あの人のお陰で
運動会はできたか?
クリスマスを迎える時期となりましたが、コロナ禍のために多くの教会はどのようなクリスマス集会をしようか悩んでいます。
アッという間に12月を迎え、子ども達にとっても今年はどのような年だったのでしょうか。修学旅行が中止になった学校もたくさんあります。「運動会が楽しかった」という話も聞かないでここまで来たような気がします。
自分の力ではない
あるクリスチャンの方のメールマガジンでこのような記事を読みました。
子供のころ私はかけっこが苦手でした。かけるとビリなのでみんなが楽しんでる運動会が私にはつらかったものです。
家族にさえ来させないようにしたこともあるくらいですが,ただ一回一位を取った事がありました。そりゃ一生忘れることのできない喜びとして今でも私にとって勇気と力になります。たしか4年生か5年生のころだったと思われます。
およそ30メートルくらい走ってから地面に貼り付けてあるメモに書いてある人と共に最後まで走る競技でした。やはりスタ-トがおくれてメモのところに着いて見ると、メモは一つしか残ってないし,
友達はすでに校長先生や郵便局長やおじいさんなどの手を取って走っていました。
今日もやっぱりビリだなと諦めて、メモを開くと「体育の先生」と書いてありました。「体育の先生!!」って叫ぶと、先生は待っていたように飛んでこられました。誰かがいつかは呼ぶだろうと思ってメモのそばでお待ちになっていたのです。
先生は私の手をひっぱって走りだしました。先生の手を握ったとたん、私の足は地面から離れました。おじいさんにおいつき、郵便局長、また校長先生までを後にしてとうとう夢にも望んでいた一位になれました。自分にはとうていできなかった事が、先生の助けにより成しとげられたんです。
我々は、生きていく中、人より劣っている気がすることがあります。自分の力だけではとうてい手に負えないと思われる事が多すぎます。放棄し,逃げたいし,泣きたいことが次々出てきます。
しかしこれからはぜったいに、敗けも、諦めも、失望もしません。イエス様の御名を呼んで,イエス様の手を握りさえすればいいのですから。
たとえ自分にはできない事も、天地の造り主は全知全能でいらっゃるからです。
自信をつけることができた
この記事を読んで、思わず私も小学生の時を思い出しました。私にとっては大嫌いな運動会でした。一年生から三年生まではいつもビリでした。
HSC(Highly Sensitive Child)の私は、誰よりもスタートでのドキドキが激しかったみたいです。それがため必ず出遅れました。カーブのところで合流する競走は、みんなに遠慮して内側に割り込めなかったのです。障害物競走ではみんなが先に乗り越えてからでないと進めませんでした。こういう私ですから、当然「自分は遅い」と信じ込んでいました。
この思いを変えてくれたのが四年生の時の友達J君でした。一年生の時から同じクラスで、ちょっとやんちゃな子した。よくケンカし、みんなから怖がられている子でした。ところが、どういうわけか彼は私には悪さをしてきませんでした。私があまりに弱かったからでしょう。
変化した四年生
四年生の運動会を前にしたときのことです。四年生から1500M走の競技がありました。四~六年生でクラスから3名が選ばれて、24名(1学年2クラスでしたから)が一斉に走る競技です。クラスから3名を決めるための競走が体育の時間に行われることが発表されました。当然私は出ることもあり得なかったのです。
が、何を思ったか、J君が、「おい、藤井。1500Mの練習しよう!」と言ってきたのです。ビックリしたのは当然です。でも、J君から言われたのでは断れず、休み時間毎に運動場を一緒に走ったのです。J君はもちろん早いです。私はとても追いつけませんが、一緒に走ってくれました。
そして、3名を選ぶ体育の授業の日が来ました。私は必死でJ君を追いかけました。とても追いつけませんが、それでもとんでもないことになったのです。3位に入ってしまいました。J君はとても喜んでくれました。私も当然大喜びです。親に自慢げに話ができた日でした。
自信をつけることができた
運動会当日、両親も祖母も来ました(何しろその頃の運動会は町内のお祭りみたいなところがありましたから)。案の定、障害物競走ではビリでした。そして、1500Mです。24名が一斉に走ります。どうしても割り込めず、最初から後ろを走りました。でも、22位になれたのです。J君は???彼は当然前の方なのですが、彼の順位なんか覚えてもいません。
J君とは五年生でクラスが別れたのですが、彼は相変わらず早かったです。私も長距離走に自信をつけて走り続けました。それで五年生、六年生ではクラスでトップ争いするようになりました。六年生では高槻市の連合運動会に出ました。12人中6位でした。J君は別のレースで上位でした。
HSCの私であることは変わらないのですが、私に不思議な自信をつけてくれたJ君。中学校では彼は転校したようで出会うことがありませんでした。私にとっては天使のような存在です。
教師になっても
J君は私に長距離走の自信をつけてくれました。これは担任の先生にもできなかったことです。たぶん担任の先生は「藤井は遅い」と思い込んでいたと思います。何しろ、担任の先生から何らかの励ましの言葉をもらった記憶がありません。通知表にはいつも「おとなしい」「もっと積極的に」などという言葉が書かれていましたから。
今、思い出しても不思議です。なぜ彼は私なんかに声をかけてくれたのか? 一緒に走ってくれたのか? 現在、どこにいるのか分からない彼に聞いてみたいものです。彼も65歳になっているんですよね。10歳頃の彼しか思い出せません。
私はこういう経験をしたので、中学校で担任をしたときも、いわゆる「できない」子をどうすれば自信をつけることができるか考えるようになりました。
でもそれは簡単なことではありませんでした。小さな子ならほめればたいてい上手くいくことでも、思春期の子達にはそう簡単ではありません。かと言って高校生のように大人の考えができるわけでも無い中学生はなかなか手強いものでした。その彼らも友達の言葉の力は大きかったみたいです。
祈る子ども達
また、教会で子ども達に聖書を教えていると、子ども達が聖書の言葉で変化していくのも見ることができました。つまりイエス様のお陰で変わったということです。特にお祈りができるようになった子どもの変化は大きいです。友達のためにお祈りするようになるのです。
私が神学生だった30歳頃、ある教会で中学生の女の子の悩みを聞きました。友達がいじめで学校に来なくなったというのです。そこでその子と祈りました。彼女も一生懸命お祈りました。2週間後だったと思います。彼女から笑顔で報告を受けました。「先生、学校に来てくれたよ!」と。私は彼女のお祈りを聞いてくださった神様に感謝しました。担任の先生も動いて、いじめをした子達と仲直りができたみたいなのです。
彼女が祈ってくれたことを知っているかどうかわかりませんが、彼女は「お祈り」のすばらしさを知ってくれたと思います。
神様のお陰で
私は「祈りは愛」と語ってきたのですが、私も子ども達に祈られた一人です。私は体のあちこちに痛みを抱えていますが、東海地区の春のバイブルキャンプに呼ばれて子ども達に聖書のお話をしたときです。
一人の先生が「藤井先生は痛いところがあるんだって」と言ってくださったら、子ども達が私を取り囲んで祈ってくれました。すごく嬉しかったです。本当に祈りは愛です。
私は今もそうした誰かの祈りのお陰で働けているのです。
もちろん神様のおかげです。
人は一人で生きていけませんが、祈りをもって助け合うというのはすばらしいと思っています。祈りには国境も関係ないですから。
皆様にクリスマスの祝福をお祈りしています。