祈る子ども達
新しい7人
私たちの教会で行っている「子どもセンター」には、その年度の中で3才になる子達7名がいます。今年度も4月に新しく7名のお友だちが入園しましたが、本当にかわいいです。3月に3才で卒園したお友だちはそれぞれの幼稚園に通っていますが、みんな大きくなったんだなあと新しいお友だちを見ると実感します。
お祈り
子どもセンターでは子ども達にお祈りを教えています。その時2-3才の子どもにもわかるように手を組むときに「パッチンギュ」と言って教えています。そして手を組むと、「イエス様」などと祈りの言葉を言い始めますが、おやつやお弁当の時など元気なお祈りの声が聞こえます。
私は祈りを覚えたのは18才の時、クリスチャンになってからです。
でも、思い起こすと小学4年生だったか、クリスチャンの母に勧められて少しだけ教会学校(日曜学校)に行きました。その時に主の祈りを教わって暗記しました。
それは、
天にましますわれらの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を
今日も与えたまえ。
われらに罪を犯すものを、
われらがゆるすごとく、
われらの罪をもゆるしたまえ。
われらをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン
というものです。でも、小学生の私には全く意味がわからずにいました。その後、すぐに教会学校に行かなくなったので、この祈りも長い間忘れていました。
しかし、不思議なもので、18才でクリスチャンになり教会に行き始めるとこの「主の祈り」が思い起こされたのです。記憶力の悪い私でしたので、きっちりと思い出したわけではないのですが、まあまあ祈れたのです。しかも、今度は意味がわかって祈れました。
子どもの祈り
祈りといえば、息子が3歳くらいの時、私が仕事に出なければならないのに熱が出て、頭痛を起こしました。プラレールで遊んでいた息子を呼んで「お父さんの頭の痛いのがなくなるようにお祈りして」と頼むと、すぐに私の頭に手を置いて「かみさま、おとうさんのあたまのいたいのがなおりますように。アーメン」というような短い祈りをしてくれました。
すると、自分でも不思議だったのですが、3分もしないうちに痛みが消えました。そして熱も下がったのです。それで、仕事に出かけることができたのです。こんな小さな子どもの祈りが聴かれるというのはすばらしいと実感したときでした。
子どもの祈りはストレートです。そして信仰的です。疑いがないのです。本当に教えられます。
子どもセンターの子ども達もお友だちのためにも祈ります。お休みしたときには「〇〇ちゃんを、はやくげんきにしてください」と祈るのです。
神様を信じている
小さな子どもですが、見えない神様を疑っていない姿には私たち大人の方が驚かされることが多いです。お母さんが見えなくなるとさみしくて、恐くて泣いて、泣いて「ママ。ママ」と言っているような子ども達が、見えない神様に信頼していくのは不思議です。
これもこんな幼い時だからかも知れません。小学生の3,4年生くらいになると「神様なんているの?」と信じない子ども達が普通になってきます。自分のことを思い出してもそう思えます。
しかし、祈りを覚えた子ども達にはそうでない子ども達とに違いが出てきます。その一つはかつてアメリカの資料を読んで知ったことですが(もちろんアメリカでのデータです)、神を信じる子どもと神を信じない子どもの犯罪率でした。神を信じる子達の犯罪率は信じない子達の約1割だということでした。神様を信じていると倫理観が高くなると言われています。
生涯を左右する
幼い子達の脳は急速に発達しています。5歳までにその大きさは大人の9割に達すると言います。また、前頭前野の働きは0~3歳が最も発達するそうで、4~12歳はゆっくり発達するのだそうです。しかも、この0~3歳頃の記憶は単に知的記憶で留まらず、一生涯、生きる力として蓄えられるといいます。人は死ぬまで「母親」を忘れられないようです。そして、ことある毎に「お袋の味」などというように「母親」を思い起こすのです。そして、それがまた生きる力にもなっているといいます。
しかし、その母親から自立し、自分で判断して行動していくわけですし、たいていは母親が先に死にます。ようするに見える「助け手」である「母親」は現実に遠のいていくのです。しかし、その母親からもらった愛と同じ、いやそれ以上の愛をお持ちの神様を知ると、この神様を「助け手」と信じることができ、生涯心に残り、現実の助けをいただくのです。
祈りの不思議な力
神様の持つ倫理はとても高尚です。大人になるにつれ、この高尚な倫理に到底近づけない自分を知りつつもこのきよく美しい神様の倫理観に近づこうとするのです。つまり、犯罪行為などから遠ざかるのです。
またアメリカの話ですが、病人に祈った場合と祈らなかったな場合で病気の治りに格段の差が出たというのです。祈られた人はその治りが早いのだそうです。
ノーベル生理学・医学賞受賞者のアレクシス・カレルさんはこう言っています。
祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。それは地球の引力と同じ現実的な力である。
アレクシス・カレル
医師としての私は、多数の人々があらゆる他の療法で失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって疾病や憂鬱から救われた例を目撃している。
祈りはラジウムのように、自己エネルギーを作り出す発光体である。人間は祈りながら自分の有限なエネルギーを増大させるために、あらゆるエネルギーの無尽蔵な源泉に向かって呼びかけようとする。
祈るとき、われわれは宇宙を回転させて無限の原動力と結合する。われわれはこの力の一部が必要なだけ自己に配分されるようにと祈る。このように訴えるだけで、われわれの人間的な欠陥は満たされ、強められ、癒されて立ち上がる。
熱烈な祈りで神に話しかけると、いつでも精神や肉体はともに快方へと向かうのだ。
わずか一瞬の祈りでも、必ず何らかの良い結果が祈った人々にもたらされるのである。
神様とのお話
また、祈りは「神様との会話」と言われています。目には見えなくても私たちのそばにおられる神様とお話できることは本当に幸いです。
私は祈る子ども達が増えることを祈っています。「祈りは世界を変える」とも言われているからです。子どもに祈ってもらう親もいいかもしれませんが、子どものために親が祈るのが本来の形だと思います。
感謝の祈り
子育てを楽しむ力は「祈り」です。それも「感謝の祈り」です。もし毎日、「神様、私たちにこの子をくださったことを感謝します」と祈ることができたとしたら、この一言の祈りであっても、確かに変化があるはずです。
そして、もっともっと感謝の祈りをしてみて欲しいです。神様に感謝の祈りをしていると、実は子どもに対しても考え方が変わるのです。マイナス方向に子どもを見ていたその目が感謝を持って、嬉しい感情で見ていくことができます。つまり、我が子をそのまま受け入れて愛していく力が増すということです。
たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。
聖書 コロサイ 4:2
祈りは愛
私は「祈りは愛だ」と思っています。愛があるから祈れるのではなくて、祈るから愛が湧いてくるのです。祈りこそ愛の源泉なのでしょうね。