目の前の海が割れる
忍耐の結果は恵み

目の前の海が割れる

礼拝メッセージ

2022/4/24 礼拝説教
【テーマ】  忍耐の結果は恵み
【説教題】 「目の前の海が割れる」
【聖書箇所】 出エジプト13章-14章

14:13 モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。
14:14 【主】があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」

14:19 イスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは、移動して彼らのうしろを進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移動して彼らのうしろに立ち、
14:20 エジプトの陣営とイスラエルの陣営の間に入った。それは真っ暗な雲であった。それは夜を迷い込ませ、一晩中、一方の陣営がもう一方に近づくことはなかった。
14:21 モーセが手を海に向けて伸ばすと、【主】は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされた。水は分かれた。
14:22 イスラエルの子らは、海の真ん中の乾いた地面を進んで行った。水は彼らのために右も左も壁になった。

14:26 【主】はモーセに言われた。「あなたの手を海に向けて伸ばし、エジプト人と、その戦車、その騎兵の上に水が戻るようにせよ。」
14:27 モーセが手を海に向けて伸ばすと、夜明けに海が元の状態に戻った。エジプト人は迫り来る水から逃れようとしたが、【主】はエジプト人を海のただ中に投げ込まれた。
14:28 水は元に戻り、後を追って海に入ったファラオの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残った者は一人もいなかった。
14:29 イスラエルの子らは海の真ん中の乾いた地面を歩いて行った。水は彼らのために右も左も壁になっていた。

14:31 イスラエルは、【主】がエジプトに行われた、この大いなる御力を見た。それで民は【主】を恐れ、【主】とそのしもべモーセを信じた。

出エジプト13章-14章

○ 私はかつて観た「十戒」の映画でやはり何と言っても感動的だったのはあの紅海が割れる場面でした。エジプトの軍隊を飲み込んだ海ですが、イスラエルを救った海でした。

一難去ってまた一難

せっかく脱出できたのに

    1.神の言葉に従わないファラオによって長子が殺されるという裁きが起こりました。その死のために泣き叫ぶエジプトを後にしてイスラエルは遂に解放されました。イスラエルは神の言葉に従ったので、死を見ることはありませんでした。私は映画「十戒」のその場面を思い出します。お年寄りが涙し、ひれ伏して神に感謝し祈る姿、家畜を追いながら行く人々、荷車に乗せられて楽しそうな子どもたち。男だけで60万人だったそうです。

    2.しかし、その喜びもしばらくすると恐れとモーセに対する非難に変わります。ファラオがまた気持ちを変えたのです。我が子を含み、エジプトの長子が全滅したにも関わらず、イスラエル人を奴隷に引き戻すために軍隊をし向けました。私たちの人生にもこのようなことがあるのではないでしょうか? 大喜びしたもののその次に問題が起こるということです。「あの喜びは何だったんだろう?」と思わされるようなことです。

    3.映画を観ていたとき。「あー、また神に背くなんて、なんてバカなんだ」と思いました。同時に、自分も何度も神に背くという、ファラオと同じようなことをしてきたのではないだろうかと考えさえられたものです。

人々はモーセに文句を言うが・・・

    1.背後にエジプトの軍隊を見て、「エジプトで奴隷のままで良かったのに」などとイスラエル人達はモーセに文句を言います。モーセにすれば、神に従ってやっとの思いでイスラエル人を救出したのに、同胞からこんな事を言われたのでは腹も立つことでしょう。

    2.モーセは神に愚痴を言いますが、神は思いがけないことを言われ、それを民に伝えます。

モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。【主】があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」 

出エジプト 14:13-14

と。

追っ手が消え去る

神の不思議は起こるが・・・

    1.エジプトの軍隊が迫ってきましたが、神は真っ黒な雲の柱によって彼等を寄せ付けませんでした。そして、神に命じられたように 

14:21 モーセが手を海に向けて伸ばすと、【主】は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされた。水は分かれた。 のです。そして、イスラエルはその乾いた海底を難なく歩いて渡ります。 14:22 イスラエルの子らは、海の真ん中の乾いた地面を進んで行った。水は彼らのために右も左も壁になった。 

とある通りです。

    2.神はこのようなとんでもない不思議を行われることがあります。ただ、こういう不思議はそう度々起こってはいません。つまり私たちの人生にも神が不思議を起こされても何らおかしいことではないのですが、度々あるとは言えないのです。むしろ、なかなか無いと行った方がいいかも知れません。

    3.イスラエルが奴隷となってから、解放されるまでにどれほど長い間待たされたことでしょうか。さらにモーセが遣わされるまでには80年かかっているのです。

海に消えたエジプト軍

    1.一方、足止めを食らったエジプト勢はやっと雲の柱が無くなったので、イスラエルの後を追い、海底を戦車も騎兵も走って行きます。エジプト軍も最初はイスラエルと同じように海底を走りだしたのですが、車輪が外れたりと混乱させられました。

    2.さらに、 

4:26 【主】はモーセに言われた。「あなたの手を海に向けて伸ばし、エジプト人と、その戦車、その騎兵の上に水が戻るようにせよ。」14:27 モーセが手を海に向けて伸ばすと、夜明けに海が元の状態に戻った。エジプト人は迫り来る水から逃れようとしたが、【主】はエジプト人を海のただ中に投げ込まれた。14:28 水は元に戻り、後を追って海に入ったファラオの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残った者は一人もいなかった。 

出エジプト 426-28

と、遂に追っ手は見事に消え去ってしまいました。

忍耐が大事

私たちの思うようにいかないことが多いが・・・

    1.このようにしてイスラエルは救われたのですが、ではイスラエルが長く奴隷状態にあった時、神はイスラエルを忘れておられたのでしょうか? 全能の神はいつだって救い出せるはずです。しかし、そういう私たちの思いと裏腹になかなか神の不思議は行われないのです。ということは何らかの神のお考えがあるはずだということなのです。

    2.私たちが長く祈って待っても、なかなか不思議が起こらないのも同じです。コロナのために世界中が混乱し、世界中のクリスチャンが祈ったのです。でも、なかなか終息しないのです。また、ロシア・ウクライナ戦争もそうです。私たちの思うようにいかないとクリスチャンの中にも神に対して不信感を持つ方がおられます。

信仰によって忍耐をいただく

    1.しかし、聖書を見る限りこういうことは連続しています。そして、忍耐をもって待ち望むときに答を見るのです。その忍耐も私たちの自力では限界があります。だから神は私たちに「信仰」を持たせてくださるのです。信仰の世界に忍耐は必要なのです。

    2.パウロは Ⅰテモ 6:11しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい と言っています。ヤコブは ヤコブ 1:3-4あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。 と言っています。

    3.そうです。私たちも試されています。信仰によって忍耐を働かせると、必ず目の前の海は割れます。もしかすると私たちは水たまりが割れることを期待しているのではないでしょうか? でも神は海を割ろうとされているのだと思います。

★ 私たちに忍耐を教えてくださる神こそがまず私たちに忍耐されているのです。子育て、教育、次世代育成に必要なものにやはり「忍耐」があるように、私たちは神の恵みをいただくために忍耐が必要なのです。そして必ず目の前の海が割れることを見させていただけます。