奇跡が起こった採用試験

子育て通信

採用試験に臨む

  (前号から続けて)
  忙しい一年を過ごしている中で今度は夏に行われた採用試験一次試験に合格したのです。この試験も不思議でした。

  二次試験で試験会場に行った時のことですが、私は養護学校(今の支援学校)の教師になりたかったのですが、主免許と言って養護学校教師の試験では無く、私の場合中学校美術教師の試験を受けなければならなかったのです。前回一次試験で落ちてしまいましたから、二次試験がどんな感じだったのかもわからないままでした。
  そこで、その二次試験を受けるために試験会場となった高校に行ったのですが、大きな高校でした。その会場が美術と体育の教師を目指す人だけの会場になっていました。「いったい今年は競争率何倍なんだ?」と恐る恐る自分の受験する教室を探し、中に入るとみんな何やら本を開いて勉強しているのです。

美術史なんか忘れてた!

  学校現場で毎日クタクタになるまで働いていたので、勉強はほとんどできない私で、正直なところ、今回もダメかもと思っていたのが不思議に一次試験を通過した私です。二次試験の準備なんて全くやってもいませんでした。それが、会場に行ってみると皆さん勉強をしているではありませんか。「美術だぞ。今さら何を勉強するんだよ?」なんて思いながら、そっと覗いてみると「美術史」を勉強しておられるではありませんか。バカな私はそこでハッとしたのです。「そういえば美術には美術史もあったんだ!あーー、何もやってない」養護学校に勤めることしか頭になかった私は大学生時代から美術史もそこそこ単位をとっただけで、採用試験に美術史があることすらわかっていませんでした。「あー、今年もダメか」と思いつつ、みんな本を開いているので、格好だけでも付けとこうと思ってカバンの中から聖書を出して、しばらく聖書を読んでいました。

例年と違う問題

  さて、試験官が入って来られて、一気に雰囲気が重くなりました。「はじめ」の言葉で問題用紙を表にすると、何と美術史の問題が一問も出ていないのです。そして、今までに出たことのない問題、生徒の作品に対する評価だとか、授業で真面目に取り組まない生徒に対する対策とか、後はレタリングの問題と部活動のマーク作成の問題でした。これらは現場で短い期間とはいえ働いた私には書き込みやすい問題でした。
 それと、画用紙1枚を切って好きな立体を作るという試験でした。これはかなり厳しかったですが、なにやらイメージが湧いたのです。短い時間で、作り上げられない方々が多くいらっしゃったのですが、私は一応完成させました。お陰で私は二次試験を突破したのです。この年の試験は大幅に内容が変えられたという話が後日流れました。それは中学生の様子が変わってきていて、学校も生徒に対する対応に難しさを感じていたからで、知識よりも現場対応力を見たようです。

三次試験に向かう

  美術の場合は筆記の二次試験に次いで実技の三次試験があります。美大卒の学生たちがわんさかいるのが美術科です。「今回、まぐれでここまできたけれど、いよいよここで終わるのか」と思い、三次試験の日、受験会場の高校に行きました。まだまだかなりの受験者数でした。
  試験は最初に画用紙と紙風船が配られ、黒板に課題が書かれました。「紙風船を膨らまし、適当な形にして、あと自分の持ち物の中から何か一点選び、それを水彩絵の具で描きなさい」というようなものでした。水彩はまあまあ得意でしたが、紙風船を描くのは初めてでとても難しかったです。回りを見ると「さすが美大」と思えるような絵を描いておられました。

  次の課題は机の上に大きな粘土の塊が置いてありました。「粘土で球体を作り、それを一つの面で切り分けなさい。そして、その二つをデザイン的に配置しなさい」というような課題でした。球体は作れましたが、一つの面で切り分けるというのが、糸を持っていればできたのですが、カバンの中どこを探しても糸らしきものは無くて(糸を持っていた人はやはり糸で切っていました)、カッターナイフでやれるだけやってみようと切りました。でも大きな球体なので、なかなか思うような曲面に切れません。切っては二つを合わせて球に戻し、その切った面がきれいになるまで整えてみました。そして、その配置がまた難しかったです。
  「やれやれやっとできた」と思ったら、画用紙が配られて、「それを鉛筆デッサンしなさい」という課題が追加されました。まあ、鉛筆デッサンは得意とは言えないまでも、好きでしたから、制限時間内に描き上げました。でも、美大出身者に勝てるわけが無いと、諦め気分で帰宅しました。

健康診断はやばい!

  祈ってくれていた母が「どうやった?」と聞きますが、「できた!」とはとても言えませんでした。それは一次試験も二次試験も同じでした。
  そうこうしているうちに発表です。なんとなんと合格していたのです!!驚きしかありません。神様は試験官の目に何か細工したのかと思ったくらいです。

  そして次が健康診断でした。健康にも視力にも自信のない私です。血圧が計られた時、いつも血圧の高い私(若年性高血圧と診断されて運動制限されていた私です。150以下になったことがないのです)は、即座に医師に聞いてみました。「はい。130ですよ。問題無いです」と。これも驚きでしたね。次に大問題の視力。確か0.6以上見えなくてはならなかったと思います。右目は絶対ダメです。左目でどこまでカバーできるのか。視力表を見たとき、なんか0.6以上が見えたんですよね。これまた合格でした。

面接にこぎつけた

  次は大阪府の面接でした。5人の受験生に4人の面接官。お決まりの名前などが聞かれた後、突然「中学校の制服についてどう思いますか? ある方がいいですか? 無い方がいいですか?」というような質問でした。私は経済的に厳しい家庭の子達数名が来ている養護学級を担任させていただいたので、彼等が私服だと困るだろうと思いました。そこで、「制服がいいです。理由は・・・」と答えるとそれ以上質問されなかったのです。他の受験生は「私服でもいいと思います」とか言って色々質問されていくのです。それを聞いて「私はこう思う」と言いたいのに、私には全く出番がなかったのです。もう一問聞かれましたが、忘れてしまいました。確か生徒指導の質問だったように思います。これも私は一度だけ発言しただけで終わってしまいました。と言うことは「『こいつはダメだ』と判断されたのかな?」と思い、また帰り道、足が重かったです。ところが、合格だったのです。

最終面接だ!

  そして、遂に高槻市の面接になりました。何と美術採用が2名だけでした。面接官にあのよく知っている教育委員会の次長さん、課長さんがおられました。私を見てニコッとしてくださったので、どれほどホッとしたことでしょう。
  この面接はほとんど覚えていないのです。ただ、私のことを知っている方々が面接官だったので、産休講師の私を高く評価してくださっていました。私はただ楽しく仕事をしただけなのですが。

  そして、少しして採用通知が来ました。
  私はこの教員採用合格の奇跡を当然喜びました。
  というか私はただただ神様のあわれみによってここまで来ることが出来ただけだったのです。本当に神様はあわれみ深いのです。
  このあわれみ深い神に今も愛されています。

 【主】は情け深く正しい。まことに私たちの神はあわれみ深い。

詩篇 116:5

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Posted by shinnakano