脱水症状から回復!

礼拝メッセージ

2025/8/3 礼拝説教
【テーマ】  生ける水
【説教題】 「脱水症状から回復!」
【聖書箇所】 ヨハネ7:37-38
【説教者】藤井敬朗牧師

7:37 イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
ヨハネ7:37-38

○ 暑い夏です。「水分補給をしましょう」と絶えず言われます。しかし、年を取ると水分が足りていないのに「喉は渇いてない」と言ってしまうようです。ですから意識して水分補給しなければなりません。水分が足りないのに足りていると錯覚しているのです。私たちはこの他にも色々な錯覚をしているのではないでしょうか?

脱水症状から回復!

錯覚の人生から

  1.「錯覚の人生」(作詞:藤井敬朗)

    人は皆 何を求めて この道を急ぐのか
    人は皆 何を求めて この坂を下るのか
    満員電車に ゆられゆられて 人の息に 愛も見えない
    時計をにらみ 走り過ぎゆき 歩道の花に 目もくれない
    一日一日が そうして過ぎてゆく これでいいのか
    考える暇も 無いほど 充実したような 錯覚の人生
    いつまでも 過ごしてるのか 充実したような 錯覚の人生
「錯覚の人生」(作詞:藤井敬朗)

  2.ルカ19章にザアカイという取税人が登場します。ザアカイはお金があれば幸せと思ったようで、不正な取り立てをして私腹を肥やしましたが、心からの友人がいませんでした。彼は金さえあれば幸せという錯覚の人生を送った人でした。

  3.しかし、イエスと出会って彼は変わります。イエスは彼の名前を知っていました。私達がイエスをよく知らなくても、イエスは私達のことをよくよく知っておられるのです。

  4.そのイエスがザアカイの友になってくださいました。彼はお金が人生という錯覚に気づきイエスに従いました。そして、彼は人々にも愛を持てる人に変えられました。

  5.また、ヨハネ4章に登場するサマリヤの女は男性問題を抱え、近所の人と顔を合わすのが恐かったようです。そこで井戸に水を汲みに行くのに、人のいない暑い時間帯にこっそりと行っていました。ですから、彼女は自宅に水道(井戸)があれば問題解決すると思っていました。「水道(井戸)さえあれば」という錯覚の人生を送っていたのです。

  6.その誰もいないはずの井戸に行くとなんとイエスがおられました。イエスは彼女の心の問題に踏み込んでこられました。心の痛い話をしたにもかかわらず、彼女の心は喜びに変えられました。井戸の問題なんかどうでも良くなり、自ら人々のところに出て行って、「この方こそ救い主ではありませんか!」と伝えたのです。

  7.「誰も真実に語りかけない」(作詞:水野源三)2,3番

    ②.誰も真実に 話しかけない
     いちじく桑に 登りたるザアカイに
     真実な 愛の言葉をもって
     話しかけた 主イエス様よ
     わが心に 宿りたまえ
              (ルカ19:1-10)

    ③.誰も真実に 話しかけない
       水を汲みに 来たサマリヤの女に
       真実な 愛の言葉をもって
       話しかけた 主イエス様よ
       わが心も うるおしたまえ
            (ヨハネ4:4-30)
「誰も真実に語りかけない」(作詞:水野源三)

喜びの人生へ

  1.サマリヤの女の求めた水は飲み水、生活用水でした。イエスはその水ではない「水」を言われました。 ヨハネ4:13 「この水を飲む人はみな、また渇きます。4:14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」 

  2.イエスが言われた「水」はこの地上の水ではありません。イエス・キリストご自身であり、それは聖霊なる神です。聖霊は私たちの内側から愛、喜び、感謝などを溢れさせてくださいます。

  3.皆さん、砂漠は砂だけで何も無いと思っておられませんか? 砂漠に水を流し続けると草花が咲くそうです。どうしてかというと、風で飛んできた種が砂漠にはいっぱいあるそうです。でも水が無いために芽を出さないだけなのです。

  4.私たちの心が砂漠のようでもイエスがくださる水、聖霊をいただくなら、私たちの内側から溢れ流れて芽を出し、成長し、花が咲き、実をつけるのです。

  5.今日の御言葉です。 7:37-38「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」 砂漠のようなわたしの心にも喜びの泉は湧きました。そして喜びの歌も与えられました。

  6.ジョイフルデイ(作詞:藤井敬朗)

    ①.心の底から 湧き上がる
      熱い愛、喜び、感謝 人々に伝えたい
      ジョイフル ジョイフル ジョイフルディ トゥディ

    ②.広がる砂漠に 泉が湧き
      花が咲く、緑に満ちた 美しい地平線
      ジョイフル ジョイフル ジョイフルディ トゥディ 

    ③.あなたの心の 砂漠に今
      生ける水、溢れて欲しい キリストの愛が 今 
      ジョイフル ジョイフル ジョイフルディ トゥディ 
ジョイフルデイ(作詞:藤井敬朗)

  7.最初にも書きましたが、年を取ると水分が足りていないのに「喉は渇いてない」と言ってしまうことがあるらしいのです。そのため医師は「意識して水分補給してください」と、言われます。水分が足りないのに足りていると錯覚しているので、度々水を飲むように習慣化することが必要らしいのです。日々、聖霊に満たされることです。

● 私がジョイフルデイを作ったのは神学校3年生の時で、夏の派遣で阪神チャペルセンターに1ヶ月派遣されました。その時、高校生の女子グループ「ジョイフル組」という数名のバンドがありました。廣瀬利男先生が派遣の終わりに、私に「このジョイフル組みのために賛美を作ってくれないか」と言われたのです。しかし、私は作ろうと思って賛美を作れるような者ではありません。「作れたら作ります」と言って、神学校に帰る前に数日自宅に戻りました。その夜に祈っておりましたら、「ジョイフル、ジョイフル」とメロディーが湧いてきたので、ギターを抱えて歌い出しました。その時にできた曲です。主を思い、感謝の気持ちをもっていると賛美が湧いてきたのです。私は18才まで神に関して、信仰に関して錯覚していました。それに気がついてイエスを信じることで大きく変わりました。すると、不思議に心の底から湧いてくる喜びや感謝があったのです。それが聖書にあるイエス・キリストの救いであり、聖霊の働きであることを知りました。サマリヤの女の人のように、私も出て行って、人々に「このお方(イエス・キリスト)こそ救い主です!」と叫び続けたいのです。

★ 喉が渇いた時に水が必要なように、私たちはイエスを必要としています。気がつかないで長く過ごさないでいただきたいです。心の飢え渇きに気がついてほしいのです。イエス・キリストからいただく生ける水を飲みませんか。つまりイエス・キリストを心に信じ受け入れるということです。