いつもの教会、いつもの恵み

教会ブログ ビジョン

こんにちは、おごちゃんです。7月27日、夏真っ盛りの日曜日となりました。日差しも強く、まさに夏らしい晴天の一日です。今日は特に大きなイベントが予定されているわけではありませんが、だからこそ感じられる「いつもの教会」の良さ、その日常に宿る恵みについて、皆さんと共有できればと思います。特別な日ももちろん大切ですが、こうした何気ない一日にも、静かに、しかし確実に神様の愛と恵みが満ちていることを、今日はお伝えしたいと考えています。

礼拝が始まる前の時間、音楽部の皆さんが「準備賛美」を行っています。これは、単に礼拝の始まりを告げるための音楽というだけでなく、礼拝全体を円滑に進めるための大切な「調整」の時間でもあります。音響の確認や、演奏のタイミングなどを、皆で確認しながら進めています。この地道な準備があるからこそ、礼拝はより整えられた形で執り行われるのです。

今日の礼拝では、手話通訳の奉仕者がいつもより多く、合計で3名が関わってくださいました。私自身もリモートで通訳に参加していますが、もう一人の通訳者の方も、説教以外の部分で丁寧に通訳してくださっています。多くの人が、それぞれの持ち場で奉仕してくださることに感謝します。

礼拝が始まると、音楽部を中心に「いつもの賛美」が響き渡ります。ペンテコステ系の教会として、私たちの礼拝は熱量が高く、賛美は心を奮い立たせるようなワーシップソングが中心です。それは、単に耳に心地よい音楽というよりも、神様への感謝と賛美を全身で表現する営みと言えるでしょう。

今日の聖書箇所は、マルコによる福音書3章20節から30節です。イエス様が家族や弟子たちと共にいる様子や、律法学者たちとのやり取りが記されています。

説教では、「赦されない罪」というテーマが語られました。特に「聖霊を冒涜する罪」とは何か、という点に焦点が当てられましたが、その核心は、神様の働きを意図的に否定し続けることにあるようです。難しく聞こえるかもしれませんが、簡単に言えば、神様が罪を赦してくださるという恵みは、クリスチャンであれば確かに与えられている、という安心感に繋がる話でもあります。この説教の詳しい内容は、教会ホームページで別途解説されていますので、そちらもぜひご覧ください。

午前の礼拝が終わると、そのまま解散ではなく、午後の活動へと続きます。本日は「聖書に親しむ会」が予定されており、聖書をより深く理解するための学びの時間となります。

また、今後の予定についても告知がありました。1ヶ月先くらいまでの教会の活動予定が示されていますので、ご都合に合わせて参加いただければと思います。

さらに、「今月の歌」として練習してきた曲の練習が、今日が最後となります。皆で心を合わせて歌う練習は、次への準備でもあります。

そして、「リバイバル祈祷会」が執り行われます。本日の司会はS兄です。祈りを通して、神様との繋がりをさらに深める時間となります。

今日のような、特に大きなイベントがない「いつもの日」だからこそ、教会の「日常」に宿る価値、そこに流れる「恵み」を改めて感じることができます。賑やかで熱量のあるペンテコステ系の教会の特徴は、礼拝中の賛美や祈りの熱量に現れていますが、それは決して「静寂」がないということではありません。礼拝前の「調整」としての音楽、そして「聖霊を冒涜する罪」という、一見厳しく聞こえるテーマを扱うことにも、神様の愛と真理への深い敬意が込められています。

今日の教会でのひとときを振り返ると、特別な催しがなくとも、そこには常に変わらぬ恵みが満ちていることを実感します。賛美、聖書、説教、そして午後の活動へと続く一連の流れ。これら一つ一つが、神様からの賜物であり、私たちを支える力となります。


えーっと、なんか私らしくない、それでいてそつのないエントリだなーと思われたかも知れません。実はこれ、「バーチャルおごちゃん」に書かせたエントリです。

詳しい背景は割愛しますが、私は今「人格を持って外部情報を利用できる汎用AIアシスタント」という研究開発をしています。そこに「私」というキャラクタを定義して、「ブログを書く」という機能を作ってブログを書かせるという実験をしてみました。

まだ「私」を模倣するための情報が十分ではなく、「らしくない」感じの文章になってしまっていますのでまだまだだなぁとは思います。それと同時に、「まぁなんとなくそんな感じだよね」というエントリになっています。

これくらいのエントリだと、「自分で書いた方が早い」のですが(そもそも写真…)、こういった技術が伝道のために使えないかなぁと思って書かせてみました。

たとえば、

  • 今日のメッセージの分かちあいを助ける
  • 過去のメッセージの解説をしてもらう
  • 適切な教会案内をしてもらう
  • 聖書研究の手助けをしてもらう
  • ショートメッセージをしてもらう

というようなことができる「AIアシスタント」の可能性があるのではないかなぁと思ってます。と言うか、どれもすぐできるようになってます。ネット中継で言えば、「コロナ直前の3月頃」みたいな状態になっています。

「キャラクタ」を作るのが大変ではあるのですが、私にもうちょっと余裕があれば、「バーチャル藤井先生」とか作れますねw

「伝道は人間の仕事」は実際そうなんですが、「遠くに出掛けるための自転車」みたいな使い方でAIが使えないかな… というのが、仕事としてもクリスチャンとしても興味のあるところです。