自然は神様からのプレゼント
20年が過ぎました
私達一家が東京に来て20年が過ぎました。さすがに20年経つと大きな変化がありました。私は68才になり、子ども達も社会人となり娘二人は結婚し、一人の孫が与えられました。
こちらに赴任してきてすぐに主任牧師の葬儀、会堂の外壁工事・内部リフォーム、中学校のPTA会長、そして3年目の2006年夏に腰の手術、ひとときのうつ状態、なんとか持ち越して子ども達の集まり、子育ての会を頑張ることができましたが、心臓病になり、その後、三叉神経痛、頸椎症、そして、昨年からの膝の半月板損傷、どうなってるのでしょうね。痛みの無い日はありませんでした。
そういう私が毎日笑えるのは神様の恵みとしかいいようがありません。その恵みの一つは礼拝です。神様と教会のみんなに会えるのは本当に嬉しいのです。そして、子どもセンターをはじめとする子ども達との時間です。楽しいです。
私達のことは忘れても
この子どもセンターは3月10日(金)に卒園式をしました。毎年この時期を迎えるときにさみしさを覚えますが、同時に大きく成長した子ども達を見て嬉しくもなります。2-3才の時期の子ども達ですから、大きくなると子どもセンターのこと、私達のことも忘れてしまいます。それでも私はこの子どもセンターの働きは大事だと思っています。なぜなら私達や保育士のことは忘れても、神様・イエス様のことが心に残っているからです。
かつてのアメリカでの調査で青少年犯罪が教会に通っている子ども達にはグッと少なかったという結果を聞いたことがあります。その理由として考えられるのは目に見えない神様・イエス様がいつも自分のそばにおられて見ているから悪い事は出来ないとストップをかけるためです。親などの目に見える大人によって子どもの時に善悪を教えられますが、大きくなっていき、親の目が届かないところに行きます。そうすると目に見える親がいないので、見られていないから何をしても大丈夫と思い、悪い事もしてしまうのです。
愛の体験と知識
9才の壁(あるいは10才の壁)と呼ばれる時期を子ども達が迎えると脳の発達が大きく変わってくるそうです。知的な部分が発達し、さらに抽象的なことを考えることができるようになってきます。私は神様がその段階に来るまで、子どもの脳を大人的な考えから守っておられるように思います。つまり、見えない神様を心で受け入れるのです。その神様・イエス様のことを知的に理解するのはたぶん9才の壁を越えていった時だと思います。その知識をしっかり自分のものにするにはその前の幼児期に心と体で色々体験しておくべきだと思います。
「愛」はお父さんやお母さんに愛されることで覚えていくものです。それは「愛してるよ」という言葉で覚えるのではなく、お父さん・お母さんに抱きしめられることやおっぱい・ミルクをもらうこと、おしめを替えてもらうことに始まり、美味しいご飯を用意してくれたり、一緒に遊んでくれたりすることで覚えるのです。抱きしめるときには「大好きよ!」とか「愛してるよ」とか笑顔で言ってあげることで子どもは「愛」というものを覚えていき、後に知識としての「愛」を知ったときに体験と知識がくっついて心がさらに発達すると思います。
自然からの教育
幼児教育の大切さは言われるものの、テストの点数のようにしてその発達が量れるものではないためにどういう教育が子どもに良いのかなかなか難しいところがあります。子どもは体を動かすことが好きですから、運動中心の教育もありですが、子どもは空想の世界も好きです。絵本の読み聞かせ、落書き、粘土遊び、積み木遊びなども大事な教育でしょう。
私はできるだけ自然に触れることが大事だと思っています。神様は私達人間のためにこの世界をお造りになりました。子ども達がその自然に触れていくとその神経が伸びてきた手先足先を通して色々な感触を受けとり、そこに刺激が行き、脳が発達します。
子ども達はよく散歩中にでも足もとの草花を見て座り込んだりします。大人より視線が低いですから、道端の草花に目が行きやすいのです。そして、眺めるだけでなく、触ることが多いでしょう。触ってその感触を覚えていくのです。つるつるした葉っぱ、ざらざらした葉っぱ、ちぎりやすい葉っぱ、なかなかちぎれない葉っぱ等々、単に知識として教えることのできないものすごい情報量を子ども達は自然の中から取り込んでくるのです。
子どもが心配
「子どもが心配」(養老孟司著 PHP新書p140)に 自然界をよく見てみると、縦線も横線も、そして曲線もとても豊富です。一方、人工の世界は、たとえば都市を見ると、横や縦の直線が異常に多いことがわかります。プラスチックの造花を部分的に拡大してみても、大きな変化は見られませんが、自然の花々は拡大すると次々と違う世界が広がります。このように豊かな情報を乳幼児期に取り込むことが、一生の宝になると私は思います。
と書いておられます。
大人も自然に触れることで元気をいただきます。草花を見ることで不思議なほど心から安らぎます。
外国人タレントが言っていた言葉ですが、「日本人がこんなにも桜に対して他の花と違う意識を持っているのが不思議でならない。なぜ桜の木の下で宴会をするのだろう?」というようなことでした。
私にとっては当たり前のように思っていたことですが、外国人には不思議に思える桜への思い。入学式頃に咲く桜(最近はもう散っていますが)だからでしょうか? とにかく桜に限らず、人というのは花でやすらぎを得るものなのです。もちろんそれだけではありません。緑の森や林の持つ癒し効果もすばらしいものです。
養老先生が言うように自然界は縦横だけではない、実に複雑な造りがあります。そういうのが人の心を落ち着かせるようです。子ども達は本能的にそういう複雑な自然を好むのです。
土いじり
鬱の人に土いじり(畑、花壇造りなど)をしてもらうことで鬱が回復するとも言われています。
農業をされている方に健康な方が多いのは体を動かしていることと、こうした自然からいただく心の安定があるからではないでしょうか。
その土いじりは陶芸でも同じような効果があると言います。つまり粘土です。子ども達が粘土遊びを好むのは、楽しくかつ心が落ち着くことを体が要求しているからではないでしょうか。自然は神が人間に与えてくださった精神バランスを整えるすばらしい被造物だということです。
神に愛されている
神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。(創世記1:11-12) と、聖書の最初「創世記」にあります。人間が創られる前に神様は人間に絶対必要な自然界を見事に整えてくださっています。
私はこうして私達のことをとても大事に思ってくださる神様を愛しています。なぜかというと、こんなにも私のことを愛してくださっているからです。
子どもが親の愛を感じて精神的に安定してくるように、人間というのは創り主である神様に愛されていることを知ることでとても精神的に安定するものです。
子育てにおいてもお父さんやお母さんの精神的安定は大事ですよね。それは親に愛されたこともですが、神様に愛され続けていることを知ることが大事だと思っています。聖書は「あなたは愛されていますよ」と私達に語り続けている書なんです。