祈りって聞かれるんだ!

礼拝メッセージ

 2024/10/20 礼拝説教
【テーマ】 罪人の祈り
【説教題】「祈りって聞かれるんだ!」
【聖書箇所】 Ⅱ歴代誌33:10-16
【説教者】藤井敬朗牧師

33:10 【主】はマナセとその民に語られたが、彼らは耳を傾けなかった。
33:11 そこで【主】は、アッシリアの王の配下にある軍の長たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。
33:12 しかし、彼は苦しみの中で彼の神、【主】に嘆願し、父祖の神の前に大いにへりくだり、
33:13 神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうしてマナセは、【主】こそ神であることを知った。
33:14 その後、彼はダビデの町の外側、ギホンの西側の谷に城壁を築いた。それは魚の門に至り、オフェルを囲むもので、非常に高く築かれた。また、彼はすべてのユダの城壁のある町々に軍の高官を置いた。
33:15 また彼は、【主】の宮から異国の神々と偶像、および、【主】の宮のある山とエルサレムに自分が築いたすべての祭壇を取り除き、町の外に投げ捨てた。
33:16 そして、【主】の祭壇を築き直し、その上で交わりのいけにえと感謝のいけにえを献げ、ユダに命じて、イスラエルの神、【主】に仕えさせた。

Ⅱ歴代誌33:10-16

○ 聖書通読をしていて、飛ばしてしまいたいと思うのはどこですか?いくつかあるかと思いますが、レビ記や今日見ている歴代誌はそういう箇所ではないでしょうか? そんな歴代誌をまとめて見てみましょう。

歴代誌とはどんな書なのか?

系図が続くⅠ歴代誌

    1.Ⅰ歴代誌の最初はアダムと書いてあります。そしてその後、たくさんのカタカナの名前が続きます。「いったいどこまで続くんだ?」と思った人は聖書を読んでいる人ですね。4章10節にはいつだったか有名になった「ヤベツの祈り」が出てきます。 4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」神は彼の願ったことをかなえられた。 その後も名前が続きますね。いくらかの説明とともに名前が続きます。要するにこれがイスラエルの歴代の人々です。9章までこんな感じで続きます。

    2.10章に入ってサウル、11章でダビデそしてまた名前の羅列。と、凄いものです。イスラエル12部族の系図が9章まであって、10章から29章にかけてダビデの業績を称賛しているのです。列王記と同じような話がどうしてダブっているのだろうか?と思った方も多いと思います。

列王記とは違う歴代誌

    1.そして、第二歴代誌は1~9章でソロモンによる神殿完成とその業績、10章からは滅亡に至るまでの南王国の歴代の王達の業績を記しています。ただ、北王国は無視されています。しかも、列王記で記されたダビデの問題、ソロモンの問題は書かれてなくて、二人共偉大な王として書かれています。

    2.歴代誌の最後は列王記には無い記述があります。それはキュロス王の勅令です。 36:22 ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就するために、【主】はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。36:23 「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神、【主】がともにいてくださるように。その者は上って行くようにせよ。』」 と。南ユダ王国は捕囚の民となり、イスラエルはすべて無くなるのですが、エレミヤの預言通り70年後にペルシャの王キュロスによってエルサレムに戻ることが許され、さらに神殿再建を命じたのです。そして、エズラ記、ネヘミヤ記へとつながります。

神は悪王マナセの祈りも聞かれる

マナセはへりくだって祈った

    1.今回、敢えてマナセ王を取り上げましたが、この王は悪王で有名なマナセです。新聖書辞典には 彼の治世の55年間はユダの諸王の中で最も長い(Ⅱ列21:1).その特徴は,高き所の再建,バアル祭壇とアシェラ像の造営,万象崇拝,人身犠牲,卜占,まじない,霊媒,口寄せ,罪のない人の殺害などである. と、実に酷い王としての姿が書かれてあります。

    2.酷いマナセで、列王記には彼がユダを滅びに招いた点を重視して、彼が悔い改めたという記事がありません。しかし、今日の歴代誌のテキストだけは彼の良い面が書かれているのです。彼はバビロンに連れて行かれたのですが、そこで、彼は 父祖の神の前に大いにへりくだり、神に祈った とあります。

神はマナセの祈りを聞かれた

    1.そして、神はそのへりくだりを認め、願いを聞かれます。 神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうしてマナセは、【主】こそ神であることを知った。 とあります。私たちの神、聖書の神は、こんな悪王の祈りでも聞いて、悪王マナセをも赦されるお方だということを示しています。

    2.神の前にへりくだるのが祈りの姿ですが、マナセのへりくだりはその後の彼の行動でわかります。 33:15 また彼は、【主】の宮から異国の神々と偶像、および、【主】の宮のある山とエルサレムに自分が築いたすべての祭壇を取り除き、町の外に投げ捨てた。 33:16 そして、【主】の祭壇を築き直し、その上で交わりのいけにえと感謝のいけにえを献げ、ユダに命じて、イスラエルの神、【主】に仕えさせた。 と悪しきことを捨て、真の神礼拝に努めたということです。

へりくだって祈ろう!

神は私たちの奴隷ではない

    1.皆さんはどんな時に祈りますか? また、どんな気持ちで祈りますか? 祈りは願い事ばかりではありません。願い事をするとき、人はどんな思いで祈るのでしょうか? 「アラジンと魔法のランプ」に登場するランプの精(魔人)に願いをかなえてもらうような、自分が主人で、主人の願いをかなえる魔人のようなものが「神」と思っている人もいます。

    2.マナセは王で人々はマナセの言うことを聞きます。神を自分の奴隷のように思うこともできましたが、彼はヘリくだりました。そこで神はその祈りを聞かれました。ダビデ王にしても他の人々にしても神の前にへりくだった人の祈りが聞かれているのです。

奴隷のようになってくださったイエス

    1.その最たるお方、へりくだりの王はイエス・キリストです。ゲツセマネの祈りは有名です。神の前に罪の無い自分が極刑であるローマの十字架刑に処せられる、その理由はイエス・キリストが人類の救い主として地上に送られた神の子だということを、聖書と父なる神との会話(祈り)で確信されたからです。

    2.このゲツセマネの祈りは神の子が父なる神に自分を殺そうとする人たちに対して「天の軍勢を送ってください。そして奴らを滅多打ちにしてください」という祈りではありませんでした。彼らのために身代わりになることを受け入れる祈りでした。その祈りによって私たちは救われることができるようになったのです。

    3.このへりくだってくださったイエスの祈りが聞かれたのは当然かも知れませんが、マナセの祈りも聞かれたのです。私たちのへりくだりの祈りは聞かれるはずではありませんか。

★ マナセの祈りさえ聞かれた神は私たちの祈りを聞いてくださっています。