失われた者ザアカイ

礼拝メッセージ

説教者:八木原海師
2024/7/14 礼拝説教
【説教題】「失われた者ザアカイ」
【聖 書】ルカ19:1―10

19:1 それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。
19:2 するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3 彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
19:4 それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。
19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
19:7 人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。
19:8
しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
19:9 イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

ルカ19:1―10

イエス様はどんな方?と聞かれたら、私の人生を変えた方だとお答えしたいです。今日の箇所で、イエス様は取税人の頭のザアカイとエリコの町で出会い、ザアカイはガラッと変わります。その箇所から、私たちとイエス様との出会いで何が起こるのか見ていきます。群衆がイエス様を見に集まる中、背が低かったザアカイは、木に登ってイエス様が通り過ぎるのを待っていました。

失われた者ザアカイ

① ザアカイは当事者になる

ザアカイは、イエス様に話しかけられた時、もうイエス様は他人ではなくなりました。5節でイエス様はザアカイに話しかけました。

19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」

「泊まることにしてあるから」とあります。宿を貸してくれる人は旅の中で大事な存在です。イエス様は、ザアカイの名前を呼び、イエス様の旅の重要人物としてザアカイを選びました。ただ次の宿泊先を伝えた以上に、イエス様はザアカイに、「あなたはただ私の見物人ではなくて、私との間での当事者だよ」と、いちじく桑の木の上を向いて教えたのでした。私達がちょっとだけ自分の人生のプラスになるかもと思ってイエス様を見学している気持ちでも、イエス様は、受け入れて従うことを求めておられます。ただ見ているだけの者と、宿を貸す者には大きな違いがあるのです。

② 罪を償うザアカイ

当事者となったザアカイには、怒涛の変化が訪れました。イエス様の言葉通りに木から降りて喜んでイエス様を迎え入れると、人々はザアカイが罪人だと言うのですが、ここでザアカイは今までの罪を償うと言い始めました。8節を読みましょう。

19:8
しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」

「○○人」と呼ばれる人にとって一番難しいことは、○○を辞めることです。罪人にとって、罪を辞めることほど難しいことはありません。強制されたり、世間体を守ったりするために辞められる程ぬるい罪人では、取税人の頭というポジションにはつけないのです。そんなザアカイは、今までの悪行を認め、財産の半分を施しへ、暴力的に得た分は4倍にして償うと宣言しました。一つの塔が倒れるような、あまりに不思議で、あまりに大きな変化がザアカイに起きたのです。

③ 失われた者の救い

ある人はザアカイが回心したと言います。ある人は悔い改めたと言います。いずれにしても、ザアカイがイエス様の当事者となって罪を償った過程を、私達の意思で再現することは不可能です。なぜならこれらの出来事は神様独自の感性と神様独自の方法によってなされたことだからです。

19:9 イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

「失われた者」とあります。物がなくなって簡単に見つかる現代日本のような社会ではありませんから、失われるというのはゼロになることを意味します。ザアカイは息をして命を持っている人でしたが、この日ザアカイの身に起きたことは、死んでいた者がよみがえったような救いだと神は見ておられるのです。神は、滅びと救いというものの見方を持っておられるようです。私達は、自分や誰かを滅びているとか救われているとか言うことはできませんが、聖書はこの後エルサレムに向かうイエス様について、その十字架と復活を信じる者は救われていると明確にしているから感謝です。

まとめ

ザアカイのところに泊まることにしてあると言ったイエス様は、ザアカイを当事者として見ておられました。私達も、イエス様を信じて踏み出してみる中で、思ってもみなかった変化が訪れるのかもしれません。それほどまでに大きなイエス様との出会いを私達は経験しているでしょうか?どんな感覚を私達が持つにせよ、神様は、滅びから救い出そうとされているのだと心に留めて、私達は聖霊に励まされて今週も礼拝し歩んでまいりましょう。