十字架と復活

ここに愛がある

礼拝メッセージ

2023/4/2 イースターウエルカム礼拝説教
【テーマ】  十字架と復活
【説教題】 「ここに愛がある」
【聖書箇所】 Ⅰヨハネ4:10

4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

Ⅰヨハネ4:10

○ 今日はイースターウエルカム礼拝を行っていますが、今年のイースターは4月9日(日)です。そして、今日は八木原海伝道師・知宏伝道師の就任式をこの後行います。とても特別な日曜日になりました。

あなたもクリスチャンになれる

牧師になるには?

    1.今日は就任式を行うわけですが、牧師、伝道師にはどのようにすればなれるのでしょうか? これには神の召命というものが必要なのです。つまり私達がなりたいからと言ってなれるものではないということです。神から導かれなければなりません。

    2.では、そんな召命・神の導きがわかるものなのでしょうか? わかるのです。愛し合う者にわかり合えるものがあるようにわかるものがあるのです。ただ、神に導かれてもいないのに「なりたい」という思いが強いと神の導きではないのに勘違いしてしまうことがあります。ですから、第三者の確認も必要です。

クリスチャンになるには?

    1.神が召される人の第一条件はクリスチャンであることです。ではクリスチャンにはどのようにしてなれるのでしょうか? これは簡単でイエス・キリストを自分の罪からの救い主だと信じる信仰だけでクリスチャンになれます。イエスが十字架に死に、三日目に復活されたことを信じるということです。 4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 とあるとおりです。

    2.イエス・キリストが十字架にかかって死なれたことは信じられても、復活が信じられない人が多いです。だからこそ「信仰」が必要なのです。信仰というのは「愛」のようなものです。説明は上手くできないけれど受けることも与えることもできる不思議なものです。神の愛はみんな受けています。それを受け入れればクリスチャンです。

あなたも復活できる

命をかけた愛

    1.今日のテキストに 私たちが神を愛したのではなく とありますが、本当にそうだと思いませんか? 神を愛した人がいるとしたらその人は罪を犯したことのない人です。しかし、 ロマ 3:23 すべての人は、罪を犯した とあるようにみんな神と相反する生き方をしていたのです。ところが 神が私たちを愛し てくださったのです。

    2.その愛を見せてくださったのが十字架と復活です。神は本当に命をかけて私達を愛してくださったのです。そして、イエスが永遠の命を持っている神であり、信じる私達にも永遠の命を与えるために復活されました。それが記念すべき「イースター」として全世界で祝われるようになったのです。

復活は聖書が教えている事実

    1.復活が信じにくいのは科学的検証ができないためと、今までにイエス以外復活を経験していないからです。少し死んで生き返った人はいます。そしてまた死にました。復活というのは蘇生では無く、永遠に生きる命をいただいたことです。私達もその永遠の命をいただけると聖書は語っています。

    2.人は死んでそれで終わりだと思いますか? 思えないから、昔から人々は死後の世界、現世での生き方を探り求めてきたのです。そしてそれは昔から神は語っておられ、聖書にしてくださったのです。牧師・伝道師に限らず、全てのクリスチャンがそれを伝えているのです。

★ イエスの復活はあなたが復活することを示してくださったのです。この信じにくい事実を私達も語り伝えましょう。八木原海伝道師・知宏伝道師はそのために職を捨てて、このためだけに専念することにされたのです。この後、就任式を行います。