安心して遊べるように
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子育て通信

子どもセンター

 3月12日(金)、子どもセンターの卒園式が行われました。昨年度はコロナ感染症拡大防止のために緊急事態宣言が出され、6月からの保育となり、例年より2ヶ月少ない保育となりました。
 しかも、保育士はお弁当の時以外はマスクをしっぱなしです。子ども達が保育士の表情をしっかり見ることができないという大きなハンデを負いながら保育してくださいました。
 それでも子ども達はそういう環境に慣れるのが早いというか、生後2年での出来事だけに、これがこの子達の常識になってしまったのかも知れません。

 3歳までの子育てが大事だと言われるのは昔も今も基本線で変わっていません。この子達が大きくなったときにこのコロナ問題の影響が出てくるのでしょうか? 今はわかりませんが、センターの保育を見る限りは今までの子ども達と同じように元気に遊び、お散歩も、屋上遊びも、夏の水遊びも今まで通りでした。ただ保育士のマスクだけが今までと違いました。

子ども時代が変わった

 色々なことが変わってしまった1年。家庭でももちろん変わったことと思います。遠方に住むおじいちゃん・おばあちゃんのところに行けなくて共にさみしい思いをした方も多かったでしょう。
 中には、入院中の家族や友達を見舞うこともできなかった方、お葬式にも出席できなかった方等々、コロナは私たちの今までを大きく変えました。当然その影響が子ども達にも現れると思います。
 子ども達の中にはコロナによる不安を抱えてしっかり眠ることもできなくなったり、泣き出したりする子もいました。テレビではコロナのニュースばかりで、その情報によって子ども達の頭もコロナによる不安が増大していると思われます。
 不安を持たずに楽しく遊び回るのが子どもです。それができず、不安でビクビクして家から出られない子がいたのです。
 また、家でしか遊べなくて、リモートワークしている両親に「うるさい!」と叱られて楽しく過ごせなかった子達がいました。
 子どもは子ども時代をしっかり過ごさねばなりません。

遊ぶのが子ども

 佐々木正美先生の本「子どもを伸ばす かわいがり子育て」(だいわ文庫)に、

 子どもは子どもの要素を使い切ってからでしか、大人になってはいけないのです。
 子どもの心を持った子どもは健康な存在ですが、疑似的な大人の心を持ってしまった子どもは不健康です。
 また肉体的には大人になっても、精神的に成熟できないままでいるアダルト・チルドレンのような存在の不健康さは、今日、数多くの本があるように、簡単には表現しようもないほどに深刻で不幸なものです。
 それでは、子どもが子どもの要素を使い切ってしまうためには、子ども時代をどのように生きていけばよいのでしょうか。
 一言で言えば、
「子どもは子どもと一緒に子ども時代を過ごす」
 ということです。
 仲間と互いに共感し合いながら、大きな興味や関心のあることに、燃えるような情熱に駆られるようにして、毎日多くの時間を過ごすということです。
 仲間に受け入れられながら、そして同時に仲間を受け入れながら、成長・発達・成熟にともなって、そのときそのときに持ち合わせる「心身の機能」を精いっぱい活用できるような時間を、仲間と共有し合うということです。
 そういう時間を多く持つことができれば、そのぶんだけ子どもの要素を使い切ることになり、それだけ成熟不全というような意味での子どもっぽさからは、脱却できることになるのです。
 子どもにとって遊びが大切な活動であることは、誰もが知っていることですが、本当に理解し、子育てや教育で実践するのは、なかなか困難なようです。
 それは自分自身の子ども時代の感情を忘れてしまっているからです。自分の子ども時代をよく覚えていることができれば、多くの人は子どもの教育・育児に失敗することはないのでしょうが、そのときそのときの目先のことばかりに気を取られて日々を過ごしているうちに、自分の子ども時代のことを忘れてしまうのです。
 子どもが子ども時代に、子どもの要素を使い切るために、仲間との遊び以上に意味や効果があるものは、他にはありません。遊び以外にはまったくないと言い切っていいくらいです。

「子どもを伸ばす かわいがり子育て」(だいわ文庫)

安心感と遊び

 子どもが楽しく遊べるのは、まず安心感が育っていることからです。その安心感はまず最初にお母さんとの間でつくられます。赤ちゃん時代に「人見知り」がありますが、それはお母さんとのしっかりした愛着、絆をつくっているからでしょう。「お母さんと一緒にいると安心」という心がしっかり育って、次に他の人といても楽しいと思えるようになります。それが友達と遊ぶと楽しいというふうに成長してくるのです。
 お母さんがそばにいると安心して友達とも遊べる状態から、成長していくとお母さんがそばにいなくても遊べるようになります。安心感が育っていないとなかなか自立へと迎えないのです。

 子どもは子ども時代を子どもとして過ごすことで安定した心を持ち、大人へと成長していくのです。
 このコロナのことでその成長に必要な「安心」と「友達とひたすら遊ぶ」ということが奪われていないかが気がかりです。
 しかし、コロナに限らず、現代は子どもが子どもとして子ども時代を過ごしにくくなっています。
 子どもが子どもだけで楽しく遊ぶことがしにくい時代だからです。何しろ危ないことが多すぎます。どうしても親の目が付きまといます。残念なことですが・・・

親の目の無いところで

 小学生になると親の目の無いところで遊びたがります。それは子どもの心に親離れしようという心の成長があるからで、冒険心も育ってきているからです。これによってまだ自分にできないことに挑戦しようという意欲を持つのです。この意欲が育つのも楽しく遊ぶことからです。楽しいから、ちょっと難しいと思うこと、ちょっと危ないことにも挑戦するのです。そして、挑戦したことが達成されると「達成感」が良きホルモンを出して、子ども心に「嬉しい」という感情を増大させます。それはまたセルフイメージを高めます。自立へ向かうわけです。

 ところが、この親の目の無いところというのは同時に危険でもあるわけです。それは単に車などの危険だけでなく、変質者に連れ去られる、危険な目に遭わせられるなどです。
 また、それだけでなく、子ども同士で悪い事をしてしまうことも多々あるということです。万引き、いじめ、不法侵入、窃盗、性的な問題等々を引き起こす可能性があります。そして、これらのことを親には話しません。

神は見ておられる

 親の目の無いところではどうしても神様の目に頼る必要が出てきます。それは親が神に祈ることですが、子ども自身が親以外の温かくも厳しい目を知っていることが必要です。そういう目をお持ちなのは神様(イエス様)です。幼い内にこの神様を知っておくのはどれほど大事でしょうか。
 神様に見られている、見守られている、神様は自分を愛してくれている、ということを「子どもセンター」では保育士の関わりや言葉、絵本や紙芝居による読み聞かせ、礼拝、賛美等々を通して伝えています。それは教会の姿です。教会は大人にも子どもにも礼拝を基本として、神様がどのようにすばらしい方かを伝えています。

 聖書にもこのような言葉があります。

 神の御目が人の道の上にあり、その歩みのすべてを神が見ておられるからだ。

ヨブ記 34:21

 全知全能の神だからこそ私たちの全てを見ておられて、全てを知っておられます。子ども達もこのことを知っていくと、何かあると神様に祈るものです。
 そして、悪い事をしようとしたときに、神様が見ていると感じて、その行いを止めたりもします。
 神様の目は厳しくもありますが、とても温かく、辛さを味わった時には優しい目で見守ってくださるのを感じるのです。

子育て通信

Posted by shinnakano