その水を私にください

礼拝メッセージ

 2021/8/1 礼拝説教
【テーマ】  本当に必要なもの
【説教題】 「その水を私にください」
【聖書箇所】 ヨハネ4:10-15

4:10 イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
4:11 その女は言った。「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。
4:12 あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました。」
4:13 イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
4:15 彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」

ヨハネ4:10-15

○ 「何でも欲しいものを言ってごらん」と言われたら皆さんは何と答えますか? 私たちの欲しいものというのはどれほど本当に必要なものなのでしょうか? また、本当に必要なものを求めているのでしょうか?

イエスが来られた目的

その人に会うため

    1.イエスはサマリヤ地方のスカルという町に立ち寄られました。そこで、イエスは一人井戸のかたわらに腰を下ろしておられました。一人の女が水汲みに来たので、イエスは「私に水をください」と言われました。

    2.実はこのことは珍しい話らしいのです。ラビと呼ばれるユダヤの教師が往来で女性と話をすること自体が禁じられていたらしいのに、イエスは平気で話しかけられたのです。というのも、イエスがこの町に立ち寄られたのはこの女性に会うためだったからです。

サマリヤの救いのため

    1.イエスはサマリヤ地方の人々の救いのためにこの女性と会うことを願われたのです。では、この女性はすごく立派な人であったかというと、そうではなく、男性関係で問題のある女性でした。そのためにこの井戸に水を汲みに来るのも、朝の涼しい時間帯ではありませんでした。その時間帯には町の女性がたくさん来ますから、恥ずかしい彼女は昼間の暑い誰も来ない時間に来ていたのです。

    2.イエスは彼女の来る時間をご存知でした。そして、彼女の罪も問題も何もかもご存知でした。しかし、イエスは彼女の罪を指摘するために来られたのではありません。彼女の当面の問題を解決するために来られたのでもありません。

    3.では、何のために来られたのか? 彼女の永遠の問題を解決するために、そして彼女を通してサマリヤの人々が聖書の真実を知るために来られたのです。つまり、彼等も待ち望んでいるメシヤはこのイエスであることを教えるためでした。

あなたに会うために

    1.イエスがわざわざサマリヤに来られたのにそのようなわけがあったように、神のひとり子であるイエスが天国からわざわざこの地上にお出くださったのにもわけがありました。それは「あなた(私たち)」と出会うためです。私たちは罪人で恥ずかしくてまともに神の前に出られない者ですが、イエスはそんな私たちに会うために来てくださいました。

    2.そして、私たちの罪を裁くために来られたのではなく、私たちを救うためにおいでになったのです。しかも、私たちだけではなく、私たちを通してより多くの人々の救いのためにまずあなたの救いを実現するためにお出でになりました。

イエスと出会う事で変化する

イエスと出会って嬉しくなる

    1.この女の人はどのようにしてイエスをメシヤと理解していくのでしょうか? それは彼女の男性関係を言い当てたけれど、決してそのことを裁かなかったことからです。イエスが普通の人ではない事を知りました。まだまだ良くわかっていませんが、神から遣わされた尊いお方だという点までは理解したみたいです。

    2.それは彼女のその後の行動でわかります。彼女はイエスに出会って嬉しくなったのです。真実なるものを求めている人はイエスと出会って、イエスの言葉に触れると嬉しくなるものなのです。そして、このイエスを信じる気持ちをもつものなのです。

嬉しくなる理由

    1.なぜ嬉しいのでしょうか? それは私たちの持ち合わせていない、しかし、私たちが本当に必要としているものをイエスがお持ちで、それを私たちにもくださるからです。

    2.私たちは必要なものがありながら、その大事なものを持っていないために不安であり、生きがいを感じなかったりします。例えば死後の行き先を知っていないと不安です。また自分の罪が解決できないでいることも気になって仕方がないです。これらのことをイエスは解決してくださいました。ですから平安をいただき、感謝し、喜べるのです。

イエスに求める

「水」に関心を持った彼女

    1.彼女の場合、とりあえず求めていたのは「水」でした。日本はほとんどのところで水道の水をそのまま飲めるというすばらしい国です。彼女の家にもちろん水道はありません。毎日水を汲みに来るのは大変な仕事でした。イエスの言葉から彼女はそういう水が簡単に手に入ると勘違いしました。

    2.彼女は 「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」 というイエスの言葉がわかっていませんから、勘違いしているもののその「水」に関心をもちました。

素直に「私にもください」と言うべき

    1.人間は水を必要としています。しかし、魂の水を必要としていることにあまり気づいていないようです。これを飲まないと生きていけない、天国へ行けないのです。その水は その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます という不思議な水です。

    2.彼女はわかっていないものの その水を私に下さい と言いました。私たちもすぐには分からないかも知れません。しかし、この水のすばらしさを感じたら、彼女と同じように その水を私に下さい とイエスに言うべきです。

★ イエスが与える水を飲む人は永遠に渇くことがありません。天国から直接流れてくる水、神ご自身である聖霊をいただくことができます。まずはイエスに その水を私に下さい と言うことです。
  イエスがどのようなお方かまだ十分わかっていなくても、このお方が救い主なら「信じてみたい」と思うところからスタートしてください。
    さらにこのお方が神様であり、私の罪の解決をしてくださり、天国へと導いてくださるお方だと信じる決心をされたなら、ぜひ、「イエスを信じます」と告白してください。