聖霊

再び燃え立たせてください

礼拝メッセージ

【テーマ】  すばらしい聖霊
【説教題】 「再び燃え立たせてください」
【聖書箇所】 Ⅱテモテ1:6-7

1:6 そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
1:7 神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。

Ⅱテモテ1:6-7

○ 三叉神経痛の手術、いわゆる頭の手術をして徐々に回復してきています。その間にも色々辛いことがありました。そんな中、ふと過去の日記を見た時に新中野教会に赴任して3年目で腰の手術をしたこと、その後また入院したことの辛さが書いてありました。読んでいるとその頃のことを思い出しました。振り返りながら神様の恵みを語らせてください。また、証ですね。

再び燃え立たせてください

辛かった日々がある

  1.私は東京に来て2年目から体調が変になりました。原因はいくつもあるように思います。敢えて言うと、慣れない東京という環境。子どもたちは転校したことで親しかった友達が皆いなくなったことでさみしがっていました。教会の働きも高槻とはかなり違いました。教区の雰囲気もかなり違いました。いろいろなストレスがあったと思います。

  2.そんな中、村上先生の部屋の片づけをして、重いものを運んだり、ピアノを動かしたりしたときに腰をやってしまいました。その後何度か寝込むほどのぎっくり腰をやり、治ったと思った直後に北海道の奉仕に出かけ、そこで本格的に腰をやってしまいました。なんとか自宅に戻れたものの、翌日、東京衛生病院に救急搬送され、右足が麻痺しているため手術に踏み切りました。

  3.手術は成功し、麻痺も消え、楽に歩けるようになったものの、腰痛はなかなか消えず、今度は整骨院での治療を長く受け続けました。すると今度は翌年2月になって高熱が出て河北病院に入院です。「どうしてこんなに次々病気になるんだ?」と、もう一気に気力が無くなってきました。退院しても、気持ちの落ち込みがひどく今度はうつ状態になってしまいました。

  4.牧師館で寝込んでいましたが、1週間後どうしても銀行に私が行かねばならない仕事ができました。とても一人で行けないので、妻に着いてきてもらいました。仕事はすぐ終わりましたが、それだけでもクタクタでした。ちょうどお昼になったので、妻は「何か食べよう」と言いました。うどん屋に入ったのですが、私は食べられず、ボソッと「大阪に帰るわ」と言ったのです。落ち込んでいる私を見てきた妻は「うん、いいよ」と言ってくれました。私がそう言えば妻は「いいよ」ということくらいわかっていました。ところが、その妻の言葉を聞いたとたん、頭の中をガーッと回って、PCがフリーズ状態のようになっていたそのハードディスクがピタッと止まったような感触を得たのです。すると急に食欲が出てきて、うどんを完食しました。そして、家に戻ると「教会に行ってくるわ」と1週間ぶりに教会に行き、夕方まで仕事ができました。そこから後、全くうつが消えて、毎日教会で仕事が普通にできるようになりました。あの妻の一言が私の頭の空回りを止めたのです。また、入院中や、落ち込み中の私に代わって説教、教会のことを妻は文句一つ言わずやってくれました。改めて感謝します。

  5.元気になったものの今度は高槻にいる両親がだんだん弱ってきているため両親をどのようにすべきかが大きな問題となりました。とても父親は東京には来てくれそうにありません。子どもたちの進路問題もありました。そして、教団・教区の仕事、高南中学校の学校支援本部の働きと美術部のボランティアなど自分でも忙しすぎると思いましたが、どれも大事で休みなんてありませんでした。「このままでは燃え尽きてしまう」と思いましたが、どうにもならないのが現実でした。

  6.闘病生活中のO兄が遂に危険な状態となってしまったとき、私の父も危険な状態になりました。高槻に戻った私は体の悪い母と毎日病院に見舞い、父の食べたいというものをあちこち探しまわったりしていました。その時に三叉神経痛を発症したのです。しばらくして父は「イエスさんに会った」と言い、母に「ありがとう」と言ってそれが最後の言葉になりました。8月13日召天。O兄のことがあるので14日葬儀。15日に東京に戻りました(O兄は持ち直されたのですが10月31日に召天されました)。

御言葉が励ましてくれた

  1.あの鬱の時に妻の言葉で回復し、考える力が回復してくると、自分がどうしてこうなったかを冷静に考えることもできました。しかし、立ち直る力まではまだまだ足りませんでした。その間にも祈ってくださっている方があったはずです。感謝です。

  2.考える力が回復してくると自分に欠けているのは聖霊であることがはっきりわかりました。「聖霊に満たされたい」と思うし、祈るのですが、そう簡単に満たされないのです。焦りが出てきます。「こんな牧師でいいはずがない」と思いました。だからと言って牧師を辞めるという考えはもう出てきませんでした。辞められないとなるとそれはそれで辛いのです。

  3.よく私は歩きながら祈りますが、ある日、やはり歩きながら祈っていました。そんな時、この 

1:6 そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。1:7 神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。 

を得るのです。その時はパウロがテモテを励ましていることがとてもうらやましく思えました。私もそんな励ましをしてくれる人が欲しかったと思ったのです。

  4.しかし、次の瞬間、私はパウロに励ましていただいたような気がしたのです。私に欠けているのは聖霊でした。私は臆病だし、愛も無い、慎みもないです。しかし、この御言葉がなにかしら励ましてくるのです。

  5.自分の人生をふりかえって、「もしここで死んでしまったら自分は何のために生きてきて、牧師にもなったのか?」と考えました。「私は神様のために何もできていない。していない」と無力な自分を恥じました。

  6.しかし、私は考えたのです。考える力が回復しているのですから。神様が私のために何をしてくださったかを思い返したのです。中学校の教師にしてくださった。牧師にもしてくださった。すばらしい伴侶を与えてくださった。すばらしい子どもたちをくださった。そして、すばらしい新中野キリスト教会の牧師にもしてくださった。と、次々感謝がわき起こってきたのです。神様は私が何かできるからではなく、私という人間を愛してくださって、色々楽しいことをさせてくださったのだとわかったのです。

  7.「ここで人生が終わってもいい」というくらい嬉しい時でした。しかし、こんなすばらしい神様をやはりもっと沢山の方に知って欲しい、と今度は救霊の思いが湧き起こってきたのです。「私のうちにもきっと神様の賜物があるのだろう! 再び燃え立たせたい!! 聖霊に満たされたい!!!」と思いました。

★ 誰にもその人だけの色々大変なことがあるものです。そして、人からの励ましの言葉も空しく感じるほど辛いこと、落ち込むこともあるかも知れません。こうしたことを聞いてくれるカウンセラーのような友人が欲しいと思っても現実にはいない。など八方塞がりを感じることもあるでしょう。しかし、神は私たちを愛しておられます。思い起こしてください。神は私たちにどれほど素晴らしいものをくださったでしょう。賜物をくださったのです。再び燃え立たせてください。私の願いは「神よ、私を再び燃え立たせてください」です。私たちに与えられているのは聖霊です。臆病の霊ではありません。力と愛と慎みの霊です。聖霊に満たされます! あなたが求めれば!!