背負ってくださる神

礼拝メッセージ

2025/9/14 礼拝説教
【テーマ】  シルバー祝福式
【説教題】 「背負ってくださる神」
【聖書箇所】 イザヤ46:1-4
【説教者】藤井敬朗牧師

46:1 「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。彼らの像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は、疲れた動物の重荷となって運ばれる。
46:2 彼らはともにかがみ、ひざまずく。重荷を解くこともできず、自分自身も捕らわれの身となって行く。
46:3 ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
イザヤ46:1-4

○ 「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」という石川啄木の有名な短歌ですが、現代語訳にすると「ふざけて母を背負ってみたけれど、そのあまりの軽さに涙がこぼれて、三歩も歩けない」となるそうです。好きなことをしてきた自分、母はこんなにも痩せ細ってしまった。自分は一体どれほど苦労をかけたのだろう、と、涙を流したようです。今日の聖書の言葉に 背負って とあります。私たちが年を取って自分で歩けなくなっても、神が背負ってくださるというのです。

背負ってくださる神

背負ってくださる方

背負われている神

    1.今日のテキストはイスラエル人がバビロニア捕囚で捕らわれて行った先で見たことです。イスラエル人は、バビロンで偶像の神を見るわけですが、その神々は 彼らの像は獣と家畜に載せられる とあるように家畜に背負われていたのです。そんな自分で歩けもしない神々をバビロニア帝国では拝んでいるというのです。

    2.イスラエル人は、バビロンの神々が動物に背負われてパレードしているのを目の当たりにします。その金や銀の偶像を背負った動物が苦しみ、倒れてしまいます。イザヤもこのパレードを見ていたと思われます。倒れた動物がバビロニアの権力の元で苦しめられている人々の姿と重なるような感じだったのでしょう。

救い出す神

    1.こんなバビロニアに捕囚の民となったのはイスラエル人の罪の結果です。しかし、そんな彼らをも神は見捨てず、救い出すことを約束されました。バビロンで年とったイスラエル人を神が 背負って救い出す と言ってくださったのです。

    2.イスラエルの神は誰に背負われることなく生き生きしておられるばかりか、私たちを背負ってくださるというのです。バビロニア人はイスラエルの神を見下していますが、後にバビロニア帝国は滅ぶのです。彼らの神々は何の力も無かったのです。背負われていた像は何かできたかというと何もできない、自分で歩くこともできない、ただの塊に過ぎないのです。誰をも救い出すこともできないのです。

私を背負ってくださる神

あしあと

    1.イスラエルを背負うと言われた神が今も私たちと共におられます。マーガレット・F・パワーズの「あしあと」という有名な詩を見てみましょう。

『あしあと』
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」

    2.この詩は夢に見たことを書き留めた詩です。読んでいてその光景が浮かんできます。一つの足跡しかない、それは自分だけの孤独の自分の足跡だと思い込んでいたら、その足跡はイエスの足跡で私はイエスに背負われていたのだと知ったのです。何という感謝でしょう。

背負ってくださる神

    1.年配者の方々の人生は重みがあります。戦争をくぐり抜けてきた方もおられます。戦後の食糧難を空腹で死にそうになりながら生き抜かれた方もおられます。その後も経済成長した日本とは言え、仕事を失ったり、重い病気の家族を養ったり、大変な思いで過ごしてこられた方がなんと大勢おられることでしょう。

    2.その背中には常に重荷を背負い、家族を背負い、心身の痛みや疲れを抱え込んでこられたかと思います。そして、年老いて背負えなくなった今、やっと重荷を下ろせた感があるかも知れません。しかし、今度は石川啄木の詩にあるように子どもに背負ってもらう番になったのです。

    3.ところが神はなんと 46:3 ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。 と言われます。神は胎児の時から私達を担ぎ、年とっても背負って助け出してくださるというのです。私達の神はそういうお方です。

★ 今日はシルバー祝福式、神に背負われていることを感謝しようではありませんか。今までたくさんの苦労があったと思いますが、神はその全てを神の栄光としてくださいます。神に背負われて、さらに神の栄光を表しましょう。