子育て通信

牧師になりました

子育て通信

  (藤井敬朗の人生を神様に感謝しながら書いています)

牧師一年生

  1986年に神学校を卒業して高槻キリスト教会の牧師になりました。中学校の教師時代とも、神学生時代とも全く違う人生が始まりました。まだ古い小さな借家の教会で6畳と4畳半の部屋のふすまを取り払って礼拝している教会でした。

  そこで私が最初に遭遇したのは、最近話題になっている旧統一教会です。高槻キリスト教会は先代牧師が救出活動をして統一協会から何人もの青年を救出しました。それで多くの親御さんからも感謝されて、安心して高槻キリスト教会に息子・娘さんを通わせておられたのです。その先生が転勤になり、私が牧師として赴任しました。
  私の最初の仕事はそういう統一協会を辞めた(抜け出た)青年達のリハビリでした。中には社会生活に入り込めない青年もいました。人間関係が上手くできない青年もいました。彼らに聖書を通して学びをし、実生活で色々体験してもらってリハビリしていくのです。
  しばらくするとこうした青年達は元気を取り戻し、生き生きと生活できるようになり、クリスチャンとしての信仰生活も生き生きし出しました。すると、自分のことだけでは無く、他の人のことも考えられるようになりました。そこで、始めたのは公園に出かけて紙芝居をする事からでした。それは結構受けて、親子に楽しんでもらえましたし、その後に子ども達とボール遊びしたりしましたが大変喜ばれました(その頃はこういうこともできる安心な世の中だったみたいです)。
  高槻キリスト教会はこうして若い人たちが子ども達を愛して成長していった教会でもあります。でも、最初は会堂が無くて、小さな借家でしたから、ここには子ども達を集めることができませんでした。だから公園だったのです。

会堂を建てる

  みんなは独自の会堂を持ちたいと願っていました。そして、私はみんなの願いを実現できるように祈り、会堂にできる中古物件を探し始めました。でもそう簡単に見つかるものではありません。礼拝堂にできる部屋のある物件は高すぎるし、金額を抑えると駅から遠すぎるし、本当に苦労しました。新築にすれば思いどおりになるのですが、到底それだけの土地を見つけて買うだけの財力はありませんでした。
  しばらく時間がかかったのが幸いしたのか、その短い間にも教会のメンバーは増え、会堂のために献金してくださる方も増えました。そして、大阪ではなく、東京の不動産屋さんが現在の高槻キリスト教会の土地を売り出したところを私の伯父が東京出張の時に見つけたのです。大阪にその物件が出まわれば一気に売れてしまう土地でした。おかげで私たちはいち早く手を打つことができたのです。

子ども達が集まった

  こうして高槻キリスト教会の土地を取得し、続いて会堂を建てました。すると、この会堂に子ども達を集めることができ、毎日のように子ども達がやって来るようになりました。多いときは20名くらいの子ども達が来ました。そこで土曜日にはスタッフも充実させて特別な子どもの集まりをしました。平日は私と妻しかいませんので、勉強を教えたり、楽器を触らせたりしていました。

  その内、この子ども達と近所の掃除もするようになりました。子ども達が道路掃除、溝掃除をすると大人達は感心してくれるのです。「ありがとうね」とよく声をかけていただきました。クリスマスには大きな箱にいっぱいのお菓子を入れて持って来てくださる方もありました。

子ども達が消えた

  ところが、ある日、突然子ども達が消えたのです。しかもそれが続きました。いったい何が起こったのだろう? 道で出会った子どもに聞いてみると「お母さんが、行ったらアカンて言うねん」とさみしそうに教えてくれました。さらに調べてみてわかったのは、お母さん方の間に変なデマが流れたからでした。「あの教会は統一協会らしいよ」とか「あの教会はエホバの証人らしいよ」というデマです。誰が言ったのかわかりませんが、そのために親御さんが高槻キリスト教会に子どもを行かせなくしたのでした。
  しかし、デマでしたからしばらくすると親御さん達にもわかってもらえて、また子ども達が来てくれるようになりました。そして、私も小学校のPTA会長に推薦されて、それがさらに安心の元になったみたいです。しかし、この出来事は私にとってデマの怖さを知ったときでした。今ではネットの怖さでしょうね。

キャンプ(お泊まり会)

  教会員の子ども達は10名くらいいたので、この子達のために毎年夏に教会で「お泊まり会」をしたりしていました。それを近場にある大阪府立青年の家で2泊3日の泊まり込みキャンプにしようということで小学一年生以上を対象に2泊3日のキャンプをすることにしました。すると、子育ての会のメンバーが「うちの子どもも参加させてもらえませんか?」と言ってこられました。快く受け入れたところ、次々お願いされ、正式に受け付け始めたところ何と50名もの子ども達の参加となりました。
  青年の家は幸い大きかったので人数的にも宿泊可能でしたので、続いて教会メンバーに協力を仰ぎ、泊まり込みに10名のスタッフ、通いに10名のスタッフを集めました。本当にみんな子どものためにとよく考えてくれました。
  教会学校のキャンプなので、聖書のお話はもちろんあります。それ以外に、川遊び、飯ごう炊さん(子ども達に薪割りの体験、火をつける体験もして欲しかったのです)、大ホールで子ども達の劇などの発表をして親御さんに観ていただく時ももちました。これは毎年大好評でした。
  後にこの青年の家が大阪府の財政難のために無くなるのですが、とても残念で、私たちは他に宿泊施設を探しました。ちょっと遠かったのですが、琵琶湖のほとりにある大阪市立びわこ青少年の家に場所を移しました。ここでは琵琶湖で泳ぐことやカヤック体験などもできました。

子育ての会

  一方、子育ての会も好評で、教会で行っていた子育ての会は毎回20名ほどの出席があり、コーヒーとお菓子をいただきながらワイワイとやっておりました。教会まで来れない方のために私が出張して行う子育ての会が4箇所でき、その一つはマンションの集会所を借りてお母さんと子ども達で30名くらい集まり、とても賑やかでした。ここではかつて幼稚園の先生をしていた方が子ども達に色々な遊びや絵本を読んでくださるという奉仕をしてくださったので、本当に助かりました。

個別相談

  子育ての会に来られるお母さんの中には子どもさんのことで悩んでおられる方もいらっしゃって、その方とは個別に相談の時を持ちましたが、その問題は発達障害、不登校、精神的な病、万引きなど色々ありました。その問題にどのように向き合うかを共に考えながら取り組んできて、多くの良い結果を見ることもできました。中にはご夫婦の問題、嫁姑の問題もあり、なかなか大変なものも体験しました。

  こうして17年間、高槻キリスト教会で働いて、2003年に新中野キリスト教会に転任となりました。
  早速、子育ての会を始めましたが、高槻のようには人は集まりません。理由はよくわかりませんが、でも少数なりの良さがあり、こうして20年間続けてくることができました。この子育ての会で最初に出会った方のお子さんはすでに成人されています。それを思うと「長く続けているんだなあ」と感慨深くなります。涙ながらにお子さんのことをこの「子育ての会」で語られた方もたくさんありました。
  どうお答えして良いのかわからないこともたくさんありました。でも、その時に他のお母さん方が語ってくださる優しい言葉が助けになったものです。感謝ですね。お母さん方の言葉からエネルギーをもらったのは私もです。

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Posted by shinnakano