
「最後(?)の晩餐」
こんにちは。おごちゃんです。
めっきり寒くなりましたね。と言っても、まだやっと晩秋って感じでしかなくて、晴れれば日向は暑いです。当地ではやっと紅葉が始まったかなって感じです。もう11月も半ばで、もうすぐアドベントなんですから、そろそろ冬を感じてもいいと思うのですが、当地のお天気から感じるのはあくまでも晩秋の初め頃という感じです。ということで、アイキャッチ画像は窓からの景色です。
いつもの通り、10:30過ぎに通訳用Zoomに入りますと、普段とちょっと違う景色になっています。

「んんん??」と思ったのですが、きっとクリスマスの練習ですね。最初はかなり驚きました。
そう言えば、今日は珍しく生武のぞみ先生が来られてました。表向きは教団総会のためだったと思いますが、お母さんの生武姉を直方にお迎えするため—つまり、生武姉は今日が最後の新中野教会での礼拝です。

いや、最後たって「最期」ではないわけなので、またお会いする機会もあるでしょうし(うちからだと中野よりも直方の方が近いし)、私のように「最後」とか言いつつふつーに「出席」したりする人もいますし。生武姉もこのところずっとネット礼拝ですから、普段姿が見えないのは大差ないし… とか、今時だと転居してもそんなに距離感が変わった気がしないというのも、色々不思議です。なので、私が「最後ですね」と言うのもおかしいですね。自分のことも含めて考えると、「今日は久しぶりに会堂に来た」くらいの感じなのかなぁと思ったりもします。
ついでですから自分のことを書いてみると、遠方になっての「もどかしさ」はあります。「ちょっと」という感じで会堂に来れないのは、楽でもあり不便でもあり。また、毎週Zoomでつながっているとは言え、音声がつながっているわけではないですから、コミュニケーションとして満足しているかと言えばそんなこともありません。とは言え、手話通訳は休めば他の人が苦労する程度には礼拝の時の重要な奉仕で、それを毎週やっていることには変わりありませんし、同じ時間に同じ礼拝の時間を持っていることも同じです。3ヶ月に2度はリアルに会堂に来れますが、その時もあまり特別という気はしてません。そうした意味では「離別」という感じはないですね。実のところ東京に到着した日も「昨日もいた」ような気がしたりするわけですけど。
ただ、そういった状態であっても「離別」と感じる人もいるだろうと思います。かつてはそうして転会して新たな土地で新たな教会に参加して… というのがありました。この辺、どっちがどうなんだろうな、というようなことを思います。転会するにしてもリモートになるにしても、選択した結果が良いものであれば良いなと思います。
というようなことは実は私にはほぼ見えてません。「画面の外」ですからね。
いつも通りの賛美があって、

メッセージ。今日のテーマは「聖霊の支配」説教題は「あなたに起こったことを知らせなさい」。聖書箇所はマルコによる福音書5章11〜20節です。今日は主の晩餐なのですが、いつもの主の晩餐とは違った系統のメッセージですね。詳しくは本編の方で。

そして、その後は聖餐式です。

礼拝後の写真撮影は、今日は拡大版です。そして、私も参加w

しかし、ディスプレイの縁が黒いので、ほとばしる遺影感w しょうがないですけどね。でも、こういった配慮をしてもらうと、「離別」という感じがなくなります。そこに私はいます、眠ってなんかいません♪

これは寄せ書きかなぁ。私の時にはなかったぞ。まぁ、私はいらんけどw
そして、今日はランチがあります。

これは炊き込み御飯だな。
午後は今日は各会です。M兄には全部の会の写真をいただいたので、普段はからしだねだけですが、全部載せておきます。
ころばは「吹き込み」をしてるんだそうです。

ベタニアは生武姉と御歓談のようです。

からしだねは「来年度の予定」みたいなことを話してました。

からしだねには私も参加しています。こんな感じでやっていたのですね。
こうやって普段の交わりにも参加できていると、「離別」という感じがない… どころか、普通に参加している感じですね。まぁコロナの頃からリモートで各会とかありましたものね。
そう言えば、教会のお隣りは解体のようです。

なんかすっきりしましたねぇ。こういった会堂の外のことが見えるのも、距離感を感じずに済む元だったりします。当地では10年経っても景色あまり変わらないんですが(とは言え私は約50年ぶりだったので随分変わってました)、東京はちょっと見ないうちに随分変わりますからね。と言えば、この前来た時に多慶屋の新しいビルが完成していて「もうできたの?」って思ったものです。
私はこの後実家で柿を採ったりとかしていました。
というのが日曜日の様子でした。















