子育ての会

子育ての会

子育て通信

  (藤井敬朗の人生を神様に感謝しながら書いています)

  新年、おめでとうございます。
  今年もよろしくお願いいたします。
  コロナはいつ落ち着くのかと気になりながら、どのように教会活動をすれば良いのか未だに悩んでおります。
  今年はここ数年できなかったイベントができるように願っています。

子育ての会始める

  私達夫婦が新中野キリスト教会に赴任した2003年4月。前任の村上知子先生に「子育ての会をしたいのだけれどよろしいでしょうか?」とお聞きしましたら、二つ返事で「してください」との答えをいただきました。
  第一回目はこどもセンターにお子さんを預けておられるお母さん数名が出席してくださいました。場所も今と同じ場所です。とても懐かしく思い起こします。最初は私なんかそっちのけで大笑いの話し声が響きましたが、それが何とも言えない良い雰囲気で、コーヒーを飲みながら、喫茶店とはまた違ってゆったりと過ごせました。
  毎月、子育ての会に数名のお母さん方が出席してくださって、こどもセンターでの様子をお話ししたり、お子さんのことでの悩みをお聞きしたりして、とても楽しく過ごしていました。そうする内にだんだん我が子の気になることなどを話してくださるようになりました。最初の頃のような笑い声が消えて深刻な話になったこともあります。

個別相談

  その内、お母さん方がお友だちを誘って来られたりして、こどもセンターとは関係のない方々も来られるようになったので、子どもの発達などについて話をするようになりました。またその頃には一般的にも知られるようになった「発達障害」のことに関心が集まっていて、「うちの子も発達障害ではないでしょうか?」ととても気になさるお母さん方もおられました。まだまだ今のように発達障害に対する情報が無かったからです。私も知識が少なかったので、多くの本を買いあさり、またネットでも調べたことを思い出します。
  そうこうしているうちに個別相談も増えました。私は医師でも教育博士でもありませんから大したことはお話しできなかったのですが、現実の子どもの話を聞くことは多くの本を読むよりも勉強になることがありました。

子育ての会の始まり

  子育ての会は前任の高槻キリスト教会(大阪府高槻市)で15年以上行っていて好評だったので、新中野でも行わせていただいたのです。
  高槻では、最初から「子育ての会」を始めようとしたのではなく、あるお母さんから小学4年生の男の子が万引きしたことの相談を受けたことがきっかけでした。そこで、その子の万引きが初めてであることを聞き、ここでしっかり「もうしてはいけない」ということを教えることを伝えました。それは警察の方から、万引きは初犯でしっかり悔い改めてくれると再犯しにくくなること、しかし2回、3回と続いてしまってからだとなかなか止められなくなると聞いたからです。
  さらに「9才の壁」などのお話しをして、子どもの成長・発達について少しお話しさせていただいたところ、一緒に来られていたもう一人のお母さんが、中学3年生の女の子が急に父親と話をしなくなったことを相談されました。別に何か悪い事をしているわけではないことを確認したので、思春期、特に反抗期にありがちなことをお話ししました。そして、しばらくするとそういうことも無くなる可能性が高いこともお話ししました(この子の場合、半年もすると自分からお父さんに「ゴメンね、無視したりして」と言ってきたそうです)。
  そこで、この方達が「もっとそういう話を聞きたい」と言ってくださったので、教会で月一でお話しすることにしました。教会堂も建て上げたので、教会でこの集まりを行うと、お友だちを連れて来てくださったり、教会のメンバーも参加してくれたりして一気に人数が増えたのです。

内容も豊富になってきた

  その頃の私は若く、長男も生まれたばかりで、集まるご家庭にも赤ちゃんが多かったこともあり、私の学んできた「思春期」を話しているだけでは物足りなくなりました。そこで、もう一度発達を学び直し、子育てを考えることにしました。こうして幼い子どものことから思春期に向かう子どものことをお話しするようになったので、自然に「子育ての会」と名付けられました。
  子ども達の成長と共にお母さん方の心配事も増え、子育ての会では質問も増えてきました。こういう時に先輩ママの発言はとても力があり、若いお母さん方を納得させました。私もとってもよい学びの時となりました。
  また、障害を持つお子さんのこと、叩いてはいけないと思いつつ叩いてしまうお母さん、友だち関係や勉強等々の難しさを味わっている子など様々な課題が出てくるようになり、みんなで話し合うことが多くなりましたが、それはとても良かったと思っています。そこに毎月20名くらいのお母さん方が集まっておられました。

教会外でも始めた

  そうした頃、出産で来れなくなった方の近隣の方が「子育ての会」のことを聞いて「私も聞きたい」と言っておられることを知りました。そこで、ご自宅を開放してくださる方もあったので、その家庭で毎月5-7名の「子育ての会」を行いました。すると、同じようにしてもう一ヶ所(ある方のご自宅で10名ほど)、またもう一ヶ所(ここはマンションの集会室を無料で借りることができ、20名ほどの参加者がありました)。
  合同で「子育ての会クリスマス会」を行いましたら、親子で120名出席という大変なことになりましたが、みんなでカレーを食べて人形劇をしたりして楽しく過ごしました。しかし、大変だったので、次からは各子育ての会で行うことにしました。

  この働きを知った神戸の先生が「うちの教会でもして欲しい」と言われるので、2ヶ月に一回のペースで行いました(間の月はメンバーで食事会やバーベキューなどの集まりをされたそうです)。

新中野キリスト教会で

  そうして我が子達も思春期に入った頃に、私達の転勤が決まり、新中野に来た次第です。ここではこどもセンター、子どもクラブ(後のキッズクラブ)の働きがありますので、それを通して出会ったお母さん方と子育ての会を始めたのです。

  その頃の子どもセンターは月曜~金曜まで行っていました(水曜日だけは午前中保育でしたが)。しかも現在の2歳児保育ではなく、3歳児保育でした。しかし、地域の幼稚園が年少さんからの保育を本格的に始めたために子どもセンターは方針を変更せざるを得ませんでした。地域の方のニーズから幼稚園に上がる前の2歳児保育が期待されたので変更しました。

かつての子どもセンターで

  私達が赴任してきて子どもセンターに関わった頃は週5日の保育で、水曜だけ午前保育でした。その水曜日は11時半から子どもセンターを卒園した子ども達中心に幼稚園児が集まる「キッズクラブ」を行っておりました。ここには保育士以外にもスタッフがつきましたが、午前から続いてこの働きをした保育士達は結構なしんどさだったと思います。
  また、春には新宿御苑に行き芝生でお弁当を食べ、遊びました。秋は狭いものの屋上で運動会をして楽しみました。クリスマス会は今と同じです。
  しかし、状況はどんどん変わり、幼稚園で2歳児の一日保育などが始まったためにまたしてもこどもセンターの見直しが行われ、今の形になったわけです。

  こどもセンターのお母さん方の同窓会のようなものが教会で持たれたこともあり、クリスマス前には一緒に子育ての会の場所でリースづくりをされたこともありました。
  後に始まったマスカット・エンジェルの「親子フリースペース」にもよく通ってくださるお母さんもあり、フェルトの会もしてくださったり、なにかしら、この場所は憩いの場所となっているようで大変嬉しく思っています。
  教会が大人にも子どもにも自分の居場所となってくれたらと願っています。

子育て通信

Posted by shinnakano