藤井牧師

恵みがあるように祈ろう

礼拝メッセージ

2021/8/29 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「恵みがあるように祈ろう」
【聖書箇所】 エペソ6:21-24

6:21 私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。
6:22 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。
6:23 信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。
6:24 朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。

エペソ6:21-24

○ 皆さんは手紙をよく書きますか? メールなどのなかった時代。若い人にはそんな時代がわからないのかも知れませんが、そんなに遠くない過去にそういう時代があったのです。パウロの時代は用紙の高価な時代ですから、書き直しのきかない時代、大切にして書いたことでしょう。

様子を知らせる

手紙の目的

    1.いよいよエペソ書最後になりました。最後の挨拶、どのような言葉にして締めくくるかはパウロだって考えたでしょう。本来ならば、手紙ではなく自分がエペソ教会に出向いてみんなと会って話をし、教会の問題についても話し合ってみたかったのではないかと思います。

    2.手紙では知らせきれないことが多々あります。 

私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。 

エペソ 6:21

と、パウロの様子を知らせるためにティキコを遣わすのです。手紙と言っても今のように郵便局があるわけでなく、信頼できる誰かに運んでもらうのです。そこで、ティキコが運びました。

ティキコを遣わす目的

    1.ティキコを遣わす目的は あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです とあります。パウロ達の様子を知って励ましを受けるためです。獄中のパウロのことを勝手に想像して悲しく辛く思っていた人々が、ティキコからパウロが元気でしかも獄中でも伝道していることを知って励まされるのです。

    2.私もかつてある先生が不調だったので気になっていたことがあります。しかし、その先生からある日電話がかかってきて、なんと元気にされていることと教会で癒しが不思議に続いて起こり、神の御業にみんなで感謝したことなどをお聞きして励まされたことがあります。

主にある忠実な奉仕者

ティキコという忠実なしもべ

    1.ティキコはただ手紙を届けるだけの仕事をしたのではなく、パウロの様子を伝えたということです。様子を伝えることができるということは、パウロのそばにいてパウロの状況もパウロの気持ちも良く理解していたということです。

    2.ティキコが聖書の最初に出てくるのは使徒20:4です。 

彼に同行していたのは、ピロの子であるベレア人ソパテロ、テサロニケ人のアリスタルコとセクンド、デルベ人のガイオ、テモテ、アジア人のティキコとトロフィモであった。 

使徒20:4

と、第三次伝道旅行の際にパウロに同行しています。

    3.そして彼は 主にある忠実な奉仕者 と紹介されています。この奉仕者という言葉は「仕える人」という意味です。まさに、私たち新中野キリスト教会の標語「互いに仕え合う」を行った人と言えるでしょう。パウロが大事な手紙を安心して託し、パウロの様子を的確につかんでいる人です。

ティキコは励ましを与える人物

    1.しかも 

ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。 

エペソ 6:22

と、ティキコは「励まし」を語れる人だったのです。物事には常に二面性があり、同じ状況を見ても前向きにとれる人と、後ろ向きにとってしまう人がいます。

    2.よく言われるたとえですが、かつて靴の営業マンが二人、ある国へ行ったところ、そこの人たちは裸足でした。そこで、一人の営業マンが本社に電話して「ダメです。ここの人は靴を履いていませんから」と。靴を履かない人たちだから靴は売れないと言ったのです。一方、もう一人の営業マンは電話で「売れます。ここの人たちは誰も靴を履いていません」と靴を知らない人たちなら靴の良さを知ってくれるから売れると考えたのです。同じ状況なのに人によって物事の捉え方が違うのです。ティキコは獄中のパウロのことを心配している教会の人々に不安ではなく、励ましを与えることができる人だったのでしょう。

恵みを祈る

祈りは格好では無い

    1.いよいよ締めくくりです。 

信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。
朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。

エペソ 6:23-24

 パウロの祈りです。私も手紙の最後に「祝福をお祈りします」などと書きます。なんとなく、一般的な挨拶に終わってしまいそうになります。そこで、祈りを込めて書くようにしています。また、手を止めて祈って書くことがあります。書かれた文字は祈ろうが祈るまいが同じなのですが、やはり何かが違うのです。

    2.悪魔との戦いなど、見えない世界の話をしてきましたが、祈りも見えない世界です。祈りの姿として、敬虔そうに見える姿、写真写りのよい姿というのがあります。しかし、祈りは「格好」ではありません。

    3.食前の祈りを忘れた人が「あ、祈るのを忘れた。もう一度食べ直しだ」と言った人がいますが(もちろん笑い話ですが)、祈りを忘れて食べ出しても、食べながら「神様、美味しいです。感謝します」と祈るのもよいのではないでしょうか。祈りは心です。

恵みを祈られる恵み

    1.何にしてもみんなに励ましを与える手紙を書けるといいですね。また、恵みを祈るのはすばらしいですね。パウロの手紙を私たちは私たちに届けられた手紙のようにして読めるというのはまたすばらしいことです。私たちも励ましを受けることができるのです。

    2.そのパウロが 信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように と祈ってくれているのは、時間・空間をはるかに超えて2000年後の日本の私たちのために祈られた恵みの祈りでもあると言えます。

★ 私たちは互いに励ましを与えましょう。パウロがティキコを遣わして、自分が神によって祝されていること、恵みをいただいていることを伝えたように、私たちも自分の恵まれている状況を伝えて、他の兄弟姉妹を励まそうではありませんか。

  1. あなたは電話、メール、手紙などで様子を誰かに知らせますか?
  2. あなたはティキコのように忠実な奉仕者ですか?
  3. 忠実な奉仕者とはどんな人のことでしょうか?
  4. あなたは誰かの祝福を祈りますか?