イエス様に向かってはみ出す
マルコ12-28-34

イエス様に向かってはみ出す

礼拝メッセージ

説教者:八木原海先生
2023.8.6礼拝説教
説教題『イエス様に向かってはみ出す』
【説教箇所】マルコ12:28 – 34

12:28 律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」
12:29 イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
12:31 第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」
12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。
12:33 そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」
12:34 イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。

マルコ12:28 – 34

 多くの律法学者は確かにイエス様に論戦を仕掛けるのですが、この人はどこか異なる調子でイエス様に迫って来ていて、他の律法学者から「はみ出」ています。量が多すぎることや、不器用であることが原因で規格に収まりきらないことを、「はみ出す」と言いますが、他の律法学者から「はみ出」ているこの人を、イエス様は責めませんでした。はみ出し者の律法学者とイエス様のやり取りを見ていく中で、私達はどんな風にイエス様に向かっていくか、また、自分はどんな風に歩んできたのか思い起こされ、イエス様が与えてくださる恵みを見ていきたいのです。

イエス様に向かう好奇心

 律法の教師と呼ばれる律法学者が、他人に律法について尋ねることは、罠にかけようとしているのか、自分の立場を忘れて愚かになっているのかもしれません。名もない一人の律法学者は、サドカイ人たちに対するイエス様の見事なお答えを聞いて、ピュアな好奇心のあまりイエス様に質問してしまいました。
12:28 律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」
 陸上競技のスタートで、ピストルが鳴る前に飛び出したらフライングです。この律法学者は自分が抱えていた難問を誰かに聞いてみたかったのでしょう。「この方はすごい人なんだ」そう気づいた瞬間、自分の派閥のことは脇へ置いて、個人的な興味から、つんのめるようにイエス様の前に一対一で飛び出していきました。
 私達も不思議な出会い、導きでイエス様について知ります。聖書を読みながら、わくわくしたり、クリスチャンの知り合いに信仰について尋ねたりすることもあると思います。それをイエス様は喜んでくださいます。日々の生活の中で、イエス様への好奇心を忘れずに過ごしていきましょう。

唯一の神はいるか?愛はあるか?

 この律法学者が「はみ出す」に至った理由は、イエス様への好奇心ともう一つ、日ごろの自己点検があったと思います。体に染みついた律法の教師としての仕事について思いめぐらせ、「この仕事はただルーチンワークではなくて、唯一まことの神様を認めて敬虔な態度ですべきではないか?」「自分の集団の利益のためだけではなくて、神様のために、隣人のために働くべきではなかろうか?」と律法学者は本質を問うていたから、イエス様と出会う時に、その答えを受け止めることができたのではないでしょうか。

12:29 イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
12:31 第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」
12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。
12:33 そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」

 この律法学者は、ささげものや目に見えることより、お一人の神がいること、そして神を愛し、隣人を自分自身のように愛することが本質だと認めました。私達は普段、ただ一人の神様がおられることを覚えているでしょうか?聖書の神様は、心から神を愛し、善きサマリヤ人のたとえのように隣人を愛することを勧めます。私達もお一人の神様を日々礼拝し、愛を実践しましょう。

イエス様は愛のお方

 はみ出す者を受け止めるイエス様がおられます。私達もイエス様に弟子入りさせていただきましょう。怪しい人に弟子入りしてはいけませんが、イエス様は、神であり、私達一人一人のために愛を実践したお方だから、信頼して良いのです。つまり私達は誰でも、イエス様に興味を持ち、またイエス様の教えられた教えを疑いなく受け止めて良いのです。そしてイエス様の愛を私たちも実践させていただくことができるのです。イエス様の愛は福音書にたくさん散りばめられています。たとえば病気の人を癒したり、子どもを受け入れたり、そして最終的には、十字架にかかってすべての人の罪のための罰を身代わりに受けられたのです。もちろんイエス様の言動は、私達が言う常識とは少し異なる、神の国の常識にのっとっています。そしてはみ出し者の律法学者も、神の国の常識から遠くないようです。

12:34 イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。

 しかし、イエス様が自分にしてくれたことを受け止める時、私達は、イエス様にならう生き方をしたいと思わされるのです。
 私が高校生の時、イエス様を十字架につけた人たちが自分の姿と重なりました。イエス様はその人達をも赦し、つらく苦しい十字架にかかりました。「どうして自分にこうしてくれたのだろう。」と考えた時、本当に神様は一人一人を愛し、罪深い者を赦そうとしているのだとわかりました。イエス様の驚くべき愛をもう一度思い起こし、歩んでいきましょう。

★まとめ
イエス様に向かって喜んで礼拝していきましょう。また、日々の生活で神を思い、イエス様の愛を実践する者を目指していこうではありませんか。