地上生涯を幸せに生きるために
幸せな人生とは? 詩篇90:10-12

地上生涯を幸せに生きるために

礼拝メッセージ

説教者:藤井敬朗牧師
      2023/6/25 召天者記念礼拝説教
【テーマ】  幸せな人生とは?
【説教題】 「地上生涯を幸せに生きるために」
【聖書箇所】 詩篇90:10-12

90:10 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。
90:11 だれが御怒りの力をあなたの激しい怒りの力を知っているでしょう。ふさわしい恐れを持つほどに。
90:12 どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。

詩篇90:10-12

○ 村上知子先生が召されたのは2003年6月25日でしたので、ちょうど召天20年になります。今日はM兄に村上知子先生のことで証をしていただきました。私は何度かホスピスにお伺いしましたが、共に見舞いに来て感極まっている信徒に、笑顔で「扉一枚開けて向こうにいくだけなんだから」と言われた言葉がとても印象に残っています。先生を見て、「クリスチャンってこんなにも自らの死を前向きにとらえることができるんだ」と実感しました。その数日後だったか、先生は召されました。

地上生涯を幸せに生きるために

死ぬのに時がある

何才まで生きるのか?

    1.村上知子先生が召されたのは70才です。今日のテキストには 私たちの齢は七十年 とあります。この詩篇はモーセの歌で、彼が何才で歌ったのかわかりませんが、 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年 と歌いつつも、彼は120才まで生きています。しかも、目もかすまなかったと言われるようにしっかりした老人でした。

    2.多くの方が不思議に思う、創世記の初めの方に登場する人々は九百何十才という年齢の人がたくさんいます。そして、 創世記6:3 そこで、【主】は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。 その後のノアの大洪水のあと、どんどん人の寿命は下がっていきました。かつて、心臓の権威者が、心臓の動きは120才が限界と言っておられました。

神の時がある

    1.昔から人は不老不死を求めてきました。この地上の生しか無いと思っているからではないでしょうか。つまり、この地上で長生きする者が幸せで、短命は不幸せという図式を作ってきたのです。現代の日本は長寿国ですが、少し前まで人生50年と言われていました。でも、私の身近なところでは0才、1才、2才で召された子ども達もいます。N君は14才で召されました。I兄は25才でした。不幸ではありません。

    2.伝道者の書には 伝道者の書3:1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 と、あります。その人その人に与えられた「時」があり、それは人が決めるものではなく、神が決めておられるというか、神の手の中にあるのです。というのも、地上の生活を終えて、神の元で永遠を過ごすように待っておられるのです。

神から知恵をいただこう

神を正しく畏れて生きる

    1.この詩篇の記者モーセはエジプト人に殺されそうになり、そこから逃げ出して神によって命拾いさせていただきました。そして、もう二度とエジプトには行けないと思い、ミデヤンの地で家族を持ち、羊飼いとして生涯を終えようとしていました。しかし、彼は常にエジプトに奴隷になっている同胞イスラエル人のことで心に負い目を感じながら80才を迎えていたのです。80才まで長生きしたのですが、彼に真の幸福感は無かったのです。
    2. 90:11 だれが御怒りの力をあなたの激しい怒りの力を知っているでしょう。ふさわしい恐れを持つほどに。 と、神の怒りをも恐れていました。地上生涯を神の怒りがあるのではないかと怯えて過ごすのは幸いな人生では無いです。同じく、死後行き先がわからないという不安も幸せでは無いです。正しい神への恐れ、畏敬の念をもってこそ地上生涯を幸せに過ごせるのです。

永遠を覚えて生きる

    1. 90:12 どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。 と、モーセは神の知恵を求めています。神の知恵というのは、人間が考えつかないような知恵です。永遠という神の世界は私達には全くわかりません。
    2.しかし、神の知恵によってそれをわからせていただけます。永遠に過ごすところが平安に満ちていることをしっかり知った上でこの地上生涯を過ごすとき、人は地上生涯をも幸せに過ごせるのです。ですから、村上知子先生は笑顔で「扉一枚開けて向こうにいくだけなんだから」と言われたのです。

地上でも平安の内を過ごそう

天国は完全な平安の場所

    1.先に天に帰られた方々はこの天の平安の中におられます。たとえ地上生涯が悲しみや苦しみ、痛みで満ちていた方々であっても、みんな完璧な平安の中におられます。

    2.天の平安というのは静かな平安というよりはダイナミックな賛美で満ちている平安だと思います。ここに来たら、絶対に地上には戻りたくないはずです。

地上は苦しいところだが・・・

    1.パウロやペテロはイエス・キリストに出会ってすばらしい人生を歩みましたが、その多くは迫害に遭っていました。そして殉教したと言われています。使徒の働きを読めばパウロの体は傷だらけだったことがわかります。彼は ピリピ1:23 私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。 と、天国を希望しています。

    2. 1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。1:25 このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。 と、苦しみのある地上生涯に大事な意味、目的を持っているので彼は幸せなのです。

● 多くの方の葬儀を行ってきましたが、皆さん今はそのダイナミックな賛美に満ちる天国で幸せに過ごしておられます。そのことを信仰によって受け止めて地上生涯を感謝に満ち、幸せに生きた先人達です。

★ 90:12 どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。 と、私達も神からの知恵をいただこうではありませんか。その知恵の元は聖書にあります。聖書は神の知恵によって書かれた神の言葉だからです。