イエスをいただこう
2025/1/12 礼拝説教
【テーマ】 聖餐式
【説教題】 「イエスをいただこう」
【聖書箇所】 ヨハネ6:53-58
【説教者】藤井敬朗牧師
6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。
6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。
6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
6:58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」ヨハネ6:53-58
○ 今年最初の聖餐式を行えることを感謝します。イエスが語られた言葉から聖餐式の意義を見ていきたいと思います。
イエスがパン
人々はパンを望んでいた
1.このイエスの言葉を聞いて人々はどう思ったでしょう? イエスの肉を食べ、イエスの血を飲むなどという話をまともに聞けるわけがありません。「もしかすると、何か意味があるのかな?」と思って聞いた人があるいはいるかも知れません。
2.この前には5つのパンと2匹の魚の奇跡がありました。人々はすごい奇跡を見た上、パンを食べて、イエスに魅了されました。そのイエスが次の場所へと移動なさったのですが、翌日、人々は弟子達だけが乗った舟しかないことを知るのです。つまり、イエスはどうやって向こう岸に行かれたのかわかりませんでした。イエスが湖の上を歩いて行かれたなどと誰が考えるでしょうか?
3.人々はいつイエスがここに来たのかわからなかったので、 6:25 「先生、いつここにおいでになったのですか。」 と聞いたのですが、イエスの答えはおもしろいです。 6:26 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。6:27 なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」 と、人々がイエスを捜して来たのは空腹の時にパンの奇跡を起こしてみんなが食べることができたからでした。しかし、後半の言葉は理解できていません。
イエスはご自分がパンだと言われた
1.さらにイエスはモーセの時に神がマナを与えた話をされました。人々は 6:34 「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」 と、やはりパンを求めます。そこで、イエスは 6:35 「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。 と言われたのですが、人々には理解できなかったでしょう。
2.こうした流れで 6:51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。 と言われたのです。そして、 6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。 という話になるのです。イエスの肉を食べる、イエスの血を飲むという話をそのまま受け入れたら大変です。
イエスが命
イエスによって永遠の命をいただく
1.皆さんはもちろんここでイエスが言われた文字通り、イエスの肉を食べ、イエスの血を飲まなければならないとは思わないと思います。現に、イエスの弟子たちは誰も実際にイエスの肉を食べ血を飲んではいません。ですから、ここは当然イエスが比喩的に語られたのだと解釈されます。イエスは当時のユダヤ人には考えもつかない言い方をして敢えて物議をかもしだしておられるようです。
2.イエスの奇跡によって増やされたパンを食べても罪からの解放はありません。しかし、イエスの十字架と復活を信じる時、私たちは本当に罪が赦され、永遠の命をいただくことができます。イエスの体が裂かれ、血が流されました。それが私たちの罪からの救いのためであり、私たちを神の子とするためです。
イエスによって私たちは一つ
1.イエスの肉と血はまさに十字架のイエスです。そのお方を自分の中にいただたくのです。パンを食べたら、その栄養素が私たちの体を作っていきます。イエスご自身を信仰によって私たちの内にいただくと私たちの内に神の国ができるのです。
2.聖餐式でパンをただ食べるだけだと、体の栄養にはなりますが、それだけのことです。ここで私たちがパンとぶどうジュースをいただくのはイエスをいただいているということの信仰告白です。すでに私たちの内にイエスがおられて、永遠の命の約束も成就していますし、私たちも神の子です。
3.そして聖餐式はイエスの肉と血をいただくのですから、みんながイエスと一つであり、教会はイエスと共に一つであることを示しています。それは世界中のクリスチャンが一つであるということです。信仰によって、感謝をもってパンとぶどうジュースをいただくのです。
★ 続けて聖餐式を行います。私たちは信仰をもってパンとぶどうジュースをいただきましょう。このパンとぶどうジュースはイエスの肉と血を表していて、それを私たちがいただくことでイエスと一つになることを、また互いに一つであることを感謝しましょう。
Posted by shinnakano
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