お話しください。しもべは聞いております
説教者:藤井敬朗牧師
2023/9/3 礼拝説教
【テーマ】 神に聴いているか!
【説教題】「お話しください。しもべは聞いております」
【聖書箇所】 Ⅰサムエル3:1-11
3:1 さて、少年サムエルはエリのもとで【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
Ⅰサムエル3:1-11
3:2 その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
3:3 神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている【主】の神殿で寝ていた。
3:4 【主】はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
3:5 エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
3:6 【主】はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
3:7 サムエルは、まだ【主】を知らなかった。まだ【主】のことばは彼に示されていなかった。
3:8 【主】は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、【主】が少年を呼んでおられるということを悟った。
3:9 それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『【主】よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
3:10 【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
3:11 【主】はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。
○ かわいらしい少年サムエルの絵は有名です。正座して祈っている絵です。その祈りが 「お話しください。しもべは聞いております」 です。私達も祈りを考えさせられる一言です。
霊的に未熟なサムエル
神に献げられた子ども
1.前回ハンナのことを語りました。ハンナの祈りによって生まれたサムエルはハンナの誓願の通り祭司エリに預けられて成長していきました。成長したサムエルは 少年サムエルはエリのもとで【主】に仕えていた とあるように幼子から少年になっていました。
2. サムエルは、神の箱が置かれている【主】の神殿で寝ていた とあります。神殿というのは神様のおられるところです。そこで寝ていたサムエルは神様から呼びかけられるのです。が、サムエルはそれが神の声だとはわかりません。
神に語りかけられてもわからない
1. 3:4 【主】はサムエルを呼ばれた。 とは、どんな声だったのでしょう? 彼は、「はい、ここにおります」と言って、3:5 エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。 とありますので、神様の声はエリのような声だったのでしょうか? 夜中に飛び起きてエリの元に来たのですからエリはいったい何があったのかと思ったことでしょう。
2.サムエルはエリに呼ばれたから来たと言うのですが、エリは呼んだ覚えはありません。エリはサムエルが夢でも見たかと思ったでしょう。 エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。 とありますので、サムエルの方はエリ先生の寝言とでも思ったかも知れません。 それでサムエルは戻って寝た のです。そんなことがこの後3回あるのです。
霊的指導をするエリ
エリの霊的な直感力
1.さすがにエリはこのサムエルの行動にただならぬものを感じました。 そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった という時代でしたが、エリには神の声を聴くことがどういうことかわかっていたのだと思います。祭司であるエリも長らく神のお声を聞いていなかったかも知れません。しかし、かつての経験から、この子サムエルは神に呼びかけられているとわかったのでしょう。
2.ですから エリは、【主】が少年を呼んでおられるということを悟った と、少年ではあるけれど、神はサムエルに何かを語ろうとされていることを直感したのです。このエリの感覚、この直感力は信仰から来るのです。 悟った とあります。この言葉は宗教的な意味合いで使われるときにはたいてい「頭でわかった」というより、インスピレーション(霊感)的にわかるということです。
大人による信仰の指導
1.そこで、エリはサムエルに霊的な指導、信仰的な指導をします。 3:9 「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『【主】よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」 と、この有名な言葉です。こういう霊的指導を子ども達、少年たちにすることが私達大人の大事な仕事なのです。祈りの仕方を教えているでしょうか? 多くの子ども達は親や大人の祈りを見て、聞いて学んでいます。その結果、4才で聖霊のバプテスマを受けた子どももいます。
2.サムエルはその指導に従いました。すると 3:10 【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた のです。その神の呼びかけに今度は サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った のです。すると、 3:11 【主】はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。 と、とても大事な話、イスラエルの裁きについて神はこの少年に語られたのです。
信仰的な次世代を育てる
神の声が聞こえる子ども達
1.今も神は少年に語られるかも知れません。それは 「お話しください。しもべは聞いております」 と言う少年にです。大人達が信仰的に、社会的に堕落していたり、神の声よりも人の声に意識が行っていたりすると大人には神の声が聞こえなくなっています。
2.かつて、モスキート音といって若い人にしか聞こえない音がコンビニの前や公衆トイレ前で流されました。若い人には不快な音のため、その場を離れていくようになるのですが、年配者には全く聞こえないのです。神はモスキート音で語られたのでしょうか。(笑)エリには聞こえないお声だったのでしょうか。
大人達の意識・覚悟
1.母ハンナの祈りによって誕生したサムエルは少年時代に神のお声を聞く人になりましたが、なぜ、エリではダメだったのでしょうか? エリの息子達が神の前に罪を犯しているからでしょうか? エリでも良かったかも知れませんが、次の預言者が必要だったのです。神も次世代を育成しようとされていると思います。
2.神のお声を聴くことのできる次世代を育てることはキリストの体を建て上げることにほかなりません。次世代を育てるということは育てる側の意識、覚悟が必要なのではないでしょうか。
● 教会では「献児式」を行いますが、サムエルのように神殿の祭司のところに献げる「弟子入り」のようなものではありません。育てるのはあくまでも両親が中心で、それを教会が支えます。子ども達に修業のように信仰教育をするのも一つの方法かも知れませんが、子ども達が自主的に主のために働き出すとしたら、何とすばらしいでしょう。子ども達に修業させるよりも、大人達こそ修業すべきなのかも知れません。
★ 神の声を聴いていますか? 幸いなことに今は全ての人が神の声を聖書を通して聴くことができます。ただし、聞く耳を持っていてこそできることです。私達も お話しください。しもべは聞いております と主の前に出ようではありませんか。
Posted by shinnakano
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