イエスを信じた契約

礼拝メッセージ

2024/9/8 礼拝説教
【テーマ】  聖餐式
【説教題】 「イエスを信じた契約」
【聖書箇所】 マタイ26:26-29
【説教者】藤井敬朗牧師

26:26 また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
26:27 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
26:29 わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」

マタイ26:26-29

○ レオナルドダヴィンチの壁画「最後の晩餐」の絵は有名です。今日は聖餐式をしますが、最後の晩餐で主は主を覚えるために聖餐を行うことを語られました。

イエスを信じた契約

最後の晩餐

過ぎ越しの食事

    1.聖餐式は「主の晩餐」とも言われ、もともとは教会での食事の交わり会でした。さらにそのルーツをたどると出エジプトの時の「過ぎ越しの食事」にさかのぼります。この「過ぎ越しの食事」をユダヤ人は守って来ました。イエスが弟子たちと「最後の晩餐」をしたのもこの「過ぎ越しの食事」でした。

    2.「過ぎ越しの食事」はイスラエル人がいよいよエジプトを出るときに神に言われた食事です。神は門柱とかもいに羊の血を塗ることで死の使いが通り過ぎさせました。「過ぎ越し」です。それを記念してユダヤ人は「過ぎ越しの食事」を守ってきたのです。

そこに招かれたのは弟子たち

    1.「過ぎ越しの食事(最後の晩餐)」に招かれたのは弟子たちでしたが、そこには裏切り者と言われたユダがいます。また、イエスを知らないと言ったペテロもいます。どの弟子たちもイエスの気持ちを理解していませんでした。

    2.現代の聖餐式には誰が招かれているのでしょうか? イエスを裏切るような弟子でも招かれているのですから、私たちがどんな罪人でも招かれていると言えます。教団・教会でも議論されるのは「未信者の方も招かれているのか?」ということです。多くの教会はクリスチャンだけが聖餐式を受けることにしています。新中野キリスト教会も「イエスが自分の罪からの救い主と信じている人」にしています。洗礼を受けた人だけが受けるかどうかは本人が決めてよいこととしています。洗礼を受けたクリスチャンはもちろん全員受けるべきです。

イエスはいのちのパン

パンが裂かれた

    1.さて、パンにはどんな意味があるのか考えてみたいと思います。 イエスはパンを取り とありますが、パンはイエスを表しています。つまり、イエスが神に選ばれてこの地上に人となってきたことを表しています。

    2.そして、 神をほめたたえてこれを裂き とあるように、十字架でその体が裂かれることを表しています。何のために裂かれたのか? 実際にイエスに傷を負わせたのはローマ兵ですが、それは全ての人の罪を赦すためにイエスの体は裂かれたのです。イエスが罪の完全な生贄とされたからです。

パンが弟子たちに与えられた

    1.続いて 弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」 とあります。弟子たちにパンが与えられました。イエスの体が与えられ、弟子たちは食べたのです。これは「イエスは私の罪のために十字架で死なれた」ことを受け入れることです。

    2.またイエスは ヨハネ6:35「わたしがいのちのパンです」 と、言われているように、これをいただくことは永遠の命をいただいたことを意味します。

イエスの血を表すぶどう酒

この杯から飲みなさい

    1.続いてぶどう酒ですね。 26:27 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。 と、杯をも弟子たちに回されました。一緒に飲むということは弟子たちはイエスと共に一つだということを表します。

    2.聖餐式のぶどうジュースも同じく、私たちはイエスと共に互いに一つだということです。教会はイエス・キリストを中心に一つです。私たちはイエス・キリストの血が流れているキリストの体の各部分です。

イエスの新しい契約の血

    1. 26:28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。 と、十字架の血が 契約の血 だと言われました。今まで生贄の動物の血が流されてきましたが、そこには完全な赦し、救いがありませんでした。その完全な赦しのために約束されていたのがこのイエスの十字架による血です。

    2.古い契約「旧約」では人は義とされないことがわかります。そこで、新しい契約「新約」が計画されていました。罪の無い神の子イエスが全人類のために身代わりの死を遂げることで、このイエスとつながる人を救うという契約です。

★ 聖餐式は「礼典」です。儀式ですからこれ自体に特別な力があるわけではありません。パンがイエスの肉に変わり、ぶどうジュースがイエスの血に変わるわけではありません。しかし、イエスと一つであることを信じて、感謝して受けるときこの礼典の中にイエスがおられることを直感し、神を愛し、互いに愛し合うことができるのです。