剣(つるぎ)ではなく癒し

礼拝メッセージ

【説教題】「剣(つるぎ)ではなく癒し」
【聖 書】ルカ22:47―53
【説教者】八木原海師

〈新改訳2017〉
22:47 イエスがまだ話をしておられるうちに、見よ、群衆がやって来た。十二人の一人で、ユダという者が先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして近づいた。
22:48 しかし、イエスは彼に言われた。「ユダ、あなたは口づけで人の子を裏切るのか。」
22:49 イエスの周りにいた者たちは、事の成り行きを見て、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。
22:50 そして、そのうちの一人が大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。
22:51 するとイエスは、「やめなさい。そこまでにしなさい」と言われた。そして、耳にさわって彼を癒やされた。
22:52 それからイエスは、押しかけて来た祭司長たち、宮の守衛長たち、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って出て来たのですか。
22:53 わたしが毎日、宮で一緒にいる間、あなたがたはわたしに手をかけませんでした。しかし、今はあなたがたの時、暗闇の力です。」

ルカ22:47―53
剣(つるぎ)ではなく癒し

たとえ追い込まれても

イエス様が今日も生きておられることを覚えて主イエスの御名を賛美します。先週一週間で、私達に起こった良いことが、良いお方であるイエス様の導きのおかげだと信じるでしょうか?イエス様は良いお方です。ガイドしてもらうなら、善意を持った方にガイドしてもらいたいです。イエス様の地上の生涯を見ると、たとえイエス様が追い込まれている時でも、「私達のため」というイエス様の原動力は変わらないとわかります。弟子をたくさん持つ神の子イエス様は、祭司長たちや律法学者たちに妬まれ、狡猾に命を狙われていましたが、今日の箇所でついにオリーブ山という場所で捕まえられようとしていました。

① 味方の裏切り

イエス様を捕えにこようとしている集団の中で、キーマンがいました。

22:47 イエスがまだ話をしておられるうちに、見よ、群衆がやって来た。十二人の一人で、ユダという者が先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして近づいた。
22:48 しかし、イエスは彼に言われた。「ユダ、あなたは口づけで人の子を裏切るのか。」

「十二人の一人で」とあります。イエス様の十二人の弟子の一人、ユダはイエス様のそばにいましいた。ユダは自分の立場を利用して、イエス様を憎むユダヤの宗教団体のメンバーたちにイエス様の身柄を金で売ったのでした。

② 癒す姿勢

味方の裏切りがあり、イエス様は不当に捕まえられそうになっていました。イエス様の周りにいた者は、イエス様の危機を察知して、剣で先にしかけていきました。ところがイエス様は、戦う弟子たちとは違いました。

22:50 そして、そのうちの一人が大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。
22:51 するとイエスは、「やめなさい。そこまでにしなさい」と言われた。そして、耳にさわって彼を癒やされた。

イエス様は、大祭司のしもべの一人の傷つけられた耳を癒しました。イエス様はもうじき捕らえられるところに来ていますが、それまでのユダヤを旅してきた時と全く変わらない姿勢を示されました。私達が敵、味方と見るのとは異なり、イエス様は、全ての人に対して神のおられることを示しておられるのです。剣があるのは、相手と自分が切り離されている証拠です。しかし、癒しがあるのは、神が私達をつなげようとしている証拠です。捕らえようとする大祭司たちの前にあってもイエス様の癒しの姿勢は変わらないのです。

③ イエス様が把握している使命

イエス様は癒す姿勢を持って、私達に関心を持っておられます。私達を神の守りの内に引き寄せようとされています。それがイエス様が神の子として生まれた時の使命でした。祭司長たちや長老たちの昼の顔とは違って、この夜憎しみに駆られてイエス様を捕える時に、イエス様はご自身の使命を把握しておられました。

22:53 わたしが毎日、宮で一緒にいる間、あなたがたはわたしに手をかけませんでした。しかし、今はあなたがたの時、暗闇の力です。」

「今はあなたがたの時」とあります。イエス様は暗やみの力を一時的なものだと理解しているという意味です。イエス様はご自身の地上での生涯を俯瞰するようにご覧になっておられます。ですからイエス様は人々の手に渡されて、まるで何も抵抗できなくて死んでしまったかのように思われてなおも、復活を通して、神の力を示されることを通してその使命を果たされたのです。誰でもイエス様を信じる者は、神の子として神の側にいれられ、全ての罪を十字架で赦され、生きる痛みを癒されながら神を喜び共に歩めることを感謝します。

まとめ

味方だったはずのユダに裏切られてついに、律法学者や祭司長達の思い通りになったかのように見えましたが、そんな状況でも、イエス様の癒しの姿勢、スタンスは変わらず、イエス様は人が神と共に生きる道を癒しで切り開き続けました。命をかけてその使命を全うしたイエス様に、私達は今日、従っていくことができます。復活を通して示されたのは神の力です。聖霊に励まされ、神の力に守られていることを覚え、安心して今週も歩んでまいりましょう。