりません。身内だったのか、友人だったのか? また、ペテロと知り合いだったのかもわかりません。が、彼らにとってこの中風の人は放っておけなかったのでしょう。

    2.私たちはどうでしょうか? 私たちも大変な病気の方を放っておけないですね。何もできないために私たちは祈るじゃないですか。祈るというのは神のところに持って行くことですね。その人を神の所に連れて行くことになるのです。

イエスにはできると信じたから

    1.4人はイエスのことをそんなに詳しく知っているわけではありませんでした。ただ、うわさによってイエスにはこの中風の人を癒す力があると信じていたということです。

    2.自分たちではどうにもできない、今まで祈ってきたけれど何の変化も起きないこの中風の人を諦めたくなかったのです。そこに、イエスのうわさを聞いたのでこのチャンスを逃したくなかったのでしょう。祈っているとチャンスを見出すこともあります。

なぜ彼らは屋根を破ったのか?

他に方法は無かったのか?

    1.イエスのもとにこの病人を運んできたのはわかるとしても、なぜ屋根をはがして病人を吊り下ろしたのでしょうか? 他に方法はなかったのでしょうか? ルカの福音書の記事を見るとこう書いています。 ルカ5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人たちと律法の教師たちが、そこに座っていた。彼らはガリラヤとユダヤのすべての村やエルサレムから来ていた。イエスは主の御力によって、病気を治しておられた と。イエスは当然人々に話をしておられたのですが、また病気をも治しておられたのです。とすれば順番を待って癒してもらってもよかったのではないかとも思うのです。

    2.しかし、待っておれないほどに病人のことを早く癒してほしかったとも思えます。多くの人が癒しを待っていて、この中風の人を優先してあげようというような雰囲気も無かったのかも知れません。何もかもご存知のイエスなのですから病人が中に入れないのなら、イエスの方から外に出て癒してあげればよいのではないかとも思いました。色々な想像ができますが、本当のところはわかりません。わかるのは屋根を破って病人をイエスの前に吊り下ろした事実です。

5人を待っていたイエス

    1.こうしたことを考えると、イエスは彼らがどうするのかを待っておられたように思います。聖書を読んでいると、イエスが待っておられる様子がうかがえるのです。イエスが彼らの行動を知った上で待っておられたとしたら、それは彼らがどのようにして病人をイエスの前に連れてくるかを見ておられたということです。「何が何でもイエスの前に行かせる(行く)」という気持ちを彼らが持つことを待っておられたのかと思います。

    2.イエスは私たちをも待っておられます。確かにいつもイエスは私たちのそばにおられるのですが、直ぐに手出しをする過干渉な方ではないのです。私たちの方から助けを求めたらすぐに助けをくださることもありますが、時にはまだ待っておられることもある神です。

彼らの信仰の成長を信じたイエス

人々の信仰を引き上げようとしたイエス

    1.この話はまだマルコの福音書2章という最初の方なので、イエスの活動が始まって間が無かったかと思います。先ほどのルカの福音書 5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人たちと律法の教師たちが、そこに座っていた。 と、イエスの話を聞いて問題点を見つけて訴えようとしているような緊迫した雰囲気さえあるのです。しかし、多くの人はイエスの話に関心を示していたでしょう。

    2.イエスが 2:5 ・・・中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。 と言われたのを聞くと、パリサイ人達は一気に「酷いことを言っている」と怒りが込み上げてきたでしょう。そういう悪魔の働きも多い中で、イエスは人々の信仰を引き上げようとなさっています。いわゆる未熟な信仰から高めていこうとされているのです。彼らの信仰は未熟でした。成熟していません。

彼らの信仰の成熟のために

    1.この中風の人と彼を連れてきた人達がペンテコステ以後どうなったのでしょうか? きっとどこかの教会の信徒としてしっかりと信仰生活を送り、励んだことと思います。その時に彼らは自分たちのしたことを「屋根を破ったね。すごいことをしてしまったもんだ」「でもその時は必死だったよ」などと話し合って笑ったかも知れません。そうした話(証)をして初代教会のクリスチャンたちは成長していったのでしょう。

    2.使徒の働き6章では祭司も次々信仰に入っているのです。 使徒6:7 こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。 信仰にもいろいろあるようで、正しい信仰であることと、その信仰が成長することは必要なのでしょう。こうした、教会時代を見据えて、イエスは彼らが屋根を破るのを待たれたのです。信仰のために人の意識の壁を破らせたのです。

● 私はよく「子育ては待つこと」と言っています。親御さんが子どものやることを先回りしてやってしまうことがあります。待ってあげると子どもが自分でできるかもしれないのです。また、あれもできるように、これもできるようにと焦ってしまう親御さんがいます。それがため早期教育に走り子どもが失速してしまうことがあります。

★ イエスは全てをご存知でしたから、この中風の人を癒し、かつ彼らの信仰を本物にしようとされたのです。それがイエスの愛です。イエスは待っておられました。私たちもイエスに待たれています。信仰が成熟するようにと。