
みんなが礼拝者
2026/1/4 礼拝説教
【テーマ】 聖霊に導かれる礼拝
【説教題】 「みんなが礼拝者」
【聖書箇所】 ローマ12:1
【説教者】藤井敬朗牧師
12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
ローマ12:1
○ 昨年、「成熟した教会を目指す」という大きなテーマを掲げて過ごしてきました。実際成熟するには時間がかかるでしょうし、教会の成熟は到達地点があるのかどうかもわからないと思います。ですから、成熟を目指したのです。そこで、今年はその成熟に向けて、教会の大切な礼拝に着目していきたいと思います。礼拝会に来ていても「心そこにあらず」では礼拝になりません。YouTube礼拝をしてくださっている方々も多くあります。それも礼拝ですが、やはりただ画面を見ている「礼拝を視聴している」のでは礼拝ではありません。単にリアルに礼拝参加することを目指すというのではなく、また日曜日の礼拝会だけを礼拝と捉えるのでもなく、真に心のこもった礼拝をささげることが大事です。
礼拝とは何か?
神に仕える喜びを味わう時
1.英語の「礼拝」には、Service(神に仕える)、Worship(価値あるものに栄光を帰す)、Liturgy(皆で捧げる)の三つがあります。 すなわち、礼拝とは「皆で共に集い神をほめたたえ神に仕える」ことなのです。神を礼拝するとは,神に愛と敬意を示し,奉仕し,献身することです。それは厳しい義務ではなく、喜びなのです。
2.ある教会のホームページにあった記事です。Q3:礼拝とは何ですか? 何をするのですか? A.毎週日曜日に教会で行われている礼拝は、神様を拝む集いです。拝むと言っても柏手(かしわで)を打ったり、いわゆる「拝礼」をするのではなく、聖書が朗読され、その箇所が告げている神様からのメッセージを伝える説教が語られ、讃美歌が歌われ、祈りがなされる、ということを通して、生きて働いておられる神様との出会いの時を持つのです。最初は、説教という講演を中心とする講演会のような印象を持つかもしれませんが、出席しているうちに、講演会ではない、神様を拝む礼拝の意味が分かってくると思います。
神と共に過ごしたい時間
1.礼拝を説明するのはなかなか難しいかと思います。私が思うに、礼拝は神との大切な時間、緊張した時間というより、大好きな方とこの時間を大切にしたい、もっと長く過ごしたいと思う時間だと思います。つまり愛の時間です。礼拝とは神に愛され、神を愛する時間と言えるかと思います。
2.神はいつも共におられるのですが、礼拝は他に何もしないで神と共に過ごす時間であると思います。神との交わりであり、神からの語りかけとそれに対する私達の応答と賛美からなります。 礼拝はすべての活動の基礎です。 礼拝の中心は神の言葉で、新しい週のはじめの一歩を踏み出す力をそこからいただきます。
どのように礼拝するのか?
自分を献げて礼拝する
1.では、神に喜ばれる礼拝とはどのような礼拝であり、私達はどのように礼拝すれば良いのでしょうか? あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。 とあるように私たちのからだを献げることのようです。そのからだは 生きたささげ物として です。 生きた の反対は「死んだ」ですが、死んだささげ物としてではダメだということです。
2.旧約時代の礼拝は神殿や幕屋で、連れてきた家畜を屠って献げました。それによって人々の罪を神が見過ごしてくださったのですが、完全な生贄はイエスでした。生きたままのイエスが十字架で屠られたのです。
3.そのように私達も 生きたささげ物として 献げに来るのですが、 聖なる生きたささげ物として と「聖なる」という言葉が付いています。いったい誰が聖なる人間でしょうか? 旧約時代の生贄は傷の無い家畜でした。私達は心身に傷の無いささげ物と言えるような人はいません。皆、罪人ですから。つまり、イエスによって罪赦されなくては聖なる者になれません。イエスを信じ受け入れたあなたこそが 聖なる生きたささげ物 なのです。
礼拝は守るものか?
1.礼拝を守るという言い方があります。決して間違いとは言えないと思いますが、誰のために守ると考えるのでしょうか? 私達が神から呪われないために守るのでしょうか? 偶像礼拝をしている方の中に「たたりが恐いから拝みに行く」と言っておられる方がありました。自分が守られるために礼拝を守るということでしょうか?
2.あるいは神のために守るのでしょうか? 神は私達に礼拝を守ってもらわないと大変なことになるお方でしょうか? 神は私達に礼拝を守ってもらう必要など無いお方でしょう。ですから、礼拝を守るというよりこの礼拝は神から与えられたものとして喜んで献げるものなのです。
リアルな礼拝
コロナ後の教会
1.コロナのために日本中の教会は大きく変化しました。多くの教会が礼拝のオンライン配信をして礼拝会を継続しました。会堂に来てもソーシャルディスタンスということで、互いの距離をとり、握手を避け、賛美を減らし(ある教会では声に出さずに賛美していました)、無言の祈りをし、聖餐式も中止したり(特別な形で行う教会もありました)、色々な集会・交わりが中止されました。
2.コロナ後も配信が続き、多くの教会の礼拝に変化が生じました。そこで色々な検証が行われ、「礼拝」とは何かが問われるようになりました。そこで、リアルな礼拝と礼拝のオンライン配信について何が大事なのか考えている教会は多いです。
聖霊に導かれる礼拝
1.使徒の働きに出てくる初代教会の礼拝と交わりの姿からは現代の教会の姿とはかなり違うと感じる人は多いでしょう。そして時代と共に教会も変化しています。アメリカのミネソタ州のルーテル教会やメソジスト教会は教会の中心的な礼拝を「日曜日の朝」ではなく「水曜日の夜」に移す試みがなされているそうです。信徒や世の中の状況に合わせて変化しているということです。
2.聖餐式もかつては直接パンを手で裂いていましたし、ぶどう酒はカップで回し飲みでした。今そんなことはできません。小さな杯を一つずつ使うようになっていったのです。ましてやこのコロナでさらに変わりました。
3.ではこういう中で私達が本当に大事にしなくてはならないのはなんでしょうか? 「想起すること」と言われています。礼典・儀式はあくまでもそのものに何の力もありません。信仰をもって受けるというのはある種「想像力」を働かせることなのです。見えないけれどもイエスが共におられると想像・想起するのです。これが「信仰」と言えるかどうかは人それぞれかも知れません。しかし、主を思う時、聖霊が働かれないわけが無いのです。聖霊が私達の思いを引き上げて下さるのです。そうであれば、会堂であろうが、YouTubeであろうがリアルな礼拝になるのではないでしょうか。
★ 礼拝を仕切っている人だけが礼拝者ではありません。イエスのそばに座り込んで話を聞いたマリアがほめられたように、私達もイエスのそばに座り込んで、イエスの言葉に耳を傾けて、共にいることが嬉しくてたまらない礼拝をしましょう。みんなが聖霊に満たされ、聖霊に導かれる礼拝者でありたいです。みんなが礼拝者です。
□( )に書き込んでみてください。
ですから、兄弟たち、私は神の( )によって、あなたがたに勧めます。あなたがたの( )を、神に喜ばれる、聖なる( )ささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたに( )礼拝です。
□ あなたはどのように礼拝しますか?
Posted by shinnakano
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