親の知らない子どもの姿
子育て通信

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ジャングルジム

 またも朝日新聞のコラムに目が止まりました。

  ひとは大人になって、高さを忘れる。平行になじんで、垂直を忘れる。(長田弘)
     ◇
 ジャングルジム。誰がそう名づけたのか、透明な正方形が無限に続く空間だ。だが「探検家」よろしくそこに身を潜(くぐ)らせ、斜めに滑らせているうち、世界は脹(ふく)よかになる。頂上に立てばふいに空が展(ひら)ける。そこには「密(ひそ)かな誇り」があったと詩人は言う。ある日、誰かの手に足を掴(つか)まれて転落し、大けがをした。以後それは「檻(おり)の世界」になったと。『記憶のつくり方』から。

  折々のことば:2773 鷲田清一 2023年6月26日

「ジャングルジム」という言葉にふと、小学生の時に運動場の片隅にあったジャングルジムを思い出したのです。とても高かったように記憶しているのですが、何しろ子どもの目で見ていますから高く感じたのかも知れません。
  子どもセンターを卒園して数年後に屋上に上がった子ども達は「あれ、こんなに狭かったかな?」と言います。2-3才の時の彼らにはとても広く感じたのでしょうが、体が大きくなった彼らには屋上は狭く感じられるのです。
  同じく、ジャングルジムも私の記憶にあるほどには高さはなかったのかも知れません。
  正方形が幾つも繋げてあって、ところどころ横棒が抜いてあるので、そこは長方形になります。小さな子だと通りやすいので、まるで立体迷路のような感じでした。

怖くて登れない

  私はこのジャングルジムに登るのが恐くて恐くてたまらなかったのです。ジャングルジムだけではありません。色々なものが怖かったのです。典型的なHSCだったと思います。
  そんな私がてっぺんまで登れるようになって、このコラムにあるように「探検家」よろしくそこに身を潜(くぐ)らせ、斜めに滑らせているうち、世界は脹(ふく)よかになる。頂上に立てばふいに空が展(ひら)ける。というのを体験したときはすごく気持ちが良かったのを思い出します。
  友達がてっぺんに立ち、そこから斜めにスルスルと下に滑り降りてくるのです。自分もやってみたくてたまらないのですが怖いのです。友達は同じようにするように誘ってきます。てっぺんに立ち上がれませんでしたが、てっぺんまで登れたとき、何か急に自分が違う自分になれたような気がしました。
  そして、斜めに滑ってみると,何とわりと簡単にできたのです。気持ち良くて、すぐまた上まで登りました。何度か滑り降りる内にてっぺんに立ってみたくなりました。てっぺんと言っても実は一段下なのです。上の横棒に膝の辺りを当てて支えて立つのです。これができました。もう私はジャングルジムの王様になった気分でした。

母は知らないだろう

  今思い起こすと、母は私がジャングルジムに登るのが怖くてたまらなかったなどとは知らなかったと思います。親というのは子どものことを過信している傾向にあるからです。
過信されているとは知らない私は私で「怖がり」の自分が嫌いでたまらないのです。しかし、この「怖い」という気持ちはなかなか無くせません。だから水の怖かった私は5年生になるまで泳げませんでした。5年生の夏休みに突然水が怖くなくなったので泳げるようになったのです。母は私がすでに泳げていると思っていたと思います。もしかすると、母は私が勉強も運動も結構できると思っていたのかも知れません。親の愛情と言えば愛情なのですが、もう少し的確に見ていてくれた方が良かったかも知れません。

高所恐怖症

  「高所恐怖症」は今も無くなりませんが、これがジャングルジムを怖く思っていた理由です。
  小学校のジャングルジムの隣には「うんてい」がありました。これは足が地面に着くので怖くありませんでした。
  その横には「ろくぼく」がありました。これが木でできていました。これを登るのが怖かったのです。特に上に行くと、またがって反対側を降りてくるのですが、上にまたがるのができないのです。
  そんな私がこの20年間、マンションの12階に住んでいるのはすごいことです。ベランダに立つのは怖く、窓から下を見るだけで怖いです。

幽霊が怖い

  母は私が怖がりだということは知っていたと思います。子どもの頃は夜になると我が家の2階に行くのが怖くて大変でした。その恐怖心の一つには「お化け」「幽霊」がいるかも知れないと思っていたからでした。子どもですねえ。
  いつまで「幽霊」がいるかも知れないと思っていたでしょうか? 18才でクリスチャンになったときからこういう恐さは消えました。何しろ、人の霊がこの地上を浮遊していることはあり得ないことを聖書から知ったからです。その反面、「悪霊」は存在することを知りました。しかし、イエス・キリストを信じた私はそんな悪霊も怖れる必要はないことを知ったので、恐がることはなくなりました。残念ながら高所恐怖症は無くならないです。

逆に、怖くない

マンションの高い階に住んでいる子どもは高いところが怖くなくなると聞いています。それがために転落事故が起きているとも言われています。私が高いところを怖がっているのを母が知らなかったように、高いところを怖がらない子どものことを知らないお母さん方も多いのではないでしょうか。

親はどこまで知っている?

  親というのは子どものことをよく知っているようで知らないのです。少し前までは生まれるまで男の子か女の子かさえもわかりませんでした。赤ちゃんが泣くときもなぜ泣いているかわかるようになるにも時間がかかります。イヤイヤ期には「イヤだー!」とわめく理由もわからないことが多いものです。
  ましてや子どもが成長して思春期を迎えると本当にわからなくなるものです。私も父や母に心の内を明かしたことはありませんでした。そして、反抗期のためにむしろ本心で無いことも言ったように思います。学校でも先生に対してそういう態度をとったように思います。先生も私達生徒のことはわかってなかったのではないでしょうか?

イエス様は知っている

  私達は子どものこともよく知らないのですが、自分自身のこともわかっていないものです。
  では、誰が私達のことをわかっているのでしょうか? それが神様、イエス様(神様)です。私は18才でこのイエス様を知ったのですが、教会には赤ちゃんや幼い子ども達も来ています。「こんな小さな時からイエス様を知っているといいなあ」とつくづく思います。
  子どもは親が自分のことはわかっていると思い込んでいるものなのです。それが大きくなるに連れて「私のこと,全くわかってない!」と思うように変わっていくのです。そういう時に,自分のことを深くまで知っている方がおられることを知ると、そのお方(イエス様)にお話し(祈り)するようになります。これは単なる瞑想などとは違い、教会学校で得た聖書の知識も生かされて神様から来る平安を持ち、神様に喜ばれる正しい考え方を持つようになるのです。
  聖書には「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。」という言葉があります。神を覚えることが人生で一番大事だと。

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Posted by shinnakano