「あなたはどこにいるのか?」

礼拝メッセージ

2021/10/3 ウェルカムサンデー礼拝説教
【テーマ】  罪人を探す神
【説教題】 「あなたはどこにいるのか?」
【聖書箇所】 創世記3章

3:1 さて蛇は、神である【主】が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
3:2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3:3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
3:4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
3:6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
3:7 こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。
3:8 そよ風の吹くころ、彼らは、神である【主】が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
3:9 神である【主】は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
3:10 彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」

創世記3章

神の言葉を曲げてしまった

神の言葉に従わなかった

    1.神様はアダムに 

神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

創世記2:16-17

 と言われました。やはり食べ物は人間にとって大きな誘惑となるのでしょうか。また、 その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ と言われたのですが、二人には「死」がどのようなものかわかっていたでしょうか?

    2.先にこの言いつけを破って食べてしまったのはエバです。が、そのエバの誘いでアダムも食べました。しかも神様は二人を一体とみなされていますからどちらか一方が悪いという問題でもありません。二人とも神の言葉に従わなかったのです。

巧妙な悪魔の誘惑

    1.一般的に禁断の木の実と言われている「知識の木の実」を食べてしまった背景には「蛇」の存在があります。 さて蛇は、神である【主】が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった とあり、この蛇がエバに語りかけてきています。その時の蛇はどのような動物だったのか? 人と話ができる存在だったのか? これはなかなかわからないことですが、ひとまずこれを悪魔ととらえてください。

    2.つまり、悪魔がエバに巧妙に語りかけてきたのです。その誘惑の言葉は 園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。 でした。それに対してエバは 『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。 と神様が言われた 食べるとき、あなたは必ず死ぬ から 触れてもいけない 死ぬといけないからだ と神の言葉を少しですが、曲げています。

    3.これを聞いた悪魔は「しめた!」と思って、一気にたたみ込んでいきます。 「あなたがたは決して死にません。3:5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」 と「死なない」「神のようになる」と全く変えてしまいました。悪魔の方法はこういうことが多いようです。詐欺師のようですね。

神の言葉に従わなかった結果

死が入ってきた

    1.悪魔の誘惑に遭い、神の言葉を無視したアダムとエバにやって来たのは何かといいますと、「死」でした。今、私たちが使っている「死」という言葉は医学的な肉体の「死」だけを考えがちになりますが、「脳死」のように肉体は生きていても実は死んでいるというように判断されるものも出てきました。

    2.聖書でいう「死」は確かに「肉体の死」もそうですが、「精神的な死」つまり理性などがゆがんでしまうことも言います。また、神との断絶をも「死」と言います。

    3.そして、この「死」が全ての人に入ったように全ての人が罪人と化しました。聖書は全ての人が罪を犯したと言っています。正しい人はいないのです。

三つの死

    1.肉体の死について見ますと、アダムとエバには肉体の死はすぐにはやってきませんでした。アダムは930年生きたと書いてあります。でも死にました。

    2.そして、精神的な死は ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った と、いう言葉で代表されるように人の心は安心して表すこともできなくなりました。その後、彼の子どもカインを見ると弟アベルを殺してしまうという行為に出ていますし、その後の人間の心の荒れようは言うまでもありません。

    3.そして、神との断絶は、本来いつも親しく神様とお話しできていたのにも関わらず、 神である【主】の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した とあります。神に背を向けるようになってしまいました。これが第三の死です。

それでも人を探す神

神から身を隠す人間

    1.最大の問題である神との断絶という「死」。神の言葉を無にしたことで神との良き関係が切れました。人が神と親しく過ごせたエデンの園なのに、そこで神は 人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」 と人を探すことになったのです。それは二人が 神である【主】の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した からです。

    2.先に言いましたように全ての人が罪人ですから、全ての人が神から身を隠しているということなのです。神に近づく者は神を礼拝する人です。あなたはどうでしょうか? 神に対して身を隠しているのではないですか? 

今も探し続けておられる神

    1.神は全ての人をご存知です。全ての人の名前を知っておられます。あなたの名もご存知です。 「あなたはどこにいるのか。」 という神の呼び声はアダムとエバだけに語りかけられた言葉ではありません。あなたにも向けて語られている言葉です。

    2.神は探し続ける神なのです。探すということは警察の捜索とは違って、親がいなくなった子どもを探すようなものです。愛から発することです。あなたは愛されています。

★ あなたは神様から身を隠してはいませんか? それが罪の結果です。神様はあなたのことを探しておられます。「ここにおります」と神の前に出ませんか。