マナーを守れる子どもに!続

子育て通信

(前回からの続き)
 この大きな違いは、イエス様が「しなさい」という言い方をされたのに対して、他は「するな」という言い方です。

聖書の教え

 この黄金律の他に聖書の中で、ある学者がイエス様の問いに答えた言葉が有名です。

また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」

マルコ12:33

 聖書が何と教えているかを問うたイエス様に学者はこのように答えました。イエス様は彼の答をよしとしておられます。神と人を愛するということが聖書の中心的な教えでもあるのです。

情報のインプット

 ユダヤではこどもに小さい時から聖書を覚えさせています。その記憶力はすごいと思います。最近は日本でもこの暗記(暗唱)、朗読ということが見直されていますが、脳にまだ知識がほとんど入っていない段階で、最も大事な知識を入れようというのでしょう。

 子どもの脳は完成途上にあるとはいっても急激な発達をしています。初めのうちは生きるのに大事な部分が発達します。そして、だんだんと感情的な脳、知的な脳が発達していきます。

 人間は脳の中に入っていない情報では考えることも行動を取ることもできないのです。ですから、悪い情報が入れば悪い考えになり悪い行動をとるようになります。反対によい情報を蓄えればよい考えになり、よい行動になるわけです。ですから、よい情報だけを与える子育てができるとよいのですが・・・
 悪い情報を与えること無しに育てることはまずできないでしょう。

 イエス様はどうだったのでしょうか?イエス様はその生涯において全く罪を犯されませんでした(これが人間の姿をお持ちではあるけれども神様である証拠とも言えるのです)。では、悪い考えはイエス様の頭の中にはなかったのでしょうか?そうです。悪い考えは浮かばなかったのです。でも、悪いことが何であるかは知っておられました。知識としての罪も悪もインプットされていますが、脳がそれに支配されることが無かったのです。

 子どもたちに大事なのはよい情報をより多く与えて、悪い情報に支配されないようにすることです。そして、よい情報を活用する意欲を湧かせることです。そうすれば悪い情報が入ってきても知識として受け止めるだけで、それを活用しようとはしません。

気持ちを読み取る

 聖書を読む上で大事な事は神様の気持ちを考えることです。「その時のイエス様のお気持ちは?」と考えることです。それは誰かから手紙とかメールをもらった時と同じようなものです。「ありがとう」と書いてあっても、どの程度感謝の気持ちがあるのか、文字だけではわかりにくいものです。でも、ある程度それを読み取る力も必要です。

 子どもたちにそうした気持ちを読み取る力を身につけてもらうなら、場に応じた言葉や行動もとれるようになるのではないでしょうか?
 よく最近の子どもは読解力が落ちていると聞きます。

 だいぶ前のことですが、中学3年生の女子二人の高校受験勉強を見たことがあります。この二人はかなり成績が悪かったため、高校に入れないかも知れないと言われていました。しかも、問題行動が少しあったので余計大変だったのです。彼女たちを教会で見ていることを知ったその中学校の先生お二人がお出でになって、成績のことと問題点を教えてくださり、仕込んで欲しいと言われました。お引き受けして、英・数・国を中心に見たのですが、数学で驚いたのは計算問題は割とできるのですが、文章問題・応用問題が全くできないことでした。

 これと同じ事をその少し前に小学生の女の子の勉強を見た時にも感じました。その子の場合はある塾に通っていたので、実に計算は速かったのです。ところが文章問題になるとできないのです。遅いのではなく早く答えるのですが、考えていないのです。適当にそこにある数字を彼女の思いで足したり掛けたりしているだけなので、中にはまぐれで当たることもある程度でした。私が彼女にしたのは、問題文を声に出して読ませて、何を求めているか聞くことでした。初めはそれもできない状態でした。そして、次にその問題を解くために何が必要か、どんな条件がそろっているか調べることでした。わかってくるとかなりできるようになったのです。

 そこで、この中学生二人にも同じようにやってみました。初めは同じく何を求めているかがわかっていませんでした。問題文は読めるのですが、内容を理解していないということです。何度も「何を求めているのかな?」と聞いて、本人達もだんだん問題文を読みながら何を求めればよいのか考えるようになりました。

 「数学も英語もまず国語ができなくてはできない」と教師時代に先生方が言っていたのを思い出しました。

 マナーのことから大きく話がずれましたが、実は文章を読んで理解できない、書き手の気持ちを理解できないということが問題なのです。マナーの背後には相手の気持ちを理解することが必要なのです。もちろん人間皆違いますので完全に誰でも理解できるなんてことはありません。ですが、ある程度の理解ができないことには、あるいは空気を読むと言うのでしょうか、場をわきまえることができなくてはマナーを守ることができないのです。読書もそういう点で大事なのです。

 聖書を読む時、私たちはただ文字を追っているのではないのです。「神様が私に対してどんな気持ちで何を言いたいのか?」ということを考えつつ読むのです。そこで「聖書研究」という言葉も生まれました。あるいは「黙想」ですね。単に聖書のことを研究するだけでなく、神様のお気持ちを考える、黙想するのです。(もし、ご一緒に聖書を読んでみたい方がいらっしゃったら、一緒に聖書研究しましょう)

 こうした、相手の気持ちの理解に努めることが必要なのです。

 また、相手の気持ちだけでなく、自分の気持ちを伝えることも必要になります。

親は? 大人は?

 マナーの守れる子に育てるには、以下のことを考えていただくくこともよいかと思います。

 1.親がマナーを守っているか?
 2.親の価値観がしっかりしているか?
 3.親が子どもにしっかりと気持ちを伝えているか?
 4.気持ちの通じ合う関係をつくっているか?
 5.親も子どもも正しいことをしっかりと身につけているか?
 6.子どもに正しいことを行う勇気をもたせているか?
 7.人を尊敬することができるように育てているか?
 8.謙虚さ、謙遜さを身につけさせる努力をしているか?

 等々。いかがでしょうか。

クリスマス

 12月25日はイエス様のお誕生をお祝いするクリスマスです。最近の日本では24日のクリスマスイブで盛り上がり、25日にはお正月の準備がなされていることが多くなりました。クリスマスも何かのようにお祭りやイベントの日になっている感があります。

 ぜひとも、この期間(アドベント:クリスマスを待ち望む期間)に子どもたちとクリスマスの正しい意味を理解していただきたいと思います。

 あちこちの教会で、クリスマスの集会を行っています。同時にクリスマスのすばらしさを語っていると思います。教会にお出でください。

 イエス様の誕生はあなたやあなたのお子さんと無関係ではありません。この機会にそれをつかみ取ってください。

子育て通信

Posted by shinnakano