元旦礼拝
あけまして おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
元旦ハイキング
元旦ハイキングをして生徒を50名とか80名とかを連れて行ったのはもう44,45年も前の事になります。あの頃の生徒達も60才に近づいてきました。古い話ですね。あの初日の出を彼らは覚えているのでしょうか? それよりも、みんなで歩いたことを覚えているのかも知れません。
彼らにとって、夜中中歩いてクタクタになった元日はそうは無い経験だと思います。もちろん、私もです。私の方は彼らの引率なので、緊張感もありました。協力者が数名あったことが本当に助けでした。2年目にはお父さんも一人来てくださったので、さらに助かりました。
生徒達を12月31日の夜から集めだして、一度我が家で休憩。午前3時頃からまた歩き出して、6時頃に目的の河川敷公園に到着、7時過ぎの日の出まで遊んだり、ある生徒はお湯を沸かしてカップ麺を作ったりしていました。日の出を見ると明るくなった道を戻ります。寝ながら歩いているような生徒もいました。(笑)
午前9時頃高槻駅前で解散させ各自家に帰らせました。生徒達は帰るとグッスリ寝ていたようです。私はと言えばその後教会で元旦礼拝でした。ほとんど寝ていたかも知れません。(笑)
元日の思い出といえば、この「元旦ハイキング」がやはり大きいですね。神学校に入った最初の年まで6年間継続しました。
元旦礼拝
牧師になってからは「元旦礼拝」を行う事に必死でした。「礼拝」というのは神様の前に自分の時間をささげて、神様を讃え(賛美)、神の言葉を聞く(説教)、神様に思いを伝える(祈り)、神に感謝して自分自身を献げる(献金)というようなことを行う大事な時なんです。日曜日に行うのが基本ですが、礼拝はいつでも行えます。ですから一年の初めに礼拝するのはとても大事だと思っています。
牧師になりましたから、出席するだけではなく、説教を語る側です。説教は聖書を語るのです。聖書は神の言葉です。と、言っても、神が直接語られた言葉だけではなく、歴史や詩歌などもあります。でも、その全体は神が私達人間(世界中の全ての人)に知ってほしいことが書かれているのです。ただ、書かれたのは今から3500年前~2000年近く前ですから、超古典です。言葉の意味が理解できるように、また歴史的、文化的背景を調べて神が語られた意味を知るようにするのです。それはもちろん現代の私達にもとても必要な大事なことですから、知らなければなりません。それを語るのが牧師です。私はどなたにも神様の思いを知っていただきたくて、できるだけ日本人にもわかるように努力しているつもりです。
元旦礼拝は一年の最初に皆さんとともに神様を賛美して、神様の御言葉を聞いていただくために開いている礼拝です。
礼拝出席再開
礼拝というと思い出すことがあります。それは、私が最初行っていた教会をやめて2年間教会に行かなかった時期があるのですが(そんな人間でも牧師になれるんですよ)、また、礼拝に出席したくなったときのことです。教会に行かなかったときも私は毎日聖書を読んでいましたし、お祈りもしていました。でも、日曜日に教会に行かないので、時間ができました。映画を観たり、陸上部の部活を行ったりしました。それなりに楽しかったし、特に陸上部の成績が上がるとやりがいも感じていました。それなのに、何か足りないのです。遂に心がカラカラになった感じでした。
ある日、「高槻キリスト教会」と書かれた古いニコイチ(一軒ですが、二軒の長屋タイプ)の家が我が家のすぐ近くにできているのを見つけました。試しに日曜日に行ってみました。若い牧師が一人でされていました。
6畳と4畳半のふすまを外して礼拝できるようにして20脚ほどのこれまた古い折りたたみ椅子を並べておられました。「ここに来たのは間違いだったなあ」と思いつつも礼拝開始を待ちました。すると、近所に住む中学生3人がやって来て、礼拝が始まりました。「たったこれだけか」と残念な気持ちになったのですが、なぜか心は解放されていきました。すごくすがすがしい気持ちになって帰りました。
不思議が起こった
その日から毎週日曜日はその小さな教会で礼拝するようになりました。
陸上部の日曜日の練習をやめたので、生徒達が「先生、どうして日曜の練習はなくなったんですか?」と。私は「先生な、日曜日は教会に行ってるんや」と。すると数名の生徒が教会に来てくれたのです。そして、「楽しい!」と言って、次々友達を誘ってくるものですから、あの古い小さな教会に中学生が毎週20-30名集まるようになってしまいました。中学生が一日ここで過ごすのですのは不思議でした。
面白いことが起こったのはその後です。日曜日に陸上の練習をやめたにもかかわらず、陸上の成績がグングン上がったのです。そればかりか、勉強の成績も上がったのです。高槻の18中学が競う陸上大会で、それまで最下位を競い合っていた我が校が、なんと私が神学校に入る前に優勝してしまいました。高槻一になったということです。不思議で仕方ありませんでした。
勉強ができるようになった理由はいくらかわかります。教会で生徒同士が勉強を教え合っていたからです。またそれが楽しかったらしいのです。
陸上も勉強も、教会に来ることで「楽しい!」となったみたいで、楽しいことで両方の成績が上がったのです。私も教会が楽しかったし、陸上部も楽しかったです。「楽しい」ということの力を感じました。生徒同士もとても良い関係になりましたし、学校自体も良い方向に変わっていきました。
私は「学校、クラスは楽しくなければならない」と思っています。
礼拝ってすごい!!
そして、礼拝って私にも子ども達にも大事だと思っています。神様を礼拝すると生き方や考え方まで充実してくるのです。私は牧師になりましたから、このことを多くの方に知ってほしいと思って働いています。もちろん、子ども達が早いうちから神様を知って、神様の教えを大事にしていくと、人をも大事にします。なぜなら、イエス様の教えの根本は「神と人を愛すること」ですから。
十戒には「父と母を敬え」というのもあるのです。「礼拝」「聖書」「お祈り」ってとても大事なんです。
一年の初めに「初詣」に行く人は多いと思います。でも神様を礼拝している人はどれくらいいるのでしょうか? 日本人は信心深いと思いますし、人にも親切な国民だと思います。それだけに神様に愛されていることにも敏感になって欲しいというのが私の願いです。
子ども達が幼い内は親に愛されて色々よくしてもらっていてもそのことで感謝しませんが、お父さん・お母さんのことが大好きであることには違いありません。親はそういう子どもが成長して親に「ありがとう!」と言ってくれるようになったり、人生の大事なことを色々話し合えるようになると嬉しいものです。
神様も私達が神様に「ありがとうございます」と言ったり、色々話し合うようになるととても嬉しいはずです。その基本が礼拝なので、みんなで礼拝したいわけです。
そして、祈りはすごいのです。私は「祈りは愛」と思っています。教師時代、生徒達のことを毎日祈っていました。祈る以上は生徒達のことを思い浮かべます。当然心にかかるので、調子が悪そうな生徒には「どうした?」と声をかけます。そして、また心身の癒しを祈ります。
生徒達の中には祈ってから勉強する生徒もいました。はかどるのだそうですよ!祈りってすごいのです。
お父さん・お母さん方にはこの愛の祈りをしていただきたいと思っています。「この子を守ってください」だけでもいいです。まずは子どものために祈ってあげてください。