愛すること、愛されること

子育て通信

愛が大事

 子育てで愛が必要だということ、子どもを愛すること、夫婦が愛し合っていることが大事なんていうことは、ごく当たり前に言われています。

 ジョージ・サンタナヤは「よく注意していないと、私たちは子どもの真の価値を発見しそこなってしまう。そして子どもに対して誤った先入観を抱いてしまう。愛は子どもの良さ、すばらしさを発見させるものである。だから、親が子どもを愛する努力を怠るなら、悲劇的な結末を招くことになる」と言い、P・クックは「子どもというのは、両親がどれほど自分を愛しているか、わからないものである。彼らが親の愛に気づくのは、親が墓の下に眠ってしまった後か、自分自身が親になってからである」と言っています。

 私自身、親の愛がまだまだわかっていないと思います。子どもを育ててみて確かに親の愛を知りました。しかし、まだわかっていないのです。本当に愛というのは奥が深いです。

愛は習得されるもの

 子どもは、愛すること、愛されることをすでに知って生まれてくるのではありません。おなかの中の完全な守りの中にいて赤ちゃんはお母さんの愛に育まれて成長するのです。しかし、そのお母さんがおなかの赤ちゃんを愛していないと、赤ちゃんにとっておなかの中も居心地が悪くなるのです。

 また、完全なおなかの中から出てくると大変なことが一杯です。息もしなければいけないし、おっぱいも飲まねばなりません。おしっこやうんちをしておしめが濡れて気持ち悪いということも体験します。自分で何もできない赤ちゃんはおっぱいをもらうために訴え、おしめを替えてもらうために訴えるのです。そうしたときにおなかの中で味わっていたような安心感をお母さんからいただくことで愛を体得していきます。

 子どもは愛情豊かな環境の中で「愛」を習得していくのです。

両親の愛が

 「愛」は抽象的な言葉ですが、「愛」は見えるものです。両親が互いに愛し合っている姿は子どもたちに一番よく「愛」を教えます。子どもたちが知識を蓄える前に両親の行動や言葉から学んでいます。それが優しい声であったり、気持ちのよい抱き方であったり、心地良い呼びかけであったりすると、そういう中に両親の自分(赤ちゃん)に対する愛がにじみ出ていて、「愛」をしっかりと学ぶことができるのです。

 「愛を感じる」とよく言われますが、それはそれに伴う表現がありまして、手を握る、抱く、ほほえむ、見つめる等の表現があるのです。また、愛は言葉で表現することも大切なのです。こうした行動、言葉を伴う愛の表現が子どもに「愛」を教えていくものとなるのです。

 逆に言葉で愛が語られても、行動が伴っていないと子どもには「愛」が伝わらないで混乱することもあります。言葉はその行動と一致していることが大事なのです。

 愛はその人に対して犠牲的に自分の時間も与えるものです。ですから実際に、子どもの話を聞くために特別に時間をとるなどという行動が愛を伝えやすくするのです。

信頼

 「子どもを上手に愛している親は、子どもたちが、自分はだれかに依存しない、自立した人間であるという意識を持つように育てる」とマイヤーズという学者は言っています。親から信頼されている子どもは自信を持ち、自立に向かうのです。親の「あなたのことを信じているよ」のひと言が子どもを強くするものです。

 愛とは信頼することです。イエス様は、まだ弟子たちが十分な力を身につけていないときに二人一組であちこちの町や村に宣教に遣わしました。弟子たちは大人でしたが、宣教師としては全く力不足でした。でも、イエス様が彼らを信頼して送り出しました。彼らは不安だらけでしたが、イエス様の信頼に応えてよき働きをしてきました。彼らみんな喜んで働きを終えて帰ってきたのです。愛によって信頼されるということは成長に大きな力を発するものなのです。

聞き上手

 聞き上手な親は少ないと言われます。疲れているところにまとわりついてきて色々話しかけて来られると確かに大変です。しかし、子どもの話だからたいした話ではないと思っていても、聞いて思わぬ発見をすることが多々あるものです。「またか」とか思うのでなく、新鮮な気持ちで子どもの話を聞けるとよいのでしょうね。

 子どもの目を見てしっかり話を聞くことで、子どもは自分が愛されていることを確信するそうです。しっかり話を聞いてもらった子どもは、大きくなってから今度は親の言うことによく耳を傾けることになるのです。愛は習得するものですから、愛をもって話を聞いてもらってきた子どもたちは、愛をもって話を聞くことのできる人へと成長するのです。

経験を分かち合う

 「あなたの子ども時代を思い起こして、一番楽しかった思い出はどんなことですか?」という質問に対して、多くの人が、「家族で一緒に○○をしたとき」ということを答えます。皆さんはどんな思い出がありますか?  家族で一緒に何かをするというのは子どもたちにとってとても大事な事です。一緒に旅行するとか遊園地に行くとかという楽しいことももちろんですが、一緒に苦労するのもまたよいものです。楽しかった思い出とは違うかも知れませんが、苦労を共にするというのは、家族の一体感、互いに愛し合っていることを実感できるものです。

 また、その楽しかった出来事、大変だったけれどもみんなでがんばったということを思い出すことで、今も家族の一体感を再体験できるのです。

条件付きでない愛

 「子どもに対して決して言ってはならないことばがある。『○○するような子が私は大好きよ。だから○○してね』とか『あなたのことが大好きだけれど、でもね…』とかいうものである」と、D・グッドマン博士は言っています。「条件付きの愛」はよくないということです。条件付きということはそれができなければ愛してもらえないことになるからです。それは自分の存在を受け入れていもらっているのではなく、自分の行為が受け入れられているに過ぎないからです。

 イエス様はその点「条件付きでない愛」で私たちを愛してくださっています。聖書を読むとよくわかるのですが、何もできない、いや悪を行ってしまうような私たちさえ、「○○をすれば救ってやる」とは言われませんでした。「そのままでいい。私のところに来なさい」と言ってくださった神様です。

 私たちも子どもたちに対して条件付きでなく、「大好きよ!」と明るく温かく語っていきたいものです。

物よりも人が大切

 こどもにとってどんなプレゼントよりも嬉しいものは何でしょうか?  時に親は子どものためにと、子どもと過ごす時間を削って働くことがあります。しかし、子どもの目には、親は「人よりも物を大切にしているのだ」と見えてしまうことがあるのです。決してそんなつもりでなくても自分との時間よりも物を得るために時間を費やしていると見えるのです。

 反対に物を捨ててでも、子どもとの時間を持つようにするならば子どもには自分が愛されていることを実感します。

 どんなに豪華な誕生日プレゼントをもらっても、親が誕生日に祝ってくれなければさみしいものです。もちろん忙しさのために「その日」が難しいときもあります。そうしたことはそのための努力で子どもにもわかるものなのです。

参考図書:幼い子を持つ親のための7章
               (いのちのことば社)

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Posted by shinnakano