礼拝メッセージ

聖霊に満たされなさい

礼拝メッセージ

2021/4/11 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「聖霊に満たされなさい」
【聖書箇所】 エペソ5:18-21

5:18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
5:19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。
5:21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。

エペソ5:18-21

○ 性的な問題があったローマ帝国、そしてエペソ。そこに生まれた教会が聖くあるようにとパウロは語ってきました。そして、同じくそういう問題の一つに酒の問題があったようです。これもどの時代にもあらゆる国々で起こる問題です。

酒の問題

飲んで良いのか? いけないのか?

1.キリスト教会では酒を禁じる団体と禁じていない団体があります。酒好きの人がそのために教会を替えたという話も聞いたことがあります。アメリカアッセンブリーはかなり酒には厳しいみたいです。

2.では、聖書は酒を禁じているのでしょうか? そうであれば、酒を認めている教会は異端になります。ですからこの問題は簡単ではありません。なぜなら最後の晩餐を含み、聖書には「ぶどう酒」という言葉が出てきますし、イエス様もカナの婚宴で水をよいぶどう酒に変えました。聖餐式をぶどう酒で行う教会もたくさんあります。パウロもテモテに 

これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい。 

Ⅰテモテ5:23

と、ぶどう酒を勧めています。もちろん少量ですよ。事実、現代でも医師がいくらかのアルコールは健康に良いと言いますし、ワインに含まれるポリフェノールは体に良いと言います。

3.しかし、酒に厳しい教会はあれらの「ぶどう酒」は酒になっていない「ぶどう汁」だと言います。要するにアルコールになっていないと言うのです。だとしたら、今日のテキストでは ぶどう酒に酔ってはいけません とあるので、またここだけはアルコールになっているぶどう酒なのでしょうか?

酒に限らない

1.酒、アルコールの問題というのは何でしょうか? 酒だけでなく、コーヒーなどのカフェインが入っているものを禁じるキリスト教会もあります。さらに肉を禁じるところもあります。旧約聖書の食べてはいけない動物を守って、豚肉を食べないクリスチャンもいます。

2.もちろんタバコは論外だと思うのです。体に悪いし、その煙はそばにいる人にまで健康被害を与えるのですから。神から与えられた大事な体に悪影響を与えるようなものは食べたり、飲んだりしてはいけないという考えがあったのです。とすれば薬も気になりますね。事実、一切の薬を禁じている人たちもあるようです。

3.では、これらのものを食べたり飲んだりしていたら救われないのかということを考えなくてはなりませんが、答はそういうことがあっても救われます。なぜなら救いは明確だからです。「イエスを主と告白する者は救われる」からです。  ローマ10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。 とあります。

何が大事なのか?

酔ってはいけない

1.ただ、聖書は救われた人がどのように生活するのが良いのかということも書いてあることを忘れてはいけません。今、エペソ書を学んでいるのはまさにそういう点です。ですから、ここでパウロは問題があった酒の問題をも取り扱っているのです。

2.パウロは「酒を飲むな」とは言っていません。 ぶどう酒に酔ってはいけません と言っているのです。ある人は何としても酒を飲みたいがために「ぶどう酒がいけないのであって、日本酒、ビールはいいんだ」なんて屁理屈を言います。もちろんバカな話です。問題は「酔ってしまう」ことなのです。

3.当時の教会でぶどう酒に酔っている信者はどうだったのでしょうか? 身を持ち崩したり、健康を害したりして、他の信者を困らせたのです。また未信者にまで迷惑をかけたのでしょう。証にならないということです。ここですよ! 大事なのは。

聖霊に酔う

1.「私はアルコールに強いので迷惑をかけません」と言う人が案外危ないんですよね。私は教師時代、職員旅行に出かけたときに驚いたことがあります。とても真面目な数学の先生、酒が大好きで人が変わってしまったところを見ました。今だと完璧セクハラ事件のようなことをされているのでビックリしました。そして翌日はそれを覚えておられないのです。自分は酒で変なことをしたことはないくらいに思っておられるのですから困ったものです。でも本人は楽しい酒だと思っているのです。

2.パウロの時代もぶどう酒に酔って礼拝で気持ち良く讃美歌を歌っていたのでしょうか。ろれつが回らなくなって祈りは異言のようになっていたのでしょうか。本人はいい気持ちだったのかも知れませんが・・・

3.さあ、パウロの言いたいことはなんでしょうか。自分が気持ち良く讃美歌を歌っていれば良いとかそんなことでは無いですね。酔っ払う世界には 放蕩があるからです と言っています。一見気持ち良く賛美しているかも知れないけれどそれは自己満足に過ぎず、なんら神の栄光になっていないのです。教会での賛美、祈りというのは自己満足ではありません。神の栄光のためです。酒に酔っているかのように思われた 使徒2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。 という話がありましたが、そのように勘違いされたか知りませんが、この時の使徒達は聖霊に満たされたのです。パウロはこのことをいうのです。聖霊に満たされると人目には何か酒に酔っているように見えるのでしょうか。

聖霊に満たされよう

自己満足の賛美にならないこと

1.聖霊に満たされると当然本人は嬉しいし喜びます。賛美を歌うにしても当然喜びと感謝に溢れて賛美できるのです。賛美は歌の好きな人の自己満足で歌うものではありません。時に歌の上手な人が聞こえよがしに自分の歌声を披露しているような時があります。賛美は主に献げるものであって自己満足ではありません。礼拝会の司会者や奏楽者が自己満足で賛美を歌い奏楽したらどうなるでしょうか? 礼拝ではなくなってカラオケ大会となんら変わらなくなります。

2.パウロの語る大事な点は、19-21節にあるのです。 

詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。
キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。 

エペソ 5:19-21


と、どこにも自分が中心になることなど書いていません。主に対して、そして信徒がお互いになのです。

主が崇められるために

1.何が大事なのでしょうか? 礼拝を自己満足のために用いないことです。何も酒の問題だけではありません。主が崇められ、感謝の言葉が溢れる、互いに励まし合う、仕え合う、従い合うのです。「今日は自分の好きな賛美が歌われて嬉しかった」という人がいますが、もちろんそれはそれでかまいませんが、自己満足ではいけないことは覚えて置いていただきたいです。反対に「今日は私の好きな賛美がなかったからつまらない」と言う人。論外ですね。

2.聖霊に満たされることを礼拝で体験しましょうよ。それが 

5:19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。
5:21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。 

エペソ 5:19-21

です。

★ 聖霊に満たされようではありませんか。これは自分ではできないことです。酒で気持ち良くなるのは自分でできるのかも知れませんが、 そこには放蕩がある のです。聖霊に満たされるのは神にしかできないことです。神と人を愛することに心を向けましょう。