人に口をつけたのは誰か?

礼拝メッセージ

2022/3/27 礼拝説教
【テーマ】  召命
【説教題】 「人に口をつけたのは誰か?」
【聖書箇所】 出エジプト3-4章

4:10 モーセは【主】に言った。「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」
4:11 【主】は彼に言われた。「人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、【主】ではないか。
4:12 今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」
4:13 すると彼は言った。「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」
4:14 すると、【主】の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう言われた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼が雄弁であることをよく知っている。見よ、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぶだろう。
4:15 彼に語り、彼の口にことばを置け。わたしはあなたの口とともにあり、また彼の口とともにあって、あなたがたがなすべきことを教える。
4:16 彼があなたに代わって民に語る。彼があなたにとって口となり、あなたは彼にとって神の代わりとなる。
4:17 また、あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。」

出エジプト3-4章

○ 「私は口下手で話をするのが苦手です」という方が多くおられます。私もそうでした。クリスチャンになって変わったかも知れません。

モーセが召し出された時

神はモーセを呼ばれた

    1.エジプトから逃げたモーセ。もう二度とエジプトには戻れない、戻らないと思っていたでしょう。そして40年が過ぎ、モーセは全く別の人生を歩んでいましたが、モーセの心にはあの殺人のトラウマがあり、エジプトのイスラエル人のことが心からは消すことができませんでした。

    2.そして、彼が羊の群れを導いてホレブに来たとき 

すると【主】の使いが、柴の茂みのただ中の、燃える炎の中で彼に現れた。彼が見ると、なんと、燃えているのに柴は燃え尽きていなかった。 

出エジプト 3:2

と、不思議な光景に出くわします。神は遂にモーセを呼ばれました。 

【主】は、彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の茂みの中から彼に「モーセ、モーセ」と呼びかけられた。 

出エジプト 3:4

名前を二回呼ばれる時は、神が愛を持って、励まし、勇気づけられる時だと言われています。

モーセはひれ伏し答えた

    1. 「はい、ここにおります」と答えた モーセに神は、3:5 神は仰せられた。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」 と言われました。履き物を脱ぐのは、当時相続権を放棄することでした。神は今まで自分で事を行ってきたモーセにその主権を自分から神に委ねるように言われたのです。そして神と会う場所は常に 聖なる地 なのです。

    2.礼拝はまさに神様に私たちの名が呼ばれて集められているものです。その場所は聖なる場所であり、履き物を脱ぎ、神にひれ伏して神の声を聞き、さらに応答する時であり、そうする場所です。

モーセは不安で一杯だった

神はエジプトへ行けと命じられたが・・・

    1.神がモーセに命じられたことは 

今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。

出エジプト 3:10

 でした。モーセにとってはあのトラウマの地に行くことなどできないばかりか、良かれと思ってエジプト人を殺してイスラエル人を助けたのに、そのイスラエル人から反感を買ってしまったのですから、心はズタズタです。

    2. 3:11 モーセは神に言った。「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」 と、不安に満ちて聞きました。彼は自分のアイデンティティーを求めたのでしょうが、神の答はモーセがどういう人物であるかということではなく、神がどういうお方かを語られました。 3:12 神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」 と。神が共におられることが私たちのアイデンティティーなのです。

神の名前は?

    1.さらにモーセの不安はイスラエルの神の名前は何かということでした。と言うのは、エジプトでは神々が名前を持っていたからです。例えば太陽神ラー、天空の神はホルスのように。イスラエル人から「その神の名は何か?」と尋ねられた時に何と答えて良いかということでした。 3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」 日本語としては変な名前です。直訳すると「私があることが私である」となるらしいです。英語では"I AM WHO I AM."です。どちらにしてもどう訳すか難問のところです。

モーセはとても無理だと言う

モーセは「語れない」と言う

    1.さらなる不安はイスラエル人もエジプトの王も自分を信じてくれないだろうということでした。そこで、神はモーセにイスラエル救出策を語られましたが、モーセは「わかりました」とは言えませんでした。 4:10 モーセは【主】に言った。「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」 どうやらモーセは語るのが下手だったみたいです。

    2.そういうモーセに神は 4:11 【主】は彼に言われた。「人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、【主】ではないか。4:12 今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」 と、語られました。要するにモーセが語り始めれば言葉を与えるというのです。この御言葉は有名で、私たちもよく知っています。神に信頼する、神に委ねることを思い起こす時によく語られます。

神はこらえてアロンを用いると言われる

    1.それでもモーセは 4:13 すると彼は言った。「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」 と、拒みます。ヤコブが天使と取っ組み合いの相撲をとって「祝福してください」と食い下がったのと反対に「できません」と食い下がりました。

    2.神は怒られましたが、それでも神はモーセの言い分を聞いて、語ることはアロンにさせるようになさいました。もし、モーセが「わかりました」と言えば、語り方は下手であっても、きちんとファラオに語る力を神は与えられたはずです。それを拒んだために、その神の力を彼は受け取ることができませんでした。

    3.ファラオに神の言葉を伝えるためにモーセが拒んでも神は次の手を考えておられます。あなたも神がモーセのように語るようにと言われているのではないでしょうか? できれば、神に次の手を考えせず、あなたが実行するのが良いと思いますが、いかがでしょうか?

★ 私たちも自分の名前を呼ばれて神に召し出された一人一人です。牧師になるためにだけ神は召命を与えるのではありません。証しするため、伝道するために私たちは救われたとも言えるのです。あなたの語るのを待っている人のために神はあなたを送り出そうとされています。