イエス様と話すすばらしさ

イエス様と話すすばらしさ

子育て通信

今年もやって来たクリスマス

  今年もまたクリスマスの時期を迎えることになりました。私は新中野キリスト教会に来て21回目のクリスマスです。クリスチャンになって51回目。生まれてから69回目です。自分の誕生日より嬉しいです。
  何度かこの「子育て通信」にクリスマスの思い出を書いてきたように思いますが、最近物忘れが酷くなってきているので(もともと覚えられない、忘れやすいタイプですが)、前に書いたことだったらごめんなさい。

プラモデル

  私が小学生の頃、プラモデルが流行りました。なぜか戦艦、戦車、戦闘機などの戦争に関するプラモデルが多かったのです。テレビで「コンバット」というアメリカの戦争ドラマが放映されていて、父も私も弟もこれが好きで逃さず観ていました。私は戦車が好きだったので、プラモデルも戦車をよく買い求めました。
  「二度と戦争を起こしてはならない」と言われていますが、こういうプラモデルがいっぱい出回っているのはなぜだったのでしょう? 私は戦争を知らない子どもでしたから、コンバットのサンダース軍曹が持っている機関銃を格好良く思っていました。この機関銃を真似て材木で作った機関銃で友達とも戦争ごっこをよくしました。

  クリスマスプレゼントに私の好きな戦車のプラモデルが枕元に置いてあって、朝起きてそれを発見すると、喜んでその箱を抱え、台所で朝ご飯の準備をしている母のところに持っていき、「サンタさんが戦車のプラモデルをくれた!」と大喜びで報告に行ったものです。

説明書通りに作ること

  プラモデルには大きな部品と共に、小さな部品もあります。丁寧に軸から切り離して、説明書通りに作っていくのですが、説明書抜きに勝手にボンド(セメダイン)でくっつけてしまって、失敗したことが何度もあります。順番は大事だということを学ばされたときでした。そして、説明書通りにしないと失敗することも知りました。

  聖書は私達の人生、生き方の説明書みたいなものです。自分勝手な生き方は時として大失敗してしまいます。神様は私達をプラモデルでは無く、一人一人別人格に、完璧に造ってくださいました。
 そして、神様を離れた人間をも愛し続けて、家出した子どもを待つ親のように、待ち続けておられます。そして、幸せに過ごせるように助けの手を伸べてくださいます。

クリスマスツリー

  クリスマスの少し前になると小さなクリスマスツリーを箱から出してオーナメントを飾り、電飾を引っかけるのですが、その時がなんとも好きでした。電飾のスイッチを入れると赤、青、緑、オレンジの電球がついたり、消えたりするのは子どもの私には不思議でした。「なぜついたり、消えたりするのだろう?」と電球を眺めながら考えたものです。
  また、不思議なもので「クリスマス」という言葉を聞くとこの電球の色を思い出すのです。私にとってのクリスマスはこの色なのです。そして、すごく嬉しく楽しくなるのです。子どもの時のこうした記憶は残っているものですね。

  この電飾の色が最近あまり見られないのです。その代わり格好いい電飾が増えてそれはそれできれいのですが、なぜか私にはクリスマスという実感が湧きにくいのです。散歩をしているとたまに子どもの頃のあの色の電飾が窓に映っているのが見えると急に「アーー、クリスマスだ!」と思えて、心が落ち着くのです。

PTSD

  今の子ども達は現在の生活の中で子ども時代の私のように、現在の生活をしっかり脳にインプットしているのでしょう。そして、大人になって何かの拍子に子ども時代の懐かしい色や音、臭いなどを思い出して、心が落ちついたり、嬉しくなったりするのだと思います。

  反対にPTSDを患っている人や子どもは辛いだろうなあと思います。相当昔のことであっても思い出すと心が苦しくなったり、体にまで反応が表れたりするのですから。しかも、これがなかなか無くならないといいます。精神科で治療を受けても時間がかかると聞きました。
  いじめを受けた子どもがなかなか大変なことは知っていますが、自殺してしまう子どもの背景にこうしたことがあるのではないでしょうか。いかに子ども時代にPTSDになるような体験をさせないことが大事かと思います。

きつい言葉

  また、たとえPTSDにならなくても、子ども時代の辛い体験を結構引きずる人はいます。その辛い体験の中には「両親の」きつい言葉」「強制的にさせられた出来事」等もあります。
  私がボランティアで行った養護学校(今の支援学校)で出会った11才の男子ですが、ボール遊びをしました。右手の悪い彼はうまくボールを受け止められませんでした。すると座り込んで、「ぼくはダメなんだ、ぼくはダメなんだ」と繰り返しています。話を聞いてみると、家で家族から「おまえはダメだ」と常に言われているみたいなのです。知的障害と手に軽い障害を持つ彼はなかなか起き上がりませんでした。私がいくら「大丈夫だよ」と連発しても彼の心にはなかなか響きませんでした。長い時間が過ぎてやっと、元気を取り戻してくれてました。ボールを投げた彼に「上手い!」と言うと、やっと笑顔を見せてくれてホッとしました。人というのはいかに言葉で動かされるのか、停止させられるのかを知らされた時でした。

言葉の力

  最近、子どもを元気にする言葉が少なくなっているような気がします。
  子ども達が親の言葉や先生の言葉、友達の言葉で酷く傷ついてしまうことがありますが、その子自身が自分の言葉でそれを言い表すことができるとまだ傷は浅いです。しかし、それを言えない子どもは深い傷を負っており、一人で苦しんでいます。
  この苦しみを聞き出せる人はいるのでしょうか? カウンセラーや心ある人達がそれに努力していますが、完璧ではありません。
  私はカウンセラーでは無いので、もっと難しく感じます。でも、こんな私に辛い心の内を話してくれる子どももいます。教師時代には美術準備室でかなり相談を聞いたなあと思い出します。親の離婚や、親のキツい指導、性格の悩み、進学の悩み、恋愛の悩み等々ありましたが、若い私にはなかなか良い答えが出せませんでした。
  でも、話を聞くだけで落ち着く生徒が何人もいました。話せるというのはすごいものです。

イエス様と話すと

  子ども達が祈りを覚えると人に言えなくても神様(イエス様)にまず言うことができます。祈りは決して独り言ではありません。もちろん、瞑想のような部分もあり、独り言を言って、自分で考えをまとめる力になるのも事実です。しかし、祈りは目には見えませんが、明らかに存在しておられる神様(イエス様)というご人格に直接話しかけることのできるものです。
  事実、祈ることで大変辛い状況から脱した子ども達を知っています。祈って、どうするかというと、親や先生に話す勇気が湧いてきたりするのです。
  子ども達に祈りを教えておくことは実に大事なことだと私は思っています。


スマホ内斜視

  「カズレーザーと学ぶ新知識!」でやっていたことですが、8才まではスマホを使わせない方が良いと言ってました。それは子どものスマホ内斜視が増えているとのことです。視力が発達する年齢があって、8才までは大事だそうです。特にスクロールするのがよくないらしいです。
  またスマホを長く見続けていると眼球が伸びて、眼球が楕円形になり、目が飛び出す人もあるそうです。失明もあるらしいです。

子育て通信

Posted by shinnakano