藤井牧師

クリスチャンよ、強められよ!

礼拝メッセージ

2021/7/18 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「クリスチャンよ、強められよ!」
【聖書箇所】 エペソ6:10-12

6:10  終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。

エペソ 6:10-12

○ オリンピックがいよいよ始まります。世界の平和のためにという目的もあるオリンピックも今年はコロナとの戦いが一番大きな戦いのようです。平和のために世界の人が集まれる大会ということで「参加することに意義がある」オリンピックですが、選手にとっては「勝つこと」のための戦いでもあります。クリスチャンも戦いがありますが、皆さんはどんな戦いをされていますか?

大能の力によって強められよ

「強くなれ」ではなく「強められなさい」

終わりに言います。 

エペソ 6:10

と、いよいよ手紙の最後になってきました。 

主にあって、その大能の力によって強められなさい。 

エペソ 6:10

は 強められなさい であって、「強くなれ」でありません。私たちは強くなるようにと教えられてきた感があります。しかし、聖書が教えるのは神に強めていただくことなのです。人は自分で強くなろうとし、その強さは腕力・学力、大きなところでは国力・戦力などの強さを考えます。

 コロサイ書ではこのように書かれています。 

神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。 

コロサイ1:11

と、その強さは忍耐、寛容という強さのようです。

 その大能の力 というのは、キリストをよみがえらせた神の力です。その同じ復活の力が信じる者に与えられています。

キリストが戦われた敵は?

 キリストはこの世においでくださって、何と戦われたでしょうか? ローマ帝国でもなければ、十字架につけるように叫んだ祭司長達でもありません。まともに戦うなら、天の軍勢をもって簡単にやっつけてしまわれたことでしょう。

 赤ちゃんイエスを殺そうとしたヘロデ王の背後に働いたのは悪魔です。また、40日40夜の断食の後誘惑してきたのも悪魔です。キリストは悪魔との戦いをされていますが、これもまともに戦うなら一発で勝ってしまいますが、人間として立ち向かってくださいました。

   この地上において私たち人間の信仰のために悪魔の働きを許されました。人間は悪魔に打ち勝てません。しかし、人間となってくださったイエスご自身は悪魔に打ち勝っておられます。そこで、私たちも悪魔に打ち勝つようにしてくださるのです。

悪魔の策略に打ち勝つ力を得よ

人間界は悪に満ちている

 世界ではどうしてこうも戦いが多いのでしょうか? 不思議に思いませんか。進化論を信じる多くの人たちがいますが、あらゆる動物の中で最高に進化したという人間だけが戦争をするのです。しかも、戦争の無かった時がほとんど無いくらいに人類の歴史は血まみれです。「全ての人は罪を犯した」という聖書の言葉は事実だと思いませんか。

  戦争だけではありません。人間界はどれほど悪に満ちていることでしょうか。幸せになるために結婚があるはずなのに、その夫婦で争いがあり、幸せな家庭をつくろうと努力しているはずなのにその家庭が破壊され、善きことを教えるはずの学校でいじめや教師の暴力などがあります。言い出したらキリが無いのです。教会も気をつけないといけないのが現状です。

私たちの戦いは悪魔・悪霊に対する戦い

 悪の根源は罪ですが、罪を犯させるように人間につけいったのが悪魔です。人類史の最初にアダムとエバを誘惑して罪に陥れたのは悪魔です。この悪魔は人類の歴史を血塗ってきました。悪魔はどんな策略を練っているのでしょうか。人間や国家が太刀打ちできるような相手ではありません。

 クリスチャンにも戦いがあります。どんな戦いなのかというと、聖さに向かう戦いです。 

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。 

エペソ 6:12

と、悪魔と悪霊に対する戦いなのです。どんな人間も国家も太刀打ちできない相手との戦いを強いられています。

 しかもその戦いを神は私たちにさせておられます。かつてイエスが弟子達を二人ずつあちこちの村や町に派遣したとき、彼等はイエスから権威を授かったので、悪霊どもが追い出されました。 

さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」
イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。 

ルカ10:17-18

とあります。 その大能の力によって強められなさい。 とは、まさにこのイエスの権威を授かることです。

悪魔に打ち勝つために

悪魔は勝ち誇っているか?

 道徳的な清さを求めてそれで悪魔に打ち勝つ力を身につけることはできません。もちろん、正しく生きるということで神は喜ばれますが、キリストに信頼して、キリストに委ねて霊的な聖さをいただいて悪魔に打ち勝つ力をいただいて、そこから道徳的にも清くあることが望ましいわけです。   

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。 

エペソ 6:12

私たちは戦いの相手を間違ってはいけません。犯罪に関しても冤罪がなくなりませんが、犯人で無い人を犯人としてしまったり、敵で無いところに爆弾を落としたり、間違えていることが人間には多いものです。

 悪魔は勝ち誇っていることでしょう。人間界をこんなにも混乱させ悪に悪を満ちさせて神を困らせることで喜びを感じているのでしょう。

悪魔に打ち勝つ力は「愛」

 悪魔に敵対するということは、私たちが愛し合うことで表すのです。悪魔は愛が嫌いです。なぜなら「神は愛」だからです。しかし、それも道徳的清さと同じように、人間的な愛では悪魔はいくらでも自分の土俵に入れ込んで用いてしまいます。神の愛で対抗するしかありません。

 この戦いは 主にあって、その大能の力によって強められ ることで勝つことのできる戦いなのです。私たちはまず強められる必要があります。最初に語ったように、自分で強くなるのではありません。神に強めていただくのです。

 悪魔に打ち勝つために 

悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。 

エペソ 6:11

と言っていますが、実際の武具についてはこの次のところに書かれています。

★ 私たちは戦わねばなりませんが、戦いの相手も方法も間違えてはいけません。悪魔に打ち勝つには 主にあって、その大能の力によって強められ ることです。そして聖霊の愛に満たされることです。

  1. 私たちはどのように強くなることが大事なのでしょうか?
  2. 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、私たちは何をすべきでしょうか?
  3. 悪魔はキリストに対してどのように戦いを挑んだでしょうか?
  4. キリストの弟子達が悪霊を追い出したのはどのようにしてでしょうか?
  5. 私たちはどのようにして悪魔に打ち勝つのでしょうか?