イエスは子どもを祝福される

礼拝メッセージ

2024/11/3 礼拝説教

【説教題】イエスは子どもを祝福される
【説教者】藤井敬朗牧師
【テーマ】  子どもを祝福する人
【聖書箇所】 マルコ10:13-16

10:13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
10:14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
10:15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

マルコ10:13-16

○ 最近は子どもたちが自由に遊べる空き地もなくなり、思いっきり遊びたい子どもたちにとりましてはかわいそうな時代です。そんな中やっとの事で見つけた遊び場で遊んでいても「うるさい!」などと叱りとばしている大人がいます。親の中にも我が子をやたら叱る人がいます。叱ることが良い教育だと思っているかのように。あるいは自分がやたら叱られて育てられてきたためにそれしかできない人もいます。反対に叱らないことによる問題もあると聞いています。難しいですね。

イエスは子どもを祝福される

叱られる子ども達

弟子たちは叱った

    1.弟子たちは マルコ9:36 それから、イエスは一人の子どもの手を取って、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱いて彼らに言われた。9:37 「だれでも、このような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」 と、イエスから幼子を受け入れるようにと言われていたのに、子どもたち(あるいは連れて来た大人)を叱っています。

    2.ひょっとすると弟子達はイエスの忙しい伝道旅行、そしてエルサレムに向かうためにイエスの健康を気遣って叱ったのかも知れないのです。あるいは、イエスが大変有名になり、弟子たちはその身近にいることでいつしか自分たちも偉くなったかのような気になって、道を急ぐイエスをさえぎる子どもたちを権威で叱ったのかも知れません。

子どもたちは連れてこられた

    1.子どもたちは自分から来たのではなく、親か誰か大人に連れて来られたのです。イエスにさわっていただくためにです。今でも親は子どもの祝福を願って、神社に参ったりしています。本当の神のもとに子どもを連れてくることは大事ですね。

    2.連れてこられた上に叱られたのでは、子どももたまったものじゃありません。弟子たちが叱ったことでイエスは憤られました。子どもたちには何の問題も無いわけです。弟子たちはイエスのためにと思って叱ったのでしょうが、憤るイエスを見て大変恥ずかしい思いをしたことでしょう。

招かれる子ども達

直感的に信じる子ども

    1.イエスは 10:14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。 と言われました。イエスの願いは子どもが来てくれることです。しかも、 神の国はこのような者たちのものなのです と、神の国に無関係と思われていた子どもこそ神の国に入れるような言い方です。

    2.今日のテキストに続く10:17から後に、金持ちの青年が 10:17「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」 という質問をしています。彼は律法を守ることで神の国に入ることができると思っていました。しかし、イエスは子どもたちこそ神の国にふさわしいと言われたのです。

    3.子どもたちの脳はいわゆる考える脳・前頭前野がまだ発達していません。直感的な部分が成長し、段々前頭前野が発達します。大人はこの前頭前野が発達して蓄えた知識をもとに色々考えることができます。そして、意志したことを実行していきます。つまり知的な部分が発達して知的にも神を信じることができます。しかし、子どもはまだこの部分が未発達のため知的に信じる力が弱いですが、直感的に信じることができます。

イエスは子どもを祝福された

    1.子どもを連れてきた人たちの思いは、イエスに触れていただきたいということでした。ところがイエスのされたことは、触るだけじゃなく、子どもたちを抱き上げて祝福の祈りをされているのです。これがイエスのなさりたかったことです。天国はこういう子どもたちのものなのです。

    2.イエスの近くにいることはすばらしいことです。が、弟子達のしたことはイエスから遠ざけるという行為でした。イエスは子どもたちをご自分に引き寄せられました。イエスのそばにいることが人間にとって最高の幸せだからです。イエスのそばに来た子どもたちはそれを感じたに違いありません。教会の子どもたちに同じ幸せを感じてもらいたいです。

祝福される子ども達

神に受け入れられなければ生きていけない

    1.幼子は自分で生きていけません。誰かの助けをいただかないと生きていけないのです。幼子はかわいいですが、反面、手がかかります。もし、大人の利益だけを考えれば、子どもはいないほうが楽でしょう。子どもは大人が受け入れなければ生きていけません。死にます。
    2.私たちは「神の子ども」呼ばれますが、もし神に受け入れていただけなければまっすぐ地獄行きでした。もし、誰かにイエスのもとに行くことをさえぎられたら、私たちは地獄行きだったのです。ですからイエスは憤られたのです。
    3.神の祝福とはイエスの手に抱かれていること、神の愛の中にいることです。今、私たちが生きているのは神の愛によって受け入れられているからです。

神の前に幼子になろう

    1.イエスは世の中の弱い立場にあり、役に立たないかも知れない幼子を受け入れることから、人を受け入れる、自分を低くすることを教えておられます。私たちも神の子とされたことを喜び、神の前にへりくだりましょう。

    2.そして、自分の祝福ばかりでなく、子どものために、人のために神の前に膝をかがめるのです。イエスに祝福を願った親は、きっと子どもを抱き祝福されているイエスの前にひざまづいたでしょう。

★ 私たちも主の前に子どものように喜んで集まり、ひざまづいて、イエスに子どもを祝福していただくように祈ろうではありませんか。