マナーを守れる子どもに!
どう思われますか?
コンビニの前などに座って飲食している若い人を見てどう思われますか?
電車の中で床に座り込んでいる学生を見てどう思われますか?
信号無視して走っていく自転車を見てどう思われますか?
電車やバスで老人に席を譲ろうともしない人達をどう思われますか?
小さな子では
牧幼い子どもたちはマナーを守ることができるのでしょうか?
電車や公共の場で泣き叫んだりする子どものことで困っているお父さん・お母さんをよく見かけます。事情は色々ですが、子どもたちがそういう場で大きな声で泣くというのは確かに誰かの迷惑になっている可能性はあります。とは言え、子どもはここで泣き叫んではいけないとわかっているのでしょうか?
子どもがそういうマナー、ルールをわかっていないとすれば、親御さんも気にしないでいればよいのです。、ですが、親御さんが気にしているのは、その泣いている子どもを放っておくことがマナー違反だというように受け止めているのかも知れないのです。中には泣き叫ぼうと気にしない親御さんもいらっしゃいます。
小学生では
小学生にもなるとある程度のマナーが守れると思います。
皆さんは小学生くらいの子どもで気になるマナー違反・ルール違反には何がありますか?ちょっと考えてみてください。
「ありがとう」の言葉や、「おはようございます」などの挨拶等々は幼稚園児でもできることです。そうしたことをしないとなると気になりますね。
年上の人に対するマナーはどうでしょうか?気になるのは先生に対しての言葉遣いや態度の悪い子どもが多いのではないでしょうか?年上の人に対するマナーを言う割に先生に対してはあまり気を使っていないような気がしませんか?
もっと大きくなると
マナーが守れなくては困るでしょう!仕事もできなくなりますよ。
ところが思春期というのは反抗期もあり、何かしら反発し、マナーも守らないことがあります。ここのところは理解しておく方がいいですね。もう大人に近い思春期のユースは親や先生に反発しても普通です。かといって、ひどい態度や言葉遣いは気になるものです。でも注意もなかなかできないし、注意しても通じないものです。それも一人でなく、複数でいるとますます言うことを聞かなくなります。
グループでマナーに反することをしているユースが多いのが現状だと思います。
昔話が変わってきた
皆さんは昔話が変わってきたことに気づかれているでしょうか?
昔話は結構残酷なお話が多いものです。しかし、最近の絵本では結末がハッピーエンドが多いというのです。変わることが無いと思われていた昔話の内容が変わるのは社会の様子が変わったためです。
江戸仕草などがはやる
現代は人間関係のストレスが多く、そのために精神的な疲れ、病気も増えているようです。それは大人に限らず、子どもの世界にも広がっています。
そこで、もう一度お互いの関係を見直そうという動きがあり、江戸仕草などのマナーを伝える働きが増えています。
ビジネス週刊誌でも会社などにおけるマナーを特集したりしています。
マナーの教え方は大丈夫か?
幼児期に私学進学を考えて挨拶や言葉遣いを仕込んでおられるところがあります。さらには学力向上のために、早期教育?に取り組んでおられるところもあります。幼い子どもにはどこまですることができるのか、またどこまでしていいのか、基準が示されていないだけに、世の中ではまちまちだと思います。つまり、ある子どもはとても行儀作法がしっかり仕込まれている反面、ある子どもはそうしたことはほとんど無く、いわゆる「ガキンチョ」です。
では、その子どもたちが大人になったら大きな差がつくものなのでしょうか?
中学生や高校生、大学生時代に運動クラブに所属すると、厳しいところではその上下関係が大変で先輩に対する言葉遣いや態度も尋常でないことがあります。行き過ぎはリンチ事件にまで発展しています。本来、上下関係のマナーを仕込んでいたつもりが、度を過ぎているということでしょうか。先輩にはしっかり挨拶するのに、先生には挨拶しないこともあります。
マナーって?
マナーの多くの様式は、四角四面に解釈して適用するマニュアルではなく、人間が気持ちよく生活していくための知恵である。マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。例えば日本では他者の目の前でげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。他には、日本では食事の際に飯椀を持ち上げて食べることが一般的であるが、韓国では逆に飯椀を食卓に置いたまま箸や匙ですくって食べることが一般的であり、食器を持ち上げて食べると「乞食のようで卑しい」と批判される、など。
「他者を気遣う」という気持ちを所作として形式化し、わかりやすくしたものが形式としてのマナーである。(ウィキペディアより) マナーは普遍的ではないのです。よく「常識」ということが言われますが、「常識」もマナーと同じく普遍的ではないのです。
私はクリスチャンとして聖書の話・イエス様の話をしますが、その話に対して「常識外れなんだよ」と反論してくる方があります。確かにある特定の地域や考え方をお持ちですと、聖書は常識外れのことを語っている部分が多くあるように思われるかも知れません。しかし、その常識の方が地域、文化等々によって違うのです。そういう中で聖書は普遍的なのです。
普遍的なものから
私はマナーの基本原則は聖書にあると思っています。それは私たちをはるかに超えた神様が教えてくださった教えで、普遍的であるからです。
それと、子どもの発達を考えて教えていくことが大事だと思っています。発達にはもちろん個人差があり、決して普遍的とは言えませんが、それでも、生まれてきてすぐに大人になる人は無いので、そうしたある程度の普遍性を考えていくということです。
黄金律
黄金律と呼ばれるほど大事な教えがあるのですが、それは、
「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」
マタイの福音書 7:12
というものです。
ウィキペディアで調べると黄金律にはこのイエス様の言葉の他にも以下のようなものが出てきました。
孔子
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」
論語
ユダヤ教
「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。」
ラビ・ヒルレルの言葉
ヒンドゥー教
「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」
『マハーバーラタ』5:15:17
イスラム教
「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである。」
ムハンマドの遺言
この大きな違いは、イエス様が「しなさい」という言い方をされたのに対して、他は「するな」という言い方です。
(次回につづく)