神の言葉に従うべき!

選ばれたサウル王だが

礼拝メッセージ

説教者:藤井師
2023/10/8 礼拝説教
【テーマ】  神の言葉に従うべき!
【説教題】 「選ばれたサウル王だが」
【聖書箇所】 Ⅰサムエル10:6-7、15:22

10:6 【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。
10:7 これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。

15:22 サムエルは言った。「【主】は、全焼のささげ物やいけにえを、【主】の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

Ⅰサムエル10:6-7、15:22

○ イスラエルの第一代目の王はサウルで、ダビデは第二代目の王です。ダビデに関しては色々良い話がありますが、サウルに関してはあまり出てこないですね。せっかく王に選ばれたのに残念です。反面教師として考えることができるかと思いますが、そのサウルを私達は叱責することができるでしょうか? 今日はサウルから自分のことも考えてみたいと思います。

選ばれたサウル王だが

神に期待されるサウル

王を求めるイスラエル

    1.士師記の次に登場するサムエルは子どもの時に神の声を聞く人でした。祭司エリに預けられたサムエルがイスラエルを導いています。エリの息子達が後を継ぐことのできない不信仰者であったため、サムエルが立てられたようですが、そのサムエルの息子達もまた不信仰でした。 8:4 イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、8:5 彼に言った。「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」 とあるように人々は王を求めました。

    2.神は王という人間に頼る事で起こる問題を語られました。それでも人々は王を求めたので、神はそれを認めて、サムエルにサウルを王とすることを示されます。そこで農家の青年サウルが突然王に選ばれることになりました。 10:1 サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った。「【主】が、ご自分のゆずりの地と民を治める君主とするため、あなたに油を注がれたのではありませんか。 

新しい人に変えられる

    1.サウルは 10:6 【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。10:7 これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。 と言われました。この箇所は新共同訳では 10:6 主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。 10:7 これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです。 また7節の 自分の力でできることをしなさい は、口語訳、新改訳の前の版では 手当りしだいになんでもしなさい とあります。

    2.神はサウルを新しい人にされると言います。しかし、まだイエス・キリストの十字架による救いが達成されていませんから、聖霊がサウルの中に住まわれたわけではありません。私達はイエス・キリストによって新しい霊をいただきましたので、聖霊が私たちの内に住んでおられます。さらに再臨のときには私達は罪と全く切り離された新しい体をもいただくことになります。それまでは聖霊が住まわれて新しい人になったもののこの肉体のままですので、罪も犯す不完全な状態です。サウルの場合はさらに聖霊が内住したわけではないのです。

    3.王を立てることは神の第一のみこころではありませんでしたが、人々の強い願いを受け入れ、サウルを王とされました。神はこのサウルに期待されたのです。ですから聖霊が激しく降るようにされました。同じく、私達も神に期待されている存在です。私達はみんな聖霊を激しく注いでいただけるのです。

神に従わないサウル

純粋さが欠けたのか

    1.これほどに神の恵みをいただいたサウルですから、彼はイスラエルのために真剣に働こうとしたのです。確かに 自分の力でできること をしたと思います。油注がれたときの彼は若く純粋だったでしょう。

    2.しかし、彼は王になって純粋さが減ったのでしょうか? 神に従う、神に聴くということを軽く考えるようになったようです。自分の考え、イスラエルのみんなの思いを大事にしたのですが、それが神のことばに聞き従うことを薄れさせているようです。

自分の都合に合わせたサウル

    1.神はサウルが新しい人に変えられ、その時には 手当りしだいになんでもしなさい と言われました。そして、かつてヨシュアに言われたように 15:3 今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。 とも言われました。しかし、残念なことにアカンの罪を教訓にしていません。 15:9 サウルとその兵たちは、アガグと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、これらを聖絶しようとしなかった。ただ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのである。 と聖絶しなかったのです。

    2.そこに来たサムエルは 「【主】は、全焼のささげ物やいけにえを、【主】の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。 と、サウルの罪を責めます。サムエルにとっては自ら油注いだサウル王が神に従わないことにどれほど心痛めたことでしょう。

    3.聖絶ということでは、アカンの罪でイスラエルが大打撃を受けたように、神の言葉に従わないことは聖霊を悲しませることになります。

神の望む若者

何でもして良いわけでは無いことに注意!

    1.神は彼に 自分の力でできることをしなさい(手当りしだいになんでもしなさい) と言われましたが、それは 【主】の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます とあるように、神は聖霊が働かれるなら何でもしなさいと言われるのです。今、聖霊を受けている私達こそ、何でもして良いのではないでしょうか。

    2.もちろんそれは自分勝手に何でもして良いというわけではありません。聖霊の導きに従って手当たり次第何でもということです。ということは聖霊の導きに敏感であることが大事です。聖霊の導きなのか、自分の思いなのかを判別する力が必要です。そのためには神の思いを聖書を通してしっかり知っていくことが大事です。

聖霊に満たされた若者に!

    1.若者はサウルのように手当たり次第に何でもしてしまいがちになります。それだけのエネルギーがあるからです。しかし、そのエネルギーが人間的なものだけだと危ないことをしでかすことだって多々あります。サウルがそうであったようにです。

    2.しかし、聖霊に満たされて、聖霊に導かれて、その上で手当たり次第何でもするなら、すばらしいことが起こるのではないでしょうか。大事なのは聖霊に満たされて、神に忠実に歩む人です。

★ イエスを信じるだけで聖霊は私たちの内に来てくださいます。そして、聖霊は私たちに特別な知恵を与えてくださったり、祈りの力、伝道の力を満たしてくださいます。それに従うのです。