礼拝メッセージ

奴隷たちよ、主人たちよ

礼拝メッセージ

2021/7/11 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「奴隷たちよ、主人たちよ」
【聖書箇所】 エペソ6:5-9

6:5 奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。
6:6 ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、
6:7 人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
6:8 奴隷であっても自由人であっても、良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けることを、あなたがたは知っています。
6:9 主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して同じようにしなさい。脅すことはやめなさい。あなたがたは、彼らの主、またあなたがたの主が天におられ、主は人を差別なさらないことを知っているのです。

エペソ 6:5-9

○ 奴隷という言葉が出てきますが、だからといってキリスト教が奴隷制を認めているわけではありません。むしろキリスト教は奴隷制の撤廃のために働きかけてきたほどです。パウロのいたこのローマ帝国では奴隷制が当たり前の社会でした。その現実の中でパウロは奴隷とその主人のあり方も教えています。

奴隷達よ

奴隷も主人も共にクリスチャン

     奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。 という言葉を見ますと、奴隷もクリスチャンになっていたことがわかります。奴隷がどのように教会に属し、礼拝出席していたのかわかりませんが、その奴隷の主人もクリスチャンであったでしょう。

    同じ教会に主人と奴隷が共に出席していたのかも知れません。あるいはクリスチャンである主人の家が教会となって集会をしていて、その奴隷もクリスチャンになったということも考えられます。

主に仕えるように

    パウロはそういう現実を見据えながら、クリスチャンとなった奴隷達に主人に対する仕え方を教えています。 

ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。 

エペソ 6:6-7

ということです。 うわべだけの仕え方ではなく ということは、奴隷達の中には仕方がないから主人の言うように働こうという人がいたのでしょう。

    そういう奴隷に対してパウロは キリストのしもべとして 仕えることを教えています。ということは聖書を教えられてキリストのしもべがどのようなものなのかがわかっているということです。 

人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。 

エペソ 6:7

と、 主に仕える 生き方ということがクリスチャンになった奴隷にもわかっていたということでしょう。

主人達よ

主人達も変えられた

    続けてパウロは主人達に言います。 

主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して同じようにしなさい。脅すことはやめなさい。あなたがたは、彼らの主、またあなたがたの主が天におられ、主は人を差別なさらないことを知っているのです。 

エペソ 6:9

主人もクリスチャンになって聖書を教えていただき、その生き方が変わりました。どう変わったかというと、倫理的に良い生き方、正しい生き方、人に親切な生き方というのでしょうか。そういう生き方に変わったようです。

    ですから、キリストを知らなかった時のような奴隷を脅かすような生き方は止めるようにとパウロは言うのです。キリストを知らなかった時の生き方は奴隷を脅すような生き方をしていたのでしょうか。

キリストこそ主人だと

    主人達はキリストを信じて、キリストこそ主人であることを覚えたのです。そしてキリストのことを教えられる内に自分たちの生き方、あり方までも学んだことになります。

    キリストは徹底して父なる神に従われました。この地上で立場的に上になる者である主人達はそのキリストの歩みを模範とすべきであることを学んだのでしょう。

キリストのしもべ達よ

主に仕えることがわかっていた

   

人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。 

エペソ 6:7

という御言葉。これは当然「人に仕えてはいけない」と言っているのではありません。私たちは目に見える人に仕えるのは仕えやすいです。しかし、そこには見えるが故に上辺だけの仕え方をしてそれでよしと思うところがあります。

 主に仕えるというは、見えないお方に仕えることですから、上辺なんて通用しません。そういう心からの仕え方をパウロは言っているわけです。当時のクリスチャン達、奴隷であっても主人であっても、 主に仕えるように という生き方がわかっていたと言うことです。私たちは主に仕えているでしょうか? 

人に仕えることで学ぶ

    主に仕えることを学ぶには、人に仕えることを学ばねばなりません。私たちは社会に出てそういう学びをしてきたと思います。人に仕える学びです。ある教会ではホテルマンを呼んで人に対する良い接し方を学んだと聞きました。

    私も教師時代に学ばせていただきましたが、どちらかというと教師というのは若くても一国一城の主のように見られます。ですから、神学校で仕えることを学ばせていただいた気がします。

● それよりもクリスチャンに成り立ての頃が一番仕える勉強をしたような気がします。とにかく神様のために何かしたいと思い、教会のために何かしようとしたのです。時間を見つけては教会に行き、会堂は元より、道路の掃除をしました。日曜日は先輩クリスチャンについてトラクト配布、訪問伝道、路傍伝道をしました。そして子ども達のために聖書の話が十分出来ませんので、とにかく遊んであげました。バイトのお金は夏のキャンプで飛んでしまいましたが、小学生、中学生、高校生それぞれのキャンプにスタッフとして自費で参加していました。でも、辛いと思わなかったです。とても楽しかったですし、嬉しかったです。

★ 世の中では色々な立場があるでしょう。しかし、全ての人が神の前に神の僕として平等です。私たちは主に仕えるように互いに仕え合うのです。

  1. あなたが奴隷の立場だったらどうすべきでしょうか?
  2. あなたが主人の立場だったらどうすべきでしょうか?
  3. 「主に仕える」こととはどんなことですか?
  4. あなたはどのように生活すべきだと思いますか?