正しい人には苦しみが多い

礼拝メッセージ

2025/7/6 礼拝説教
【テーマ】  最大の救いとは
【説教題】 「正しい人には苦しみが多い」
【聖書箇所】 詩篇34:19
【説教者】藤井敬朗牧師

34:19 正しい人には苦しみが多い。しかし【主】はそのすべてから救い出してくださる。

詩篇34:19

○ 「真面目に生きている人がバカを見る」というようなことがままありますが、事実正しく生きるには苦労が多いものです。皆さんも苦労されているのではないでしょうか?

正しい人には苦しみが多い

正しい人には苦しみが多い

正しい人ってどんな人のこと?

    1.「正しい」は広辞苑では「①まがっていない。よこしまでない。②よいとするものや決りに合っている。法・規則などにかなっている。きちんとしている。」とあります。「正しい人とは?」に対してまた、こういうことを言っている人がいます。「人の道を歩む人です。具体的にはどのような行いかというと、見返りを求めず、他人の役に立つ行いです。もっと具体的には、例えば散歩時、道路の空き缶を拾う人です。通勤時、自社ビル前に、ゴミクズがあれば、拾って捨てる。そういうことが、自然にできる人です。」

    2.人間社会の法やマナーを守る人、さらには道徳的に良い行いをする人を「正しい人」としているようです。だから「私は警察につかまるようなことはしていない」と言って、自分は正しい人間だと言おうとする人があります。

聖書で言う正しい人とは?

    1.では、聖書ではどのように言っているのでしょうか?  ロ-マ 3:10 義人はいない。一人もいない とあります。この「義人」を聖書辞典で調べると「元来,神の教えを守り行う人のことで,正しい人を指している.しかしこの正しさは,単に道徳的,人格的に完全であるという意味ではなく,神の意志に背かず,従うことである.」 とあります。

    2.聖書の言う「正しい人」は一般的な正しさに加えて、神の目から見ても正しいかどうか? が問われています。つまり、神の思いに沿った生き方をしている人、神の思いを考え、行動している人ということになります。安藤理恵子師は高校生に対してこう言っています。「聖書で『正しい人』という言葉が出てきたら、それは『失敗のない人とか、悪い心をかけらも持たない人を指すのではありません。 むしろ、自分の心に、悪い心、憎しみや暴力、怒りや妬み、そういうものがあることに気づいていて、かつ、その対極にある神の心を知るようになった人を指すのです。」 (いまを生きるあなたへ フォレストブックス p13-14)と。

なぜか、正しい人が苦しむ

    1.道徳的にも正しいことはもちろんかも知れませんが、信仰によって生きる人を正しい人と言っています。 創世記 6:9 ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。 マタイ 1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。 と、「正しい人」と書かれている人がいます。しかし、彼らをはじめ多くの神を信じて生きた人は様々な苦しみを体験しています。

    2.そして何と言っても正しい人はイエスです。 ルカ 23:47 百人隊長はこの出来事を見て、神をほめたたえ、「本当にこの方は正しい人であった」と言った。 と、異邦人から認められたのです。そして、イエスの苦しみは全ての人の罪の身代わりによる十字架の死という最大の苦しみを受けられたのです。

主は救い出してくださる

主とはどのようなお方?

    1.正しい人はいないのでしょうが、同時に聖書は「信仰によって義と認められる」と言っています。そういう聖書の教えを語られたお方「主」とは誰でしょうか? 私たちが今使っている聖書では太字で主とあります。(あるいは【主】)という書き方をしています。これはヘブル語で神の名前 יהוה(「ヤハウェ」という発音と考えられているが、かつてはエホバと読んでいた)をこういう書き方にしており、私たちも「神様」と呼んだり、「主」と呼んだりします。今は「主」と呼ぶことで「イエス様」をも表していることがあります。

    2.聖書でいう神は全ての創造者です。そこで神のことを「創造主」とも言います。私たち人間もこの地球も宇宙も全てをお造りになった方を「神」と呼んでいるのです。人によっては「サムシンググレート」という表現をしている方もあります。何しろ、偉大な知恵なしに人間の存在も宇宙の存在もあり得ないからです。聖書はその神が存在するとかしないとか論じているのでは無く、神が造ったと言っています。

本当に救い出してもらえるのか?

    1.その神が人間に対してどのような気持ちを持っておられるのでしょうか? イエスはこんな風に言われました。 マルコ 2:17「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」 イエスは面白い方です。正しい人こそ救ってくださるかと思ったらそうではなく罪人を救ってくださるそうです。ここでイエスが言われる「正しい人」とは誰でしょうか? 人の前で「自分は正しい人間だ」と言いふらしている律法学者やパリサイ人のような人のことで、「自分は罪人だ」と思っていない人です。

    2.神は罪人を救ってくださるのでしょうか? 今日のテキストの34:19の前後を読んでみましょう。 34:17 苦しむ者が叫ぶと【主】は聞かれそのすべての苦難から救い出してくださる。 34:18 【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる。 34:19 正しい人には苦しみが多い。しかし【主】はそのすべてから救い出してくださる。 34:20 主は彼の骨をことごとく守りその一つさえ折られることはない。 34:21 悪は悪しき者を殺し正しい人を憎む者は責めを負う。 34:22 【主】はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける人はだれも責めを負わない。 とあるように、主は必ず助けてくださるのです。

聖書の言う「救い」とは?

    1.現実の生活で苦しむときにも助けの手を伸べてくださるのですが、最も大事な救いは私たちを罪から解放するということです。罪が私たちを苦しめている元凶だからです。同時にその救いは天国を保障していることになります。

    2.罪から解放されると言うことは、私たちの心が神が住むことのできるところとなったということです。今まで地上では神殿が神の住まいでしたが、私たちの心に神(聖霊)が住まわれるのです。

    3.そうなると私たちは考え方、意思決定においても神の喜ばれることを望むようになるのです。聖霊が神のお考えへと助け、導いてくださるのです。それは同時に幸福です。この地上生活においても神は私たちに感謝と喜びをくださるのです。

● 私の母が「百万人の福音」の読者の詩を読んで感動した詩がありました。小河邦代姉という筋ジストロフィーの方でした。三重県志摩市大王町波切という小さな町に住む方でクリスチャンの少ない町でした。そこで、筋ジストロフィーで確実に死に向かっておられたのですが、不思議に希望のある詩を書かれたので、母は小河さんと文通し信仰を励まし合ってきました。小河さんの甥に脳性麻痺の小学生の大良成富君がいました。彼は小河さんによって求道者になっていました。クリスチャンになった私は大学生の時に小河さんと成富君に会いに行きました。数日泊まり込んで成富君に本を読んだり聖書の話をしたりしていました。筋ジストロフィーの小河さんと脳性麻痺の成富君は癒しを願いましたが、かないませんでした。しかし、イエスによる真の救いを知って喜びを得ました。毎年夏休みに私は訪問しましたが、彼らの信仰に私は励まされました。苦しむ二人をイエスは本当に救ってくださったのです。

★ 神は苦しむ人を助けてくださるのです。そして、その最も大事な救いは罪からの解放です。そのためにイエスが身代わりの十字架にかかって罪の罰を受けてくださいました。これこそ最大の救いです。